2013年9月30日月曜日

いまは思索を遠ざけなければならない


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 27 日(木)曇り

 午前、高文連新聞部報の原稿(十月二十日に行なわれた研究会での講師の話の、速記録を普通の文字へ訳した文から作った概要)を持って登校。ちょうど九時に家を出て、遅れたと思って、編集室のドアを押したが開かない。そこへ Compé と二年生の UN 君が相次いで来て、それからずいぶん待ったところへ、この仕事の責任者の KN 君が、「ずっと先に来ていたのだ」といって現れた。

 やはり馬鹿だ。Jack の家で二時過ぎまで、何をしようか、何をしようかと。将棋に強硬に反対したときは、自分でも、あんまりだと思ったが…。交替交替で書く小説を、ほんの序の口ばかり二つ。追求の対象が漠然としていて、ものにならない。
 Lotus の間接的招待——。Jack のところへは、彼が昨夜の豪雨を冒して、伝えに行ったそうだ。ぼくが Lotus の家へ行っても、何の役割も果たせない(注 1)。しかし、ぼくにとっては、行った方がよいのだ。

 ああ…、もう書けない。母の血沈が 65 もあるそうだ。
 どこか遠くの山にある洞穴の中を恐怖を抱きながら歩いてみたい。いや、そんな状態が、すぐそこに来ているのかもしれない。
 世界よ!生命よ!
 何と狂わしい自分の心だろう。何と窮屈な現実だろう。
 思索! このことを、いまは、あくまでも忌み嫌って、遠ざけなければならないのだ。そして従順に? …それは、たまらない!
引用時の注
  1. 遊びであれ、会話であれ、Lotus には、すべてを取り仕切るようなところがあったので、こう思ったのだろう。

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