2013年8月31日土曜日

『徒然草』第二十六段や第二芸術論


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 3 日(月)晴れ

 国語乙は、先生がわれわれの意見を聞く時間だということで、少し変った授業の進め方だった。前半は『徒然草』第二十六段について先生が解釈を進める間に次々と質問を出されるという形で、後半は、フランス文学者・評論家、桑原武夫の「俳句の第二芸術論」の説明があり、それに関して自分たちの思うことを述べるのだった。Jack が真っ先に手を挙げ、「必ずしも」などという、こういう問題を論じるにふさわしい数個の言葉を挟みながら、「第二芸術」を是とする論を述べた。その途中で鐘が鳴ってしまったが、水曜日の時間にこの続きをするそうだから、楽しみだ。少し考えておこう。
 解析の時間、ヨウコ先生の質問に誰も答えないので、先週から三回ほど連続になるが、一日を通じて三回あれば多いほうの挙手の機会に、ぼくが手を挙げて授業の進行を早めた。しかし、答えてみると、やや見当違いの答だったことに気づく結果となった。
 『徒然草』第二十六段に「忘られぬものから」とあるところを、先生がそのまま読んで行かれたので、脱字があるのではないかと、図書館脇の部屋へ単身乗り込んで、先生にいって来た。いま、『対訳徒然草新解』を開いてみると、「忘れぬものから」となっていて、教科書のほうは、脱字でなく余分な字が入っていることになる。[口訳]では、「忘れられないものの」となっているが…?(注 1)
引用時の注
  1. 「脱字」と思って先生にいいに行った内容と、それに共通する日記末尾のこの疑問は、口語的発想のものだった。

2013年8月30日金曜日

障子張りなどの日曜日


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 2 日(日)曇り

 朝のうちに障子張りを済ませなければならなかった。1ヵ月に一回ぐらいの割合で北国新聞についてくる細長い紙の一部分で買ってきた紙を張る。ベタベタッ、ベタベタベタ。シューッ! ピンピン。スゥスゥスゥ。シュッ。いっちょあがり! 熟練しだしたのと済むのがちょうど一緒ぐらいだ。

 もう正午に近い時刻になってから、理髪店へ。晴夫君が働いている。ぼくは彼にして貰うことになる。電気バリカンのガーガーいう音と、のど自慢とをごっちゃにして耳へ入れる。ソロリソロリソロリ。馬鹿ていねいにしてくれる。どちらかといえば、恐る恐るのたぐいだ。同年齢でありながら(No, no, 彼は満十五歳十一ヵ月だ)、彼はこんな技術を得ている。いや、いま得ようとしているのだ。

 ぼくの家から右手へ四軒目の家でドリルを借り、長町小学校の少し手前の向かい側の店で、ボルトとナットを買ってきて、やっと作り上げた。
(注 1)

 風呂へ。浴槽内で狸君に合う。進学についてだいぶん迷っているらしい。必要と思われるものの説明を一応しておいた。もう四ヵ月もすれば、やがて新しい生徒がぼくたちの学校へ入ってくるのだ。
(注 2)
引用時の注
  1. 何を作り上げたのか、ここだけでは不明だが、何週間か前に関連の記述があったようだ。
  2. 短い四つのパラグラフだけからなる日記だが、高校一年生の初冬の日曜日の雰囲気がよく出ていると思う。

2013年8月29日木曜日

朝のイザコザ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 2 日(日)晴れ、夕方雨

 SCAP へ英語弁論大会を聞きに行きたいが、アチーブメント・テストを控えての日曜日とあっては、快く付き合ってくれるものは誰もいないだろう。Sam と昨日約束しておけばよかった。

 大変な剣幕のようだ。おや、泣き出した。「母さんを見下げないで!」だって。彼女の母も階段を上がって来ているらしいぞ。朝食に用いた食器を半片付けの状態にして部屋を出て行った母が、妙な調子でいい返しているぞ。なぜ、そんなに堂々めぐりの話を続け合って興奮しているのだ。溝掃除に出てくれとのことだといったとか、うちにも男はいますといったとか、水道代がどうとかで済みませんといったからどうだとか、人情だからとか、裏を考えるとか、奥さんは気兼ねな生活というものを知らないとか、私は愚か者だからとか…(朝記す)。(注 1)
引用時の注
  1. 泣きながら「母さんを見下げないで!」といったのは、間借りしていた家の長女だろう。家主の家族と間借りしている家族の間には、いかに平和が保たれていても、時として衝突が起こる。大連から引き揚げ後、何軒も移り変わって長年続いた間借り生活の間、母の苦労は大変だっただろうと思う。

2013年8月28日水曜日

X は 1 ページ分もない


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 1 日(土)曇り

> ブランク時には、長らくぶりでタイプをしないことにして、図書館で産経と朝日の両新聞を読んだりした。

 「X から始まる単語を五ついえ」と、Keti にいってみる。"Xmas" だけはどうにか答えてくれたが、あとは駄目。ところが、ぼくの "Concise" を開いて驚いた。X は 1 ページ分もない>
(注 1)。Xanthic、Xtian、Xenon、Xylograph、Xylophone と、どうやらこれだけを選んで覚えておく。

 国語のテストが返される。二枚あるのだが、一枚は −2、−3、−1、…と減点され、「ちりも積もれば山」とやらで、 85 点。もう一枚は、この前の定期考査のだったが、あの時はなかなかやっかいな問題だと思っていたのに、いま考てみると満点を取れなかったのが不思議だ。「げきれい」の「げき」を「ぎょうにんべん」にして −1、他にもう一つ痛い失敗をしたので、二枚の平均は 90 点にほんのちょっぴり足りない
(注 2)

 "Y'day" とはどんな意味か分るかい。Yesterday の略だそうだ。「昨日」と書くのより楽で速いようなら、y'day を使おう。
引用時の注
  1. 私が常用している英英辞典 Longman Dictionary of Contemporary EnglishConcise よりページ数が多い(絵や図が多いが)にもかかわらず、 X は半ページもない。他方、時折参照する『ランダムハウス英和大辞典』には、3 ページ余りある。
  2. 「この前の定期考査」の点は 94 点と推定出来る。2 カ所間違ったから偶数の点であろう。そして、94 点ならば、85 点との平均が 89.5 点となり、「90 点にほんのちょっぴり足りない」を極めてよく満足させる。

2013年8月27日火曜日

この頃はだいたい 1800/10 分


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 30 日(金)

