
友人たちとの文通記録
Ted から Sam へ: 1959 年 12 月 29 日[つづき]
「私がここでこの欄干といっしょに落ちて死ねば、市でも代りの丈夫な欄干を急いで作ってくれるだろうと思ったものですから。」
と晴子がいうところには、鋭い社会批評の片鱗が見られて、ここは私がこの作品の中で一番面白く思ったところである。また、この作品の中では、この前後の、ほとんど発端というべきところが、同時に山になってしまっていると思われる。
君の文章の傾向について、「コント風の味がある」というようなことを、私は以前に書いたことがあるが、この作も、後半は、君独特の軽妙な奇知で、さっと流されている感じだ。欲をいえば、軽妙過ぎて、深みがとぼしいということになる。
他にもいくつか気づいた細かい点は、この感想を君に渡すときに口頭で伝えよう。(注 1)[完]引用時の注- 54 年も前に自分の書いたこの感想を、いま読み返してみると、「細かい点は、[…]口頭で伝えよう」といいながら、書いてあることも、かなり細かい点ばかりという気がする。主題は何で、それがどう扱われていて、その効果がどうか、という大局的な感想が欠けている。第三者(54 年後の私も第三者である)が読むことを意識して書いてはいないので、読んで作品の筋が理解出来ないことは、ある程度止むを得ない。しかし、ヒロインが自殺を考えたのは、深刻なテーマのはずであり、それに対する感想を中心に据えるべきではなかったか。「軽妙過ぎて、深みがとぼしい」は、ある意味では、全体的な感想だったのだろうが…。
Sam の高校 3 年のときの創作への感想を掲載したついでに、消滅したブログに一度掲載した、私の同時期の創作「逍遥試し」を再掲載しようと思う。

友人たちとの文通記録
Ted から Sam へ: 1959 年 12 月 29 日[つづき]
「それはまた…。何故死にたくなったのですか。」
「つまりは、生きることに対する望みを失ったからです。生きていれば周囲の人々に迷惑をかけるばかりですが、こうして死ねば、それによっていくらかの人でも不安や不幸から救うことができるかも知れません。」
という会話が橋のところでなされている。そして、二日後に彼らが会ったとき、「もしお逢いできたら何故死にたがっていられるのか、もっと突きとめて、そうしないように注意しなければと思っていました。」
という言葉が出て来るのは、読者にちょっと奇妙な感じを抱かせる。「もっと突きとめて」という言葉で、橋のところでの晴子の答えよりも、もっと詳しい具体的原因にさかのぼって聞きたいことを意味しているのだと分らなくはない。しかし、「何故死にたがって」いるかについては、「つまりは」といってだが、相当明瞭な答がすでに与えられ、また、その原因の一端を構成していると思われる彼女の家庭の事情も、喫茶店で話されているのだから、ここでは表現を変えて、「何故生きることに対して望みを失われたのか」とでもした方がよいと思う。——あの頃に君に、デートの場所としての喫茶店の内部の描写が出来たとは、これを読むまで気がつかなかった。——
「思う」と「考える」の区別については、たとえば、大まかにいって、対象が単純あるいは単一事象である場合には前者、対象が複合的、発展的な石は組み合わせ的な場合には後者、などという考察が出来るのではないだろうか。一雄に「きっと区別は難しいに違いない」といわせているのは投げやり的な感がある。「言葉は思想表現のための便法」(注 1)とはいっても、やはりそれは思想の最も信頼すべき伝達手段の一つであり、ある程度の明確な区別を伴わせて使用することが必要であろう。したがって、「難しい」ですまさないで、区別を探ってみることにも意義はあるだろう。[つづく]引用時の注- われわれが高校 1 年生の終りに近い 1952年 1 月 26 日の交換日記に、Sam は次のように書いていた。
「礼儀作法の規則を定めなければならなかったのは、普通あまりにも安っぽすぎる世間の社交のひんぱんな会合を我慢ができるようにし、おおっぴらにけんかをしないようにするためだ」「他人とつきあっていては、最善の人と交わるにしても、やがて飽きがくるものだ」といった Henry David Thoreau の言葉には、たしかに一面の真理がある。
さらに、「まして私たちは、めいめいの心の奥に、ことばなどでは表現できない深いものを秘めているのだ。そういうものと親しく触れあいたいと思うなら、私たちは沈黙するだけでなく、とても声が聞こえないくらいに、からだとからだとが遠く離れていなければならないのだ。これを標準とすれば、談話というものは、要するに耳の遠い人たちのための方便なのである」とあるのを読むにいたっては、ほとほと恥ずかしくなった。Ted にもっとしゃべるようにといったことが、いかにもぼくの無思慮を暴露したみたいだ。
だが、なかなか難しいよ。ぼくはまだまだ方便に頼らなければならない。
「言葉は思想表現のための便法」という言葉は、上記の Henry David Thoreau の文(Sam の学校の国語の教科書にでもあったのだろうか)から来ており、私が高校 3 年のときに書いた短編小説「逍遥試し」でも取り上げていた。
友人たちとの文通記録
Ted から Sam へ: 1959 年 12 月 29 日[つづき]
