2013年5月29日水曜日

秋分の日のことの続き


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 25 日(火)曇り

 時間が貴重である。十日間続く変わった生活(注 1)は、まず暇がないことをもって始まった。

 昨日 Tacker の家へ行く道々考えたことも多かったが、あのとき頭上にあった雲と同様に、いまはもう、どこかへ流れて行った。二百米ぐらい手前から、Tacker の家の中で拳闘でもするような格好で動いている Jack が見えた。行ってみると、風呂へ入れる水をポンプでくみ上げていたのだった。Jack と Tacker は将棋をし、ぼくはそこにあったシートンの『動物記』を読んだ。ときどき目を上げて、射撃場(注 2)の丘の後ろに続く小高い山の、したたる緑色をした樹木を見やった。
 われわれは射撃場へ出て、ソフトボールでホームラン競争をしたが、ぼくは下駄の緒を切らし、クリのイガが足の裏に刺さり、全く元気を失ってしまった。Jack の目でボールが見難い薄暗さになった頃にそれを打ち切って、彼らは百米と四百米の競走を一回ずつした。「風呂へ入って、うどんを食べて行け」とのことだったが、暗さと時が恐ろしくなったので、Jack を残して帰った。土曜日に図書館を出たよりは早かったが、一歩毎に明度が低くなり、辺りは黒に近づいて行った。[つづく]
引用時の注
  1. 母が大阪へ特殊学校教育の講習を受けに行っていたので、食事には近くに住む Y 伯母のところへ通っていたのだろう。
  2. 旧陸軍の射撃練習場跡で、当時は、いまの自衛隊の前身である保安隊がときどき射撃練習に来ていた。

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