 それでも思うように指が働いてくれない。先週のきょうは、10 分で 1500(注 1) をオーバーした日だった。先の日曜日には、ついに 2000 を突破して有頂天になっていたのだが、この頃はだいたい 1800 ぐらいで安定している。まだ誤字がしばしばで、粗雑だが、一応はいけるようになってきた。
 「保健」といえば、誰でも「また Kinta か?」と、うんざりする。アセンブリーは、「保健委員会の報告」であった。初めに、二人ばかりが保健委員会の機構と活動について、うじゃむじゃと、その大部分の時間、視線を机の上に向けて話していた。そのあとで "Kinta" の登壇! Element, ..., emotion, ...(注 2) Kinta 先生は何をいっていたか知らない。
引用時の注
  1. 英文タイプの字数。
  2. Sam は単語集で英単語を覚えていた。私は、英語のリーダーに出て来た単語をほとんど残らず覚えるようにしていたので、単語集を使って覚えることはしなかった。

2013年8月26日月曜日

Vicky が懸命に/書き続ければ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 30 日(金)曇り[つづき]

 生物の時間には、昨日の「話の泉」で最初に誰かが反対に答えたことを習った。(前から知っていることだから、「習った」というより、「出て来た」というべきか。)
 社会の時間、先生が入って来られる前に、Vicky が何か懸命に鉛筆を動かしていたので、隣席のぼくは、紫中の田中先生の時間に Sam が何か書いてくれるのを待っているような錯覚に陥った。そして、「労働問題」の箇所で試験に備えて気をつけておくべき事項を先生が口述され、それを筆記しなければならないことも知らないでいた。Vicky が悪いことでもしていたように、やや飛び出て見える目を異様に輝かせながら、何を書いていたのかぼくが永遠に知ることのないだろう紙片をノートに挟んで、鉛筆を取り直したので、やっと自分のなすべきことに気がつき、あわてた。——表紙に工場の煙突が三本描かれている教科書をきょうで終わる。


Ted: 1951 年 12 月 1 日(土)(注 1)

 いまから書き続ければ、Sam がこの二週間に使ったページよりも沢山のことがあるだろう。しかし、きょうの午後は何も「積極的に得」たり、「能率的に理解して摂取し」たりしなかった。
 両脇に体重を託し、腹部を両手のひらが握っている棒に近づけ、足をどうかしてから、頭を 360° 回転させてその上に上がるという動作は出来ないとしても、おまけに自分の周りにいる少なくない勤勉家たちをして、ぼくの…。(注 2)
引用時の注
  1. ノートに日付けはなく、Sam とノートを交換して手にしたばかりのノートの Sam の 11 月 29 日付け日記に続けて書いてある。しかし、続く私の日記は 12 月 2 日付けで、そこには前日 Sam に会ったことが記してあるので、この日付けが推定できる。
  2. 「体育の時間に鉄棒の逆上がりが出来なくて恥ずかしく思っているので、その上、学課の勉強でも何人かに負けて悔しい思いをしたくはない」ということを途中まで書いたのである。

2013年8月25日日曜日

Chons 先生が祖父を訪ねて


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 30 日(金)曇り

 夢想と恐怖。何もかも、一時的なものに過ぎないじゃないか。何もかもが…。何もかもが…。その一時的の中にあって、一時的とは何かを極めようとする。こんなことが偉大だと考えられている。そして、それを信じる。それも一理あるだろう。いや、そうしなければならないだろう。われわれは、それ以上のことについて、知る力を持たないのだから。
 こう考えると、中庸ということが分らなくなってしまう。あり得ないと思われて来る。しかし、あのように存在するではないか。

 Chons 先生(注 1)が祖父を訪ねて来られたから、驚いた。気の毒にも、先生は聞こうとした話(明治三十五年に出来た金沢博物学会とかのこと(注 2))を聞けないで、興味のない祖父の長話に、もじもじしていなければならなかった。先生の声は祖父の耳に聞こえるにはあまりに小さかったので、初めに自分がどういうものかや、何を聞きに来たかを、半紙に万年筆でしたためた。一行目は下の方に「私は」だけ書くという書き方である。ぼくの父をよく知っていたとも書いた。祖父からは何も得られないと悟った先生は、帰ろうとして、「いろいろお話をうけたまわりまして…」と書いたのだが、それを受け取った祖父は読もうともしないで、「ドイツの婆さんが…」、「レンテンマルク(注 3)が…」と続けるので、可愛そうになった。[つづく]
引用時の注
  1. 私が中学で理科を習った先生の一人。とても、もの静かな方だった。Chons のあだ名は、タンパク質を構成する元素、C、H、O、N、S を「チョンス」と覚えればよいと教えたことから。
  2. 明治三十五年(1902 年)といえば、私の母の生まれた年であり、祖父はその頃、金沢市内のどこかの学校に勤めていたので、Chons 先生は「金沢博物学会」について何か聞けないかと思ったのだろう。
  3. 当時は「リンテンマルク」という人名かと思って聞いていたが、いま思えば、祖父は「レンテンマルク」(ドイツでハイパーインフレから経済を立て直すため、1923年から発行された臨時通貨。不換紙幣)について話したようだ。

2013年8月24日土曜日

こんなことばかり考えているようでは…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 29 日(木)雨

 こんなところだったのか。祖父の手紙を投函しての帰りだ。帰りならば、



こんなことでは、駄目だ。働くことを知らない雄蜂め。何を追う。どこまで追う。そして、自分は何を持っている?(注 1)



地面にたまった水の上一面に落ち葉が浮かんでいて、足駄の歯がどこまで沈むか見当がつかないところを避けながら歩いて来るうちに、もう家だ。

 勝利がどんなものであるかは分る。しかし、喜びがどんなものであるかは分らない。これを追求しなければならない。これが分らなかったならば、二つが合わさった勝利の喜びというものは、ぼくの中で、はなはだしく抽象的、観念的なもののままになるか、あるいは、歪められたものになるかするに違いない。そして、そのことが、勝利ということだけを切り離して考える場合にも、それをよくないものにするだろう。
 …喜び、やはり、喜びだ、われわれが常にその中に浸っていたいものは。…それについて、どう考察するのが正しいかは分っている。(こんなことばかり考えているようでは、神はぼくに時間を与えることをちゅうちょするようになるかもしれない。この辺で止めておこう。)
 …(同じことをくり返しそうだ。無理に押しとどめて、形式的なことを書き、きょうはそれで鉛筆を取るまい。)

 Peanut 先生の時間の自習は、Jack の質問に応じたが、その中の二つは家へ帰ってから考えてみなければならなかった。アセンブリーは休会。
 帰ってすぐに、教科書を開いてみたら、わけのないことだった。勘違いと軽い忘却とは、しばしば、われわれを襲わないではいない。Jack が日曜日にぼくとしようという総復習は、試験の前に当たって不必要でもなかろう。
引用時の注
  1. このパラグラフは、5 行分を消すために貼った紙の上に書いてある。

