2013年5月17日金曜日

「草枕」を読み終える


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 14 日(金)晴れのち曇り

 祭りがめぐって来た。息を吹きかけた鏡のような空の下で、太鼓の音が、横隔膜を振動させるかのように響いて来る。
 Jack も鼻声だった。
 浮かび上がって、翔て、もう沈んでしまう太陽の一日の動きは、あまりにも速い。したがって、「一時間」は遥かに短いはずなのに、約一ページを毎時間ノートしなければならない社会の時間は、きょうの最後の時間でもあったので、長く感じた。全身のうち、働いているところは、内部のいろいろな臓腑を除いて、手だけしかない。いや、実際には、まだ働いているところがあった。あったのだが、その時のその働きは否定したい。働いていたのは他でもない、頭の中である。耳の後ろのあたりの闘争欲のところ、目の上に当たる批判を司るところなどが主として働いた。その結果として形成されたものは何もなかった。しいてあったといえば、それは自然な考えではなく、こんなときにこう考えたら小説にでもあるようだな、などと思って無理に頭の中に作り上げたものである。
 発表対象にならないと思っていた図画の点数までがプリントして発表された。これは惨憺たるものだ。Pentagon 先生の言葉尻を捕まえてばかりはいられない。
 国語の時間は昨日に続いて朗読で、われわれは笑ってばかりいた。この教科書を買ったばかりの日にも記したように、ミスプリントが多いのだが、当てられた生徒たちはそれをそのまま忠実に読んだのだ。「今までよりさらに」、「わかるもの(解るもの)」、「いいかえれば」など。
 SH 時に右斜め前の女生徒が何か話しかけて来た。彼女、TKG さんは大連から引き揚げて来て、紫中の一年のとき、ぼくたちのクラスへ入り、翌年から野田中へ行っていた。いつか書いた「君」づけの手紙の受取人は彼女である。彼女たちと夏休み中に訪問を企てたが実行出来なかった YNT 先生(紫中一年で国語を習った)の情報を彼女が得たということだった。寺町に移られて、赤ちゃんが出来たそうである。Jack に話したら、未亡人だった先生がドエライコッチャ、と驚嘆した。

 漱石の「草枕」を昨夜読み終えた。芸術の客観性ということが強く出ている。しかし、何もかもが第三者的立場のみから感受され、考察され、判断されたらどうだろう。それは、あくまで芸術の中だけのことであろう。躍動する生命を持っているわれわれは、何事にも直接ぶつかる場合が多い。そこでは自分を一つにして力闘することが必要だ。(何だか、よく分っていない。(注 1)
引用時の注
  1. 自分の論旨がうまく閉じていないことを気にしたのだろう。「その力闘は、第三者的立場とは異なる。それゆえ、実人生にも関わる芸術に、客観性だけが強調されるのはどうかと思う」とでも続ければ、このときの考えが一応まとまるだろう。「草枕」を再読してみたい。

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