2013年5月27日月曜日

忙殺された連休

 下に引用する日記から使い始めたノートの表紙。最初のページの欄外に Ted が次のように書いている。「いつか母が買って来たノートだが、華奢で非実用的なので、いままで使わなかった。十冊目の通信帳として働くときが来たのである。」

高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 23 日(日)晴れ
Ted: 1951 年 9 月 24 日(月、秋分の日)曇り

 しなければならないことがあれこれとあって、昨日は日付を記しただけで、やめてしまった。忙殺された二日間は(注 1)、新しい自分を見出すきっかけとなったかもしれない。きょうは、もう少しで書いた字が「菫」一字という珍しい記録を残すのではないかと思われたのだが、いま、こうしてゆっくり万年筆を動かす時間があたわった。
 祖父の布団がいつも敷かれている場所の畳が青く見えていて、部屋がガランとしている。(注 2)
 母が大阪へ講習を受けに行くのを送って大学前まで行き、それから冷たい新しい空気を呼吸しながら Jack の家へ行った。彼は起きたばかりで、寝間着のままだった。彼の部屋へ入っていると、Lotus の声がした。Jack が「隠れろ」と身振りで示した。気も進まないし、その必要もないと思ったが、指示に従った。Lotus は北陸学院のバザーとかに行けなくなったと Massy に伝える必要が出来て、彼の家のありかを聞きに来たのだった。
 Jack と Gamma の家を探して、見つけ出した。それより先に、材木町の通りへ出る角で、ぼくのホームにいる演劇クラブの女生徒にすれ違った。そのとき彼女がわれわれに当然のことをしたという話題が、Jack の口をしばらく独占した。Gamma は和服(よくいえば)の下から白くて細い毛ずねを突き出して、門がなくて高い二、三段の石段の上にある玄関の戸の前に現れた。再校正のことについて少し聞いて、われわれはそこを辞した。Jack と午後、行くたびに家畜が供給してくれる新鮮な飲み物か何かにありつける Tacker のところへ行く約束をして別れた。帰宅すると、商用かたがた甲子園で野球を見て、京都のぼくの伯父の家へも寄ったりして、けさ金沢駅へ着いたという七尾駅前の NS の小父さんが来ていて、祖父と話していた。この小父さんの出現は、ぼくの足をしばらく綱で結わえることになった。一時過ぎにようやく、Jack がとっくに行ったあとを追って、ゼンコウジ坂—Jack が少し前まで住んでいた家—重量制限が三トンから一トンに減っていた橋—…と行った。
引用時の注
  1. 「忙殺された」といっても、遊びに行ったことも入れての話である。
  2. 母が泊まりがけで大阪へ出かけたので、その間、祖父は近くの Y 伯母の家で面倒を見て貰うため、午後からでも引き取られて行ったのだろう。

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