2013年8月23日金曜日

テスト問題から


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 29 日(木)雨[つづき]

次の俳句の( )の中に一語を選んで入れよ。
 米洗う前( )ほたるの二つ三つ
(1) で、(2) に、(3) を、(4) へ、(5) や
(注 1)

次の各問につき正しいものに○を付せ

(A) 外国人とは
(1) 日本の国籍を有しないものである
(2) 外国の国籍を有するものである
(3) 何れの国籍をも有しないものである

(B) ロンドンに住所を有する日本人の女子とローマに住所を有するフランス人の男子とが中華民国で婚姻したとき、その婚姻はどの国の法律によって効力を得るか
(1) イギリス法 (2) フランス法 (3) 日本法 (4) イタリー法 (5) 中華民国法

 Ted は、「どこのアチーブメント・テストだい、それとも Sam の一斉考査の?」と思うだろう。No! これはほんの一部。『学苑』十一月号付録の中から抜粋したのだ。
引用時の注
  1. 当時の私の解答は見当たらないが、いま、「米洗う前をほたるの二つ三つ」でインターネット検索してみると、次のようなブログ記事があり、わが意を得たりと思った(『ことば会議室』[633];その上にある [625] にも、同趣旨の、より古い文献が二つ紹介されている)。しかし、Sam から同様の説明を聞いたことが頭のどこかに残っていたのかもしれない。
    […]東京書籍「新編新しい国語」2〔中学2年国語教科書〕(平成8年2月29日文部省検定済)p.159に「有名な話」として載っていたのを読んで知りました。教科書ではこう紹介されています。
    「  米洗う前に蛍の二つ三つ
    という句を作った人が、『米洗う前を蛍の二つ三つ』がいいと、先生から注意を受けたという有名な話があります。この句は、『に』でも『を』でも、言葉としては自然です。どちらも間違ってはいません。しかし、『に』を使うと、米をといでいる自分の前に蛍がいるというだけの意味ですが、『を』を使うと、『蛍』が自分の周りを飛びまわるという意味が出ます。飛んでくる蛍と、飛び回る蛍、『を』のほうに動きがある、そこで、『を』のほうが句としてよいということになるのだと想います。『に』『を』、たった一字の違いですが、意味のうえではこのような違いが出るのです。」

2013年8月22日木曜日

西部劇『セントルイス』


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 29 日(木)雨[つづき]

 母に貰った券で日活へ。ニュースに先んじて、CIE 提供の『高崎市の市民新聞』(注 1)(こんな題ではなかったが、内容はこんなものだった)がある。あまりにも話がうま過ぎ、どこか不自然だったが、よい参考になった。
 西部劇『セントルイス』(注 2)。スリー・ベルたち。彼らはいわゆる trio。南北戦争によって、彼らの牧場と家を焼かれたことがきっかけとなって、…。その名は、キップ、リー、チャーリー。リーは南軍に加わる。他の二人は牧場を再建するため、町で知り合った女にいわれるまま、密輸に加わる。危ないところを南軍に救われる。その南軍にはリーがいた。彼らは何回かそれを続け、南軍はそれにより得るところ大。勢力を挽回する。
 …そのうち、やがて、…キップの恋人の心がリーに移る。チャーリーがキップを亡き者にしようと企てる。三人は、今はてんでんばらばらの状態。…南北戦争が終わって、リーは警備隊長に…。密輸の富を一人でかかえ、悪党の親分になりすましたチャ−リー…。キップの恋人はリーと結婚し、キップは自暴自棄になろうとしている。町で知り合った女、彼女はキップに恋をささやく…。かつてのキップの恋人が、夫を助けてくれとキップに懇願に来る…。No! …しかし…。翌日、からりと晴れた朝…。ハロー! ハロー! キップとリーだ。「雲行きが悪いぞ。雨をいとわないなら、二人で散歩に行こう。」靴につけたベルが鳴る。清い音! …30 m、20 m …、凝視しているチャ−リー…。彼の心は…。
 バァーン! 拳銃の雨。チャ−リーはキップかリーのどちらかを射たか…。No, no. バァバァンバァン、バァバァンバァン。スリー・ベルたちの心は再びとけ合い、通い合って戦う。悪党全滅。いや、まだ早い。生き残りの一人が裏切り者のチャーリーを射た。チャーリーは、「俺が死んでも[スリー・ベル牧場の]看板は変えないだろうな」と遺言して、息絶える。…それから数日、一台の幌馬車に揺られて、キップと、町で知り合った彼の恋人とは、平和な牧場に新しい生活の第一歩を踏み出そうと…。[この日の日記は、さらにつづく]
引用時の注
  1. 1950 年 4 月、連合国軍総司令部(GHQ)新聞課長のインボデン少佐が高崎で講演し、民主主義と地域社会の発展には郷土新聞の発行が欠かせないと説いたことをきっかけに、紙不足やインフレのため前年に廃刊になっていた『群馬新報』を引き継ぐ形で、『高崎市民新聞』が 1950 年 6 月に創刊された。映画の本当の題名は『高崎での話』。こちらに詳細な説明がある。
  2. 原題 South of St. Louis、レイ・エンライト監督による 1949 年の西部劇映画。

2013年8月21日水曜日

花式図を花式に直せ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 29 日(木)雨

 九分通り OK だと思って提出したのだが、あにはからんや、数分後に、早合点と不注意によって二ヵ所のミスをしでかしたのに気づいた。その一つは


の花式図を花式に直せというのだったが、P6A6G(3) と書いたままにして、平気でいたからだ(注 1)。もう一つは血液型の決定に関するものだったが、それは、標準血清は凝集素を持っているのだからと思って、凝集元だけしか考えなかったので、片手落ちになってしまう。その他に、トリプトシンを脂肪分解酵素の仲間に入れたり、クエン酸ソーダの血液に働く作用を「血液の可流動作用」などとでたらめを書いてみたりしたから、75 点ぐらい取れればまあまあよいだろう。[つづく]
引用時の注
  1. 私も高校一年で生物を選択していたが、花式図や花式について習った記憶はない。習いながらも、すっかり忘れたのだろうか。

2013年8月20日火曜日

最小の空間でなし得る運動を…/テストのスケジュール


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 27 日(火)雨[つづき]

 Pentagon 先生もお休み。代理は、褐色の薬ビンを思わせるような家庭科の先生(Gamma や YMG 君や、新しく新聞部に入った Compe、もちろん、Jack や Tacker らも一緒に昼食時間に割烹室で火鉢に当たらせてもらうことを懇願して、聞き入れて貰うという親切を示されたばかりだった)。Pentagon 先生が刷られた「カット練習を行なうこと」というプリントを渡されたが、何をするのか要領を得ない四行の言葉があって、手をつけられない。そこで、Twelve と Jack に紙を回して尻取り川柳をした。四十九句作って、相互採点にかかろうとしたとき、時間が終わった。こうして遊び騒いだためか、顔がほてって仕方がない。

