
先にこのブログサイトに 5 回に分けて連載した高校 3 年のときの創作「逍遥試し」を一つの PDF ファイルにまとめ、『リップの円形劇場まで』と改題して、私のウェブサイトに載せた。こちらのページからダウンロードしてご覧になれる。
Exchange diary between Sam and Ted in senior high school days, Ted's old letters, etc.
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引用時の注
- こちらにある「ジグリー」のことだろう。当時私は歌を歌うことが好きでなく、あとにある「先生」こと、われわれと中学同期の女性(高校時代の日記に Minnie のニックネームで登場)の指導をちゃんと受けていなかったばかりでなく、指導があったことさえも覚えていなかった。「先生」が列車の中で「Oh My Darling Clementine(いとしのクレメンタイン)」(こちらでは、これが主題歌であった映画『荒野の決闘』のシーンをバックに歌われている。日本版歌詞「雪山讃歌」。こちらに両歌詞が掲載・比較されている)を英語で口ずさんでいた記憶はあるのだが…。
- こちらの YouTube 動画で聞ける。
- この歌は知っている。こちらに YouTube 動画が、こちらに歌詞と楽譜がある。
- 私の大連時代の幼友だち姉妹の姉のほうが、彼女の夫と一緒に金沢の中心街・香林坊の近くで、この年の夏に開店し、しばらく続けていたスタンドバー。私が夏休みの帰省中に Sam を誘って一度訪れた。
引用に当たって:先に 私 Ted が 1959 年 12 月 29 日付けで書いた Sam への手紙を掲載した。その主題は、Sam が高校 3 年のときに書いた創作を読ませて貰っての感想だったが、冒頭に、「君の手紙にあった悩みのその後の心境について、『あきらめた』という返答を聞かされたのは、何だかあっけなくて興ざめだったが、…」とあった。Ted がここに言及している Sam からの手紙に相当すると思われるのが、以下に引用するものである。社会人となって 6 年目の Sam が Ted からの手紙を受けて、返信として書いたもので、黒に近い青インクで便箋 4 枚半に及んで綴られている。句点の追加など、読みやすくするための若干の変更を加えて引用する。Ted は友人たちへの手紙をおおむね日記帳などに下書きしていたが、この返信のもとになった Sam への手紙の下書きは、なぜか見つからない。泥の中の眠りから、いま目覚めたところだ。太陽は、やがて西に沈みかけようとしている。よい眠りからは平安と充足が得られるものだが、このような眠りの後には、一種の空虚さが身にしみる。無目的で不確かな生活の連続は、人生を怠惰にする。
引用時の注
- Sam は大手旅行社に勤務し、この頃しばしば旅の添乗業務をしていた。
- この段落は、Ted が、「いま小説を書くとすれば、広範な人々が登場する、政治・社会の問題を含んだ雄大なテーマでなければならない」という意味のことを書いた(実際に小説を書きたいと思ってではなく、いろいろな問題に興味をもち始めていることの表現として書いたのだが)ことへの返答であろう。
2006年にブログに掲載したときの注
- 薄紺色の文字の部分は、引用に当たって付け加えた。(下書きの出来た部分から順次原稿用紙に清書していたので、制限枚数20枚に近づいたことを知ったためか、完成を急いだのか、終りへ来てやや記述の飛躍、あるいは説明不足が目立った。)そのほか、言い回しについては、ところどころ修正をした。特に、ケートの話し方が「てよ・だわ式」になっていた部分は、1950年代にしても古風過ぎると思われたので、書き換えた。
- S. M. は Sam の本名の頭文字。