2013年6月6日木曜日

自分の中に天空を


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 2 日(火)曇り

 どうしてこれほどまでも悔いの多い時間の過ごし方をするのだろう。その下で雲が、一面に張りつめたり、ちぎれてある形を作ったり、ぶつかって壊しあったり、一斉に走ったりしている、遥か遠くにある、いや、どこまで昇ってもそこへ行き着くことのない天空、それを自分の中に作り上げなければならない。きょう、自分の中にあったものは、きょうの空にあったのと同じような雲である。それを漂わせている自分の中の天空は、未完成のもの、製造中のものである。それを覆い隠してしまって、製造する労働者さえも入れようとしない雲が広がった。
 昨夜からの考察と行動の細かいことは書けない。たっぷりの時間と文学者の知る限りの語彙を与えられても表現出来ない。別に変ったことがあったのでもない。しかし、変ったことでないとして、いつまでもこういう状態に甘んじてはいられない。
 整然としていること…、一方ではこれを要求していながら…。
 他の場所から自分の家へ持って来たという普通とは反対の弁当を済ませてから、自らのために勝手な理由を捻出して出向いて行ったのは Jack の家だった。Jack と一緒に彼の家を出たわれわれは、見つけて追いついて来た映画帰りの IKB 君と、それからあとの行動を共にした。人間の興味の分らなさが頭を占め、われわれがせむし男になったり、馬より長い顔になったりしたとき
(注 1)は、これが真実のようなものだと思ったりした。ああ、われわれはその先に、電車を待つ Lotus を見つけて避けたのだった。
引用時の注
  1. デパートの遊技場辺りにあった凹面鏡に自分たちの姿を映してみたのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