 先週までの天候とは、めっきり違う。Jack は、青いオーバーを授業中も着たままだ。頭上に押しかぶさっている雲をわずかに透して来る、夏の暮れ方にも劣る光を、白い頬で跳ね返しながら、最小の空間でなし得る運動(注 1)を休み時間毎にしている Vicky が見受けられる。

 出て来た。出て来た。これは何としたことを書いたものだろう。「代数的に解けない」問題ではないか。だから、未だに解ききれないのだ。
(注 2)
引用時の注
  1. 縄跳びのこと。
  2. 数学の問題のことではなく、何かを数学に例えたのだろう。

Ted: 1951 年 11 月 28 日(水)Sleety[みぞれ]

 アチーブメント・テスト
(注 1)のスケジュールが発表になる。といっても、Crow 先生はわれわれのホームで知らせなかったから、解析の時間に Jap から聞いた。六日、社、英、国乙。七日、生、保。八日、解、国甲、図。
引用時の注
  1. 学期末テストをこう呼んでいたのは、わが校の風習か、あるいは、高校進学時の県下一斉テストにならって、私だけがそう呼んだのか。Sam は「一斉考査」という言葉を使っているが、わが校では少なくとも「考査」という古めかしい言葉は使われていなかった。

2013年8月19日月曜日

解析の予習が進む


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 27 日(火)雨

 YMG 先生が休まれた(誰かの説によると風の当たる面積に比例して早く風邪を引かれたそうだ)二限には、解析の教科書とノートを出して、「二次関数の最大・最小」の前までを全部やってしまった。三限の Peanut 先生もお休み(ご母堂が亡くなられたとか)で、代りの先生が、出席簿に未届けの欠席を多く発見したことから、単位未修了ということや、英語の勉強方法などを話され、時間の 4/5 がむしばまれた。
 H 時はレコード鑑賞の予定だったが、ざわめいていたわれわれを席につかせた Atcher は、何とかの理由で蓄音機が借りられないといって、この時間と、今学期の残り三回の H 時の予定を議論することにした。Crow 先生はまだ現れない。誰も発言しなかったが、「四日 自習時間、十一日 スポーツ、十八日 二学期の反省」と決定した(ことになった)。次の瞬間、われわれは、きょうの H 時を費やすべく体育館へ流れ出た。そこで、しばらくぽかんと立っていると、同じくスポーツをすることになったらしい十一ホームの Tacker が近づいて来た。彼は、SMM 君と H 時の是非をめぐる小規模な討論をして、「ホームは連絡機関に過ぎんと思う」と極言した。SMM 君は明日の SH 時にでもきょうの決定を撤回させようかというので、大いに賛意を表明した。[つづく]

2013年8月18日日曜日

自分を励まさなければ/学生俳句連盟句会の句


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 25 日(日)雨

 もっと自分を励まさなければならないと思う。


Ted: 1951 年 11 月 26 日(月)雨、強風

 辺りを枯れ色と灰色に染めつけながら、冬が踊り込んで来た。
  お(凍)りついてる
  ラスは寒く
  んまんと咲く
  も(霜)の花
こんなので、五円を使うまでもあるまい。まだ、霜の花が出来るほど寒くもない。(注 1)

 先生方がレントゲン検査に行かなければならないので、四十分授業だった。しかし、レントゲン検査は水曜日に延期になったとかで、「授業料を損した」という者や、何を「儲け」たのか、「儲けた!」と喜ぶ者が出た。
 国語乙。昨日、小坂神社で行なわれた学生俳句連盟の句会の話と、先生が選者となって選ばれた句の鑑賞が、この時間の授業の全部だった。黒板に書かれた十数句の中から、各自がよいと思う三句に挙手する方法で選んだベスト・スリーの中に、先生が秀逸とされたのは一つもなかった。
 1. 石蹴って少年草枯の野横切る
 2. ……
 3. コンクリートの溝つきて枯草
先生が選ばれたのは、このような、調子の狂ったものだった。(二番目の句も、技巧的なものだったが、忘れてしまった。)兼題の句を作って出した Jack の作が、二句まで少し点が入ったといって、彼は大いばりだった。面白いものだ。出してみればよかった。

 辛い。辛い。辛い。確かに、それは励ましになる。しかし、そんなものに励まされたくない。自分でもっとやってみないで、何が出来るか!
引用時の注
  1. 「こがらし」で折り込み都々逸をつくるというのは、NHK ラジオの番組「とんち教室」の聴取者への宿題だったか。「五円を使う」は、「葉書で投稿する」の意。

2013年8月17日土曜日

『原爆の子』と『赤と黒』


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 23 日(金)雨、24 日(土)晴れ、午後雨

 また、大変なことを始めた。新しく始めることは、いつも、細かくて煩雑なことばかりだ。しかし、何をするといっても、いまのわれわれには「完成したもの」は出来ない。あるところまで整っても、それは一点の非の打ち所もないものとはいえない。だから、これも、出来るだけやって行こう。

 『原爆の子』と『赤と黒』、どちらを先に読もうか。前者は、長い序を読み終わって、児童たちのいたいけな回顧と叫びである文を五つ六つ読んだばかりだ。昨夜はどちらも開くことが出来なかった。教科書類にも時間割を揃えるときしか触れなかった。

 一限の始まる前、二限、三限、それぞれの時間に軽い失策を一つずつする。四限は、各クラブを回り歩いて、変動を調べた。

 第三問:動物・うどんの好きな人
1 水の江さんに関係ある?
2 舞台に出る?
3 人間?
4 状態?
5 見て分る?
6 音楽・映画に関係?
7 男女ともにある?
8 おかしな状態?
9 例えば、うどんの好きな人?(大笑声と拍手)例えないで、うどんの好きな人!(正解者・柴田)(注 1)
引用時の注
  1. NHK ラジオの番組「二十の扉」を記録したもの。第四問を除いて、第一問から第六問まで、同様に書いてあるが、ここでは、最も少ない質問で正解の出た第三問だけを引用した。他の問題については、質問の詳細を略して、ここに結果を記す。第一問、植物・ろうそくの芯、16 番目の質問で大下が正解。第二問、鉱物・ヒューズ、14 番目の質問で大下が正解。第五問、動物・おでん屋ののれんの下から出ている足、20 番目の質問まで正解が出なくて鐘。第六問、動物・パチンコ台の上から覗いている首、20 番目の質問で「のどから手が…じゃない」という発言があって、鐘。

2013年8月16日金曜日

一人の生徒が定時制へ/Blank, but 貴重な日々


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 23 日(木)晴れ

 解析が休講になったから、三限と四限は連続で授業がないことになる。これでは何のために学校へ来ているのか分らない。いやいや、くよくよしないで、思う存分、大気を呼吸すればよい。

 来る二十八日と二十九日に一斉考査があるそうだ。一斉といっても、ぼくは国語甲と生物だけでよい。一番多くても六科目受ければよいから、大したものではない。
 一人の生徒が定時制へ変った。家庭の事情でとかいっていた。これだけが、SH での伝達事項。


Sam: 1951 年 11 月 24〜28 日

 Blank, but 貴重な日々だった。でも、書き表す努力を払うのが無理だ。何だ! 単なるいい逃れ!

