2013年5月9日木曜日

キリストかソクラテスになった気持で…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 6 日(木)曇り[つづき]

 いろいろな人に対する抗議の文を組み立ててみた。一事の憤怒の塊——。けれども、こんなものはいつの間にか崩れ、形を失って行く。無理に凝固させれば、のちには嫌悪の対象となって残るかもしれないから、このまま放置する、いや、そもそも組み立てないのがよいのだ。とは思っても、この無意味な組み立ては時々やりたくなる。
 いろいろな人に対する呼びかけの言葉を考え、彼らに何を説き、何を勧めようかとも考えた。キリストかソクラテスにでもなったような気持で——。それは、「絶対こうでなければならない」、「こうあるべきだ」と思われる事柄を、あまねく人々に行き渡らせようとする事業である。ところがこれも、自分の不完全さを見せつけられたときには、しばしば姿を消す。そうして、再び初めから作り直しとなる。当分はいくら組み立てても砕かれるに決まっているにもかかわらず、またやり始める。——ここにも何かがあるはずだが…。
 新しい葉書が一枚残っていたので、なぜか約束通り「習いに」来なかった Tom へ出すことにした。ひと目みた感じがごちゃごちゃしたものになることをまぬがれなかった。せいぜい十三行が適当なところへ、表の面などは十九行もつめ込んだ。何度やっても難しい作業だ。

3 件のコメント:

  1. 『信仰』&『哲学』=“いっつもそばにいる”って感じですね(๑╹ڡ╹)╭ ~ ♡

    返信削除
  2. 私はまり信仰心はないのですが…。

    返信削除
  3. 上記の私の返信コメント中、「私はまり」は「私はあまり」の書き間違いでした。

    返信削除