私の記憶に間違いがなければ、私が高校三年の夏休みに書いた、大学生の常夫と、あいの子のケートのみが登場人物である、小説というよりは小説的粉飾をわずかにまとった対話形式の小論文といった方がよい作品(注 1)の冒頭も、佐武のこの作品と同じ言葉で始まっていたか、あるいは、その冒頭近くに、この言葉があったようだ。私(当時の私に筆名を与えるとすれば、江二辛苦ぐらいのところか)(注 2)の作品にどのような思想を盛り込んだのだったか、もう十分よくは覚えていない。佐武の「橋」と江二の「逍遥試し」の初めの部分を並べて比較してみたいが、後者はいま、私の手もとにはないので、それを詳しく行なうことは出来ない。(注 3)
織女橋という固有名詞が出現することは、Vega というニックネームの少女が登場する江二の「夏空に輝く星」(注 4)とも、この作品が姉妹的なつながりを秘めていることを示していて面白い。一雄の言動は、当時の佐武をほうふつさせる。二人のカズオは、どちらも作者の分身のような感じだが、彼らの性格は、原子の周囲の電子の運動状態において縮退している二つのエネルギー順位が、外部磁場の作用によって上下に分かれるような感じで、陽と陰、積極と消極の僅かの差を与えられ、簡潔にだが、要所要所でよく書き分けられている。一雄の特徴的な笑声は効果的である。「エーッ!」気合いを掛けて彼女が橋の欄干を越えて川の中に落ちていったのではない。駈けてきた二人が驚いて発した間投詞である。
というところは、人をくいすぎた書き方、というより、この作品の他の部分との調和を保っていない、ナンセンス漫画的感覚の文章である。晴子は、一昨夜、海王小学校の校庭で右足をを前方に軽くあげると同時に両手を叩く動作をする時に、左足がよろめいて、見ている人達の方へ転びそうになった時のような顔をして言った。
というのも、当時われわれがときどき使用しあった形容様式であり、その様式としては一つの傑作だが、ここではもっと簡潔にした方が、「まあ、カズオさん!」という言葉の響きを損なわないのではないかと思われる。[つづく]引用時の注- 題名はあとに記してある「逍遥試し」。夏休みの宿題として提出したこの作品は返却して貰わなかったが、下書きが交換日記に記されていた。何年か前にそれを読み返したところ、無口だった私の性格を合理化する「沈黙賛美論」のように思った。
- 実際の交換日記上での Sam のニックネームが Something であったのに対応して、私 Ted は Anything だった。
- 「逍遥試し」の冒頭は次の通り。Sam の作品は、同じ 1 行目を使って書き始めていたと思う。
「君はいま何を考えていた?」
照りつける陽光を受けて、それを豊富な葉の間に抱え込んだポプラの木々が微笑むように立ち並ぶ人道を、しばらく無言で歩いて来た常夫は、ケートにこう聞いた。
「……」
ケートは歩きながら、行く手の彼方に霞んで横たわる山の辺りへ向けていた青い瞳をちょっと彼の方へ転じたが、黙っていた。終点で折り返す電車の音が、彼らの後ろの空気を揺すって遠ざかった。
- 私の高校 2 年のときの作品。こちらでダウンロードできる。
友人たちとの文通記録
Ted から Sam へ: 1959 年 12 月 29 日
引用に当たって:Sam は社会人としての 6 年目、私は京都で大学院修士課程 2 年に在学していた年の冬休み、私が帰省して Sam に会ったときに、彼は、高校 3 年のときに書いた創作が掲載されている校誌(あるいは生徒会発行の文芸誌)を初めて貸してくれた。彼の作品への感想を記した手紙を無罫の便箋に鉛筆書きで写したものが、日記代わりに保存してあったのを、ここに紹介する。
上掲のイメージはその 1 ページ目である。ご覧のように、段落の区切りのない文(作品からの引用部分を除いて)が、2 ページ半ほども続く書き方で、全 4.5 ページにおよぶが、ここでは区切りをつけるなどして、読みやすくし、何回かに分けて掲載する。
君の手紙にあった悩みのその後の心境について、「あきらめた」という返答を聞かされたのは、何だかあっけなくて興ざめだったが、その代わり、六年前の君の作品を読ませてもらえることになったのは、昨日の大きな収穫だった。
題と筆名だけから、どれが君のものか見当がつくとのことだったから、まず目次で探そうとしたが、分りにくかった。それで、各作品の初めの一、二行に目を通してみることにした。
「折口先生を偲ぶ」は問題外である。日記体の「いのち」は、ちょっと注意を引いた。初めの二行は、ひところの私の文章にかなり近い文体だ。しかし、君の匂いはあまりしない。この作品の最後のページを見ると、急性脳腫瘍などとある。これは違うだろう。次の作品は、ページを埋めている字づらが、全然、君の雰囲気ではない。読んでみるまでもない。
それから少し何げなくとばして、この本の中ほどを開く。「アリャサッサッサ」とある。初めの一行はどうだろうと、ページを返すと、われわれの間でかつて交わされた言葉が出ている。「さたけ しんこう」と読んで過ごしそうな筆名だったため、目次では気づかなかったのだ。昨日の帰り道、当時の君の筆名ならば Something に関係がなければならないとは、考えていたのだったが。(注 1)[つづく]引用時の注- 高校時代の交換日記をブログへ引用する際に、S・M 君のニックネームを Sam としているが、実際に日記帳に書いていたのは Something、略して Some だった。彼は Something をもじって「佐武深紅」のペンネームで投稿したのである。