2013年8月15日木曜日

国語教科書に誤植が多い;アセンブリーの講演は感心出来ない


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 22 日(木)晴れ

 実にまずい。
 木曜日にはいつも、一、二限が早く済んでしまう。
 社会は、進み方が速いだけで、先生がつらつらと読まれるページ数に比例して、われわれの感じる時間の長さが延びるようだ。
 国語乙は素朴の美について書いてある「文化の遺産」を終わる。先生が質問がないかといわれたとき、Jack が「侵潤」と書いてあるところを先生は直されなかったが、「浸潤」ではないかといった。ぼくはすでに校正してあったので、先生が辞書を引いておられる間に、「うん、おかすでは、おかしい」とつぶやいた。次の課へ入ると、四号活字のところで、もう脱字がある。その次のページには、「享楽」の「享」が Peanut 先生の表現によれば「春風亭流橋の亭」になっている。
 アセンブリーは講演会。講師は、北国新聞に連載された林芙美子の小説の題と旧仮名遣いが新仮名遣いになっただけしか違わない題の随想を同じ新聞のさる十三日づけ夕刊に書いていた、石川県社会教育課長 M・K 氏
(注 1)。文化委員長が「いかめしい肩書きにも似ず、優しいお爺ちゃん」と紹介したのに対して言葉を返し、一昨日の北国新聞「北窓」欄にあったダイヤのエンゲージリング紛失事件の張本人である(それは子供部屋に落ちていた、と書いてあった)だの、「あわれ人妻」を書いただのといって、自分の精神の若さを述べることから始めた。早口で、ともすると自己吹聴になり、テーマであった「学生に何を望むか」に無理に結びつけようと、耳新しくもない抽象的な熟語を並べたりで、あまり感心出来なかった。

 Atcher が編集室へ入って来て、Jack とぼくに、発明ということがいかに莫大な利益を発明者にもたらすか、また、それがいかに些細なヒントから生じるものかを『実業経済』とかの本で読んだといって、巧みに話してくれた。
 アセンブリーの始まる前、Lotus は二次関数の不意試験があったといって、細長い答案用紙を見せてくれた。よく出来ている。なかなかやっている。
引用時の注
  1. 日記には、夕刊の随想欄から切り抜いた M・K 氏の、直径 12.5 mm の顔写真が貼ってあるが、ここでは省略する。

2013年8月14日水曜日

「日本は狂っているか」/それを国語乙の作文に


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 20 日(火)晴れ

 解析ではヨウコ先生の期待を裏切ったようで、大きな顔が出来ない。黙っていよう。黙っていよう。
 H 時は講話ということだけが決まっていたのだが、ホーム委員の Atcher は Crow 先生に講師を頼んだ。それで、珍しくもない先生の、琴の糸が切れたときのような音の声での話を聞くことになった。京大学生事件の話から始まって、ふっと別のことを話の中へ引き込んで行く話し方で、「日本は狂っているか、狂っていないか」だの、「安全保障条約は、アメリカではこう解釈し、フィリピンではこういうつもりで、オーストラリアはこうこうで」という話もあった(注 1)。結びは、「勇気」という二字と、「若い時は二度と来ない」という言葉だった。「時」が限りなく清く尊いものに思われて来た。と同時に「無力」ということも考えさせられた。
 生物の実習でない方の試験がある。予想外に簡単。自分にとって簡単ならば、他人にも簡単(とは決まっていないが)。兼六中卒業時に市長賞を貰ったのだと Jack が教えてくれた材木町の文房具屋の Atcher も、何かでまぶたを長い間つまんであったのをはずしたばかりのような目つきで、「軽かった」といっていた。彼は Jack のいまの家が近くて、最近互いによく行き来しているようで、編集室へ寄って Jack に、明日は英語と社会の試験の「二本立て」だといい、Jack から問題を聞き、「また来い。きょうは来るな」といい残して、さっさと出て行った。
引用時の注
  1. Crow 先生の専門は地理だったが、いま思えば、時局の問題についてよい話をされたのだ。いまこそ、こういう講話が必要な時代になっている。


Ted: 1951 年 11 月 21 日(水)晴れ

 四月頃は、一日を数日のように感じたりしたが、二学期は日の経つのが早い。教科書通りの英文がずらずらと書いてあって、その解釈ばかりをする試験も、Jack が真っ先に提出した。彼は、明日まで三日間連続で試験があるそうだ。
 ハンドボールもサッカーも、二班は負け通し。
 国語乙は作文。ここ二、三日以内の学校生活をスケッチ的に、というのだった。昨日の H 時のことを書いたが、一向に新しい趣向のないものになった。

2013年8月13日火曜日

「当たらずとも遠からじ」に/砲丸投げの足の運び図示


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 20 日(火)晴れ

 「ブレトン・ウッズ協定」とは、どんな協定だか、とうとう半分しか思い出せなかった。そのほか四つの問題があったが、おのおの、「当たらずとも遠からじ」の答えを書けた。
 C 時は、よい天気だから「緊張のための伸び」だとか何とか理由をつけて、外で運動するということにした。


Sam: 1951 年 11 月 21 日(水)晴れ

 三限と五限に試験がある。「砲丸投げについて、右手投げでステップをした場合の足の運びを図示せよ」というのが一番難しかった。三限の方は、答案を早く出して、二十分ほどの時間が余ったので、タイプの練習が出来た。

 3·212|3-5|3·213|2--|4·323|4-5|......
やよいさんを慰めるために、佐伯は貝柱(どんなものか Ted は知っているかい。食べものだという他、ぼくには分らなかった)とマンガを贈ったね。
 そのほかにまだまだ
(注 1)

引用時の注
  1. このあとに数語を書き、黒く塗りつぶして消してある。このパラグラフは何のことだか、さっぱり分らない。「やよいさん…」のところは、ラジオ・ドラマの話かと思うが…。

