2013年5月11日土曜日

知恵の環


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 9 日(日)雨

 調印が終わった。夕刊も四ページ建てで、第一面に三センチ四方の文字を並べた凹版横書き見出しで「新生日本ここに誕生」と書いている。三面にも四面にも、「イバラの道」の四文字の入った見出しがある。(注 1)

 冷え冷えとした雨。鼻風邪。机の横に湿らせられ丸められた紙が幾つもたまる。
 階下の Tokie ちゃんが
と書いたときに、ちょうど彼女がやって来た。長い O 型の環と六つの小さな環が上下について、後の環が前の環にはまり込んでいる一連の金属製品を持って。「知恵の環」だ。なかなか解けない。二つまで出して、前から四番目の環が落ちるところまで(あとから分ったところによると、これは、ほとんど外したうちに入らない)行ったが、それからは、いままで通りに行かない。これを明日、修学旅行に持って行って、皆を困らせるそうだ。昨年のわれわれの修学旅行が思い出される。今年は大阪へも寄るそうだ。彼女は、父君にナイロンの鞄を買って貰い、「思いもかけなかった」と喜んで、ぼくの母に見せに来たりした。
 知恵の環は、金属が熱くなるほどひねくり回したが、いっこうに新しい段階に進まない。考えもなく手だけを動かしているが、頭では、いろんな小説や物語や神話に出て来る、難問題をかけられた勇ましくて知恵のある、そして最後には解決した架空の人物を、しごくロマンチックに思い浮かべたりしている。刑務所に勤務する Tokie ちゃんの兄君も覗きに来て応援してくれたが、全然進まない。どうかした拍子に、小さい環がパラパラと落ちて、振ってみると第五番目の環が一つだけ残っている。これがまた、しばらくどうにもならなかった。結局、一つ落とすには、その前の一つがはまっていて、それよりも前のものははずれていることが必要と分る。このような条件に合うように、「二段上って一段下りる」式に反復して行くと順々に片付くのである。(こういう説明では、Sam が Neg に教えていた将棋の駒の場所替えと大して変るところがないようだ。将棋で鍛えられた Sam ならこの知恵の環はすぐに解けたかもしれない。)
引用時の注
  1. 第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約(サンフランシスコ条約)が、この前日の 9 月 8 日付けで調印された。同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名されたのである。「イバラの道」は、沖縄問題などに、いまなお続いている。

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