2013年9月10日火曜日

早めに年末の反省/作文の課題は「忘れ得ぬ人」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 10 日(月)曇り[つづき]

 Mouse 先生は四十点以上を全部読み上げられる。この科目でだけ一緒になり、机が隣だが、まだ言葉を交わしたことのない MYK 君や、それに、Otaké や Jap や Garap らも九十点以上を取っていた。さる八日の五限に成績が発表された試験での Vicky と同じ点しか、ぼくは取れなかった。Vicky は、英語研究クラブに属するだけあって、完璧だった。彼女は、科目によっては、試験後に多少自信なさそうな様子をしているときもあるが、常に素晴らしい成績を収め続けている。YMG 先生が「手ごわいおなご」といっていたが、全く、その通りだ。

 昨夜の煩悶はどうだ…。天地がひっくり返るようなことが起こるのを望んだりする。空想が現実になったら、人類はいかに素晴らしい生活を営む動物であり得るだろう。いや、子どもじみた考えに空気をつめ込んで、ふくらませ、もてあそぼうとするのではない。しかし、しかし、…。

 三週間後にこのノートに書くべきことを書いてしまおう。
 「いままでの中で、精神的苦悶の、それも得体の知れない悩みの、最も多かった年。その苦悶の報償として、どんなものも得られなかったではないか!」


Ted: 1951 年 12 月 11 日(火)曇り

 「で」と書いても「によって」と同じじゃないかなぁ? 通釈をしただけでは駄目なところが一つあったのを見落としていたなんて馬鹿らしい。もう一つの問題は、確かに参った。
 図画。あれでも 10 点が貰えないのか。Pentagon 先生は、「ちと惜しいですね」とばかりいっている。
 国語甲は、作文。「忘れ得ぬ人」、それも平凡な人でなければならないというのだ。どこで誰がどんな善行をしたのを見て深く感銘を受けたとか、どこそこで見かけた人がどうであって、未だに心に残っているとかいう記憶が全く出て来なかったから、抽象的な、気違いじみたものを書いた。Peanut 先生は、どう読み取られるだろう。もっとしっかりした末尾を書きたかったが、時間が来てしまった。読み返す暇もなかった。
 H 時は、いつか SMM 君のいっていた撤回が不首尾で、スポーツとなる。討論会には、わがホームから誰が出るのだろう。

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