2013年8月12日月曜日

口球ゲーム


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 19 日(月)晴れ

 …美しい空だ。句にしようと思っても、いまのぼくには、昨日の朝刊に松任高校主催の県下高校俳句大会入賞者として名の出ていた AK 君や Vicky や、その他四名ほどのわが校からの入選者が作ったようなのは作れない(気がする)。沈黙し、そして、目の濁りと心のわだかまりを清め去ってから自然を眺めなければ…。

 Kies も変な遊びを考え出したものだ。編集室へ入って来て、長机の上に白墨で halfway line を引き、center circle と goal area と goal を描き、ポケットからピンポン球を取り出した。「用意、ピー!」の合図で、机の両端に陣取った彼とJack が、上半身を折り、口を出来るだけ机に近づけて、その先を尖らせ、その狭い穴で圧縮されて勢いよく放出される空気を使ってゲームを始める。「フーフー」、「ブーブー」とやっている彼らは、ブタそっくりだった。

 体操が終わって整列したとき、Iwayuru 先生が何か話した。そのとき、後ろで、陽を一杯に受けた生徒たちの間から笑声が起こる。何のことだか分らない。解散してから聞くと、先生が「あるいは」といわれたとき、 アリムラ君が「はい!」と返事をしたのだそうだ。それを説明するのに、Garap が、まことしやかに、「先生がハンドちゅうたとき、ホンダ [Hotten] が返事したがや」という作り話をして、汗を流している Hotten を苦笑させていた。
(注 1)
引用時の注
  1. 私自身、同様な間違いをしそうになったことがある。小学校の同窓会で、元女児たちが、かつて休日に学校で先生を交えて勉強会をして、昼食に自分たちでカレーライスを作った思い出話をしていて、その中の一人が「それを食べたさに」(「それを食べたいばかりに」の意)といった。「食べたさ」が、私には「タバタさん」と聞こえ、「はぁ?」と聞き返しかけると、「参加した男の子もいたよね」と続いた。そこで、「ははは、そんなことが…」という笑いにごまかした。しかし、なぜ私が彼女たちの話のその部分に特に興味を示したのか、いささか妙だったかもしれない。

2013年8月11日日曜日

校内球技大会の野球準々決勝


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 19 日(月)晴れ(つづき)

 校内球技大会の野球の準々決勝がある。対二十九・三十ホーム合同チームである。敵はサウスポー投手。わが軍はあっさり三者三振に終り、一回の裏一死満塁となって、内野手の FC で一点を先取された。二回表 2 アウト後、ぼくの最初の打席、第一球、いい球、ストライク。全然打つ意志はなかった。第二球は低めの球、第三球は外角へ流れたシュート。ともに空振りして、三球三振。いくら強打者だと自負していても、それがソフトボールのであったら、何の役にも立たない。

 敵には左打者が四人もいたので、ぼくは守備位置でびくびくしていたが、五インニングで終わった試合の中で、球を処理したのは二回だけ。第五インニングにバットを振ったとき、初めてボールがバットに当たった。しかし、それは投手後方に高く上がったフライで、難あって
(注 1)アウト。

 その間、わが軍は毎回のように死球を与え、内野手の不手際などで、着々と得点され、8 対 0 でコールドゲーム。わが軍は、無安打無得点に終わる。
引用時の注
  1. 「難なく」でもなく、ということか。

2013年8月10日土曜日

「男女交際の礼儀」の話


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 19 日(月)晴れ

 SH のとき、「きょうの第四限は、みんなホームに入っていて下さい」とだけいっておいた。たちまち、二、三人のものが、「何をするんだ?!」と聞きに来たが、「それは後のお楽しみ」といって、煙にまいておいた。ただ、一人、Onew
*にだけは、何をするかを告げてやったら、非常に喜んでいた(彼にだけいってやったという理由より、もっと違った意味で)。

 空間で両足を揃え、腰を伸ばし、反りを利用して、強く足を前に振り出す跳び方がそのフォームである陸上競技の一つの、記録評価がある。ぼくの記録は、これの世界記録を 2 で割り、その商にその商の一割を加えてセンチ未満を切り捨てたものと同じである。

 「男女交際の礼儀」について、HRA から話を聞くというのがきょうのホーム行事である。HRA は観念的な見方を中心に話した。そのあとで、Onew が質問をした。その述べ方が、ぐるぐる回っているようで、はっきりしなかった。HRA は、一般的な回答を与えた。Onew は再び立って、「実は、それはこのホームであったことですけど、先生が先に述べたような処置をとられたのだそうですが、はなはだ遺憾であると思います!」と、今度はズバリと出た。HRA と何人かの女生徒の目に血がどっと流れ出したと思った。HRA は「そんな事実はない」と否定した。そんなことを聞くのは、ぼくには全く不意だったが、それほど驚かなかった。いままであまり考えてみなかった一面を見せつけられたような気がする。
(注 1)[つづく]
Ted による欄外注記
 * 松が枝小の一塁手だった生徒(IT 君といったかな)じゃないかい?(注 2)
引用時の注
  1. Onew が抗議をしたのは、どういう事態へのどういう対応だったのか知らない。しかし、当時の高校生への「男女交際の礼儀」の指導は、形の上で男女が 1 対 1 になることまでもよくないとした、行き過ぎあったように思われる。
  2. この日の記述だけからは、こういう推定は出て来ない。前々からの彼についての記述と合わせて想像したのだろう。Sam の答えはなく、推定の正否は分らない。しかし、この日の後半(次回掲載予定)に記されている校内球技大会の野球の準々決勝で、Sam のホームともう一つのホームとの合同チームは、無安打無得点で、さんざんな負け方をしている。それを読むと、私の母校・石引小の野球チームと並んで県下の二大強豪だった松が枝小チームの一塁手ほどの名手が Sam のホームに、たとえ一人でもいたのならば、そういう結果になったはずがないとも思われる。[Sam と同じ高校にいた友人 J・M 君が、このあたりのブログ記事を読み、 Onew は松が枝小チームの一塁手に間違いないと教えてくれた。しかも、J・M 君は Onew(その時点で故人となっていた)と親友だったそうだ。]

2013年8月9日金曜日

英語の年賀文、芥川龍之介の「みかん」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 18 日(日)晴れ

 Sam は赤い算用数字が 20 個と黒のそれが 9 個、その他にも多くの文字と一つの絵とが印刷されたカードに打つべき英文に困っているそうだから、ぼくが大連で OT 先生に習っていたときのプリントから書き写しておこう。
May every blessing come to you
To gladden all life's pathways through,
May you in everything succeed,
And fortune bring you all you need.

Smile awhile and while you smile,
smile another smile and soon there
will be miles and miles of smile
just because you smiled,
I wish your day is full of smile.(注 1)

The very best of wishes
I'm sending to you.
May joy be yours on Christmas Day
And all the New Year through.

