2013年5月8日水曜日

道端の耳のない花に


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 6 日(木)曇り[つづき]

 Iwayuru 先生は不在だった。当番が保健室へ何をするか聞きに出発するとき、「全権団、しまっていけや!」などと、励ましの声が飛んだ。Pentagon 先生が出席簿を持って現れたので、われわれは拍手で歓迎した。ソフトボールをすることが許可になったが、保健室へボールを取りに行ったことによって、ING 先生から条件をつけられてしまった。しかし、ING 先生も結構話せる。運動会のマスゲームを一回するというだけの条件だ。終りの方が Iwayuru 先生に習ったのと異なっていたが、この方が正しいそうだ。(注 1)
 Mouse 先生の授業は、机に手をついて礼をするのは重役のすることだという、何度目かになる小言から始まって、「前途暗澹たる経済事情」へと話が脱線して行った。
 放課後、ホームの企画会議をするといっておいたのに、集まりが悪くて中止。
 四限の始まる前、十六番教室の前の廊下で、Pine、Yotch、Train、Daihachi そして Boak らが、ガラガラ声や澄んだ声やらで何か話し合っていた。初めは藤井選手(注 2)と卓球の試合をしに行くという空物語だったようだ。それから「千葉へ行く」、「静岡、どーやい」、「静岡? ハハハ。静岡、分るけ?」、「大阪や!」、「わしら金沢」、「二水!」、「木倉町や」、「泉丘」、「泉丘のエースとドッパンの名前」…。彼らは道端の耳のない花に賛嘆の言葉を振りまいていたのだ(注 3)。[つづく]
引用時の注
  1. このあと 3 行にわたって、細かい線画でマスゲームの 1 番から 16 番までを示してあるが、省略する。終りに「(線画も難しいものだ)」と書いてある。
  2. 全日本卓球選手権大会で、1946〜49、51 年に男子単で優勝している藤井則和選手のことか。
  3. 「かつて同級生だったが引越して行ったか、あるいは他の高校へ行っている女生徒たちのことを、彼らは思い出し合っていたのだ」という意味として書いたのだろう。

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