高校(1 年生)時代の交換日記から
Ted: 1951 年 8 月 31 日(金)晴れ
何をしていても、何かになっているのではないか…。しかし、そこに何かが決定されつつあるのだ。決定されること、それが進歩や発展であり、向上であるならば、喜ばれるべきである。それとは反対の方向にわれわれを向かわせることが決定されるならば、厭うべきである。こんな重大な決定が、一瞬一瞬になされている。何をしていてもよいとは思えない。
沈んだ。引きこもった。輝く道を持ち合わせていない、密林の中を蔓づたいに自分の身体を軽く前進させ得る腕(注 1)を持っていない、次の分岐点までを見通すことの出来る目を持っていない、か細い一匹の動物。
Ted: 1951 年 8 月 31 日(金)晴れ
何をしていても、何かになっているのではないか…。しかし、そこに何かが決定されつつあるのだ。決定されること、それが進歩や発展であり、向上であるならば、喜ばれるべきである。それとは反対の方向にわれわれを向かわせることが決定されるならば、厭うべきである。こんな重大な決定が、一瞬一瞬になされている。何をしていてもよいとは思えない。
沈んだ。引きこもった。輝く道を持ち合わせていない、密林の中を蔓づたいに自分の身体を軽く前進させ得る腕(注 1)を持っていない、次の分岐点までを見通すことの出来る目を持っていない、か細い一匹の動物。
引用時の注
- ここにターザンを思わせる表現がある。このことは、前日 Sam が一人で見ることになったターザンの映画を、私は京都へ行った際に見ていたらしいことを示唆する。
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