Just a real sincere wish
For a very Happy New Year.
役に立つのがあるかい?

 第二放送六時三十分からの芥川龍之介の「みかん」という文は、『中等国語 一』にあったことを思い出して、その教科書を取り出し、テキストを見ながら放送を聞くことによって、朗読の仕方を勉強した。「俗物の社会と調和したくてもできなかった、孤立した天才のなやみ」が「内部に、なにか絶望的な暗い感じのする」(カッコ内は神崎清による)芥川独特の表現で、濁世や不可解な人生について述べている二、三章が教科書では除かれているのを知った。
引用時の注
  1. OT 先生のプリントにあった文には、今回引用するに当たって文法的に疑問を感じたところが複数箇所あった。そこで、最初の句でインターネット検索をしたところ、こちらに同様で納得のいく文があった。ここではそれを採用した。

2013年8月8日木曜日

薪割り


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 18 日(日)晴れ

 五日も前から日曜日の仕事ということにしていた薪割りというのを、午前中にする。仕事が半分ほど進んだとき、Neg が自転車で顔を見せに来てくれたので、結果的には、途中で休憩したのと同じことになった。したがって、済ませる時間は予定より遅くなり、タイプの練習には行けなくなったけれど、そんなに疲れなくてよかった。
 Neg と Funny のところへ行くと、彼は家にいなかった。同じ町の少し上手の理髪店の鏡に彼の像が映っているのを発見したのは、きょうになってから時計の長針と短針が 11 回目に重なり合った時刻だった。Funny を待つ間に、Neg と大和をざっと見回った。一番長くいたのは、二階で、屋上に通じる階段の一番近くにある売り場(というのは少しおかしいか)だった。

 Ted に足を運ばせてばかりいるが、やむを得ない。大いに感謝しなければならない。そして、Ted は睡眠時間も入れて一日の約 1/7 をぼくの後について来るために使ったのだから、気の毒だ。それでもきっと、Ted は何か得るところがあったと書くだろう。いつも「月並みのコース」ばかりだから、そんなに面白いこともなかったかもしれないが——。それよりも、中央公民館まで行けばよかったんだ。Ted は知っていなかったのかい。ともあれ、「Ted が明日はきょう以上に身体的トラブルにとらわれないように…」と思うよ。

2013年8月7日水曜日

解析の試験で間違う原因


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 17 日(土)雨

 こうも間違ったのでは、「貫禄」がない。解析の試験で間違うといえば、「あわてる」か「うっかりしている」しかない。三つの不等式で、点 P が座標 A、B、C を持つ各点を頂点とする三角形の中にあるための条件を表すのに、「x と y の限界」をしか表さないものを書いてしまった。一番先に出した Jack も、ヨウコ先生の代りの先生(数学の先生方はみな講習会だか研究会だかに行っているということで来られた。名前をまだ知らない)の「もう時間がありません」という言葉を聞いてから二番目に出した Twelve も、間違えていた。Jap は出来ていた…。

2013年8月6日火曜日

英語と漢字の尻取り


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 16 日(金)雨

 五時二十分、やっと電気がつく。石引町小学校へレントゲン検診の結果を聞きに行って帰ってから、相当待った。

 恐ろしいことだった。何の兆候か、あるいは、何の罰か、または自然の成り行きであろうかと、輾転反側しながら考えた。不気味な…。恐ろしい。ここに記すようなことではない。

 鼻の奥が、ずるずるとした板をこするような感じだ。…長い風邪。

 SH 時、うっかりすると、ぼくは破壊的に出そうだ。

 Hotten は、編集室使用の「特権」を得ることを目的に、第二期の所属クラブを新聞部に決めた。放課後、解析の試験の準備をするというので、彼の臨時教師は居残ってやらなければならなかった。Jack や Tacker も、いつもの癖で、すぐには帰らなかった。そこへ議会の開くのを待っている Massy が来て、われわれは編集室の黒板で二通りの尻取りを始めてしまった。一つは Hotten が始めたもので、漢字を一字加えて前の一字と二つ合わせて一語にするものだ。Hotten が「記」と書いたので、「事」と続けた。すると「件」と来て、続ける漢字を思いつけなくなり、早くもぼくは破れた。それで、Massy と品詞を制限しない英語の尻取りをすることにした。
 Are、eye と始まり、そこから e...e の形の単語をを互いに書き合ったが、とうとう Massy が折れて、いろいろな文字が末尾に来るようになり、多くの単語を書いた。そして、三つ目の x で手ごわかった彼をつまらせた。
 そこで Massy は、synonym の挙げ合いをしようといった。ジャンケンで買ったぼくが、まず、習ったばかりの scincere を書く。True を予想したのだが、Massy は答えられなくて、思いがけない 1 点を得た。一回の裏、Massy は allow と書いた。"Grammar and Composition" の予習で知っていた単語だったが、つい「難しい!」といったら、彼は「"許す" だ」と訳をいってくれた。Sincere のとき、ぼくは「訳をいえば、答がすぐ出せる」といいながら、訳語をいわなかったことを思えば、彼は親切だ。ともかく、 permit と書いて、彼の得点を防いだ。次にぼくが autumn と書くと、彼は synonym を思い出せず、英文でその意味を書いてもよいことにしよう、といった。"It is the season that comes after summer." とでも書くのかと思ったら、「通例、われわれは第三番目の季節と呼ぶ」という文を作り、「これでは駄目だ」と、自らけなして、降参して来た。これで 2 対 0。二回裏、horizon の synonym が分らなくて(あとで、"level" を思いついた)"It is a line that divides the sky and the ground." という説明文を書いた。
 Tacker とも漢字の尻取りをしたが、「使徒」のあとへ彼が「つれづれ」といいながら、「然」と書いた。「然諾」というのを一つぐらい知っておけばよかったが、思い浮かぶのはどれもみな「然」が下につく言葉ばかりで、降参するより他なかった。

 「やっこだこ」が消印の押されるところに印刷された紙
(注 1)を母が勤務先で二十枚買って来た。ぼくが使うだろう分を取れば、一割程度しか残らない。Sam はタイプで打てるだろうから、いささか、うらやましい。
引用時の注
  1. 年賀はがきのこと。

2013年8月5日月曜日

生徒会補欠選挙は無競争当選


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 16 日(金)

 結局は無競争当選ということになったが、この裏にはどんなやりくりがあったものやら。名前だけ書いておこう。
  会長 Y・B(二年)、副会長 H・S(二年)、会計 H・O(二年)
ぼくの分っている範囲で説明すれば、B 君は弁論大会でよく雄弁を奮って活躍した人で、「話せる人」と一緒に少年赤十字にも関係している。高中出身。S 君は第一学期はホーム代表だった。タイプライティング・クラブを生徒会のクラブとして認めるよう議題として提案し、活躍してくれた。それを傍観していたのがきっかけで、ぼくが入部を思い立ったのだ。O 君とともに小将中出身。O 君は執行委員として、ぼくと早くから「近うして」いた。幾何と解析 I、人文地理と一般社会というふうに、ぼくと時間割がよく似ているので、すぐ知り合った。これまでは執行委員中の財政委員としてその方の事務をやって来ている。

2013年8月4日日曜日

やっとのことで…/白墨の踏まれし床や…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 15 日(木)

 昨日のは絶対値を考えていないんだなということに、やっと気づいた。先に習ってしまった KD 君にどうするのか聞いておいて、ぼくは別に考えてみた。


上がぼく、下が KD 君の描いたもの。 どちらが正しいのか判断に迷ってしまって、有望だと思われる上級生二人に当たってみたが、確答は望めない。やっとのことで、正しい方と、その理由を掴んだ! ぼくの考えはまだ不十分だった。
(注 1)

引用時の注
  1. Sam がここで考えている問題は、連立不等式 |y| < x + 1、|y| > x − 1 と推定出来る(図には目盛りがないが、4 本の直線による x、y 軸の切片がどちらも −1 と1 であると仮定した)。Sam は、絶対値記号をはずすことを考えたときの条件を忘れた形で範囲を求めたのである。独立変数と従属変数の役割を逆にして、|X| < Y1、|X| < Y2 という連立不等式を考えると、KD 君の答の正しいことが見やすい。私が当時この問題について何もコメントしていないようなのは、問題自体を書いてないので無視したか、他のことに忙しくて考える暇がなかったということであろう。


Ted: 1951 年 11 月 15 日(木)曇り

 アセンブリーは音楽会。といっても出演者は、北陸高校の先生とかいうのと本校の卒業生である何とか君との姉弟である。どちらも眼鏡をかけていて、独唱と独奏を行なった。聞いている間に、「白墨の踏まれし床や月の曲」などという句が浮かんだ。
 国語甲は、先生が映画『源氏物語』の解説と批評をされる。
 放課後、二時間ほど校内をぶらついて遊んで来る。

2013年8月3日土曜日

二年生も分らない/自己叱責の壁


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 14 日(水)

 Funny の消息を。松竹の作品募集に応募するんだって。本気らしい。俳優を七人使うもので、原稿用紙 50 枚以内とか。彼は、なかなか映画に興味を持つようになって来た。「映画鑑賞帳」とかいうのを持っているが、それには、彼の鑑賞した映画の題名と俳優の名と主題歌が書き連ねてあったっけ。批評などは書いていないらしい。
 さあ、大変だ。教科書の11 ページ、問題 2 の (6) だ。
(注 1)


これではどうも違うらしい。もう一度よく考え直してみなければならない。昼食時間、委員会室にいる二年生に聞いてみたが誰も分るものがいない。反対に、説明してやらなければならないような始末だ。そこで、彼らにこんな問題は?といって、次の連立方程式を出題してみたら、案の定、出来なかった
(注 2)
  x2 − y2 − 2(x+y) = 0  (1)
  x2 + y2 = (1/4)(1 − 8xy)  (2)
引用時の注
  1. 問題を書いてないが、Sam の翌日の日記にある修正した図から見当がつく。絶対値記号つきの 2 元 1 次連立不等式であり、Sam は「昨日のは絶対値を考えていないんだなということに、やっと気づいた」と記している。
  2. 日記のこの辺りには、当時、私がこれを解いた形跡がないので、いま試みたところ、容易に解けた。そのあとで、日記帳の後ろの方のページの間に、これを解く計算を記した別紙を見つけた。その紙には、二次方程式の根を書き下すところで間違いをしていて、Sam に正答を示され、訂正の計算を再度記している。答は、x = 5/4, y = −3/4 と x = 3/4, y = −5/4 の二組。[まず (2) 式を整理すると簡単な形になることに気づけば、二次方程式を解く必要もなく求まる。]

Ted: 1951 年 11 月 14 日(水)晴れ

 自負すべき何ものもない。——これほどの自己叱責はあるまい。しかし、自負は常に頭をもたげようとしている。そして、厳しい壁が自分を固める。壁の中で伸びる。壁が邪魔になり打ち壊す。その後に、前よりも大きな自分を包容し得る壁を造る。

2013年8月2日金曜日

タイプの練習は欠かしたくない/先生のストがあるとか


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 13 日(火)曇り

 国語で助動詞を勉強している折も折、グラマーの方でも、"Some Uses of Auxiliaries" のところへ入る。
 クラブ活動はとり止めて、校内球技大会となる。ぼくのホームは、まだ女子のバスケットボールと男子の野球が残ってたっけ。野球の方はきょうはないそうだ。バスケットはサンケツ(三位決定戦のこと)だというが、なかなかまとまっているから勝てるかもしれない。とにかく、ぼくはタイプの練習に行こう!と。一日でも欠かしたくなくなった。欠かすのは惜しくてくやしい。



Ted: 1951 年 11 月 13 日(火)晴れ

 四十分授業で、午前中に五時間(「そして、午後中に一時間」と Otaké が変った表現をしていた)。Hotten によれば、先生のストがあるのだとか。

2013年8月1日木曜日

社会科は「労働関係の諸問題」へ/体操を図示


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 12 日(月)曇り

 ホーム時は、ソフトボールをすることにした。いつもに変らず、ごっちゃに入り混じっている。ぼくのホームは、前の時間が保健体育だったので
(注 1)、最上の場所を取れたのだが、サードとファーストの間に三人ばかりも反対側を向いて守備をしているプレーヤーがいる。ぼくはサードやショートをした。一インニングのアウトが全部ぼく一人で出来てしまったりして、愉快だった。
 社会はきょうから『社会科』21 の「労働関係の諸問題」へ入る。読むだけでさっさと進めて行く方針らしい。
 英語は、やっときょうになってから、"A Letter From Aloha Camp" という題のところをするのだから、馬鹿らしくなる。しかし、内容は難しくない。
引用時の注
  1. いまになって気づいたが、一つのホームの生徒たちが揃って同じ授業を受けていたというのは、同じ県立高校でも私の通っていた高校とは異なる方式である。


Ted: 1951 年 11 月 12 日(月)雨

 失敗だ。
 広く見回しながら、堅実であること。


(注 1)
引用時の注
  1. 体操を図示したものだが、分り難い。ラジオ体操第 2 だろうか。いま、ラジオ体操第 1 は覚えていて、ラジオを聞かないで毎朝しているが、第 2 は覚えるにいたっていない。