2013年7月19日金曜日

パン食い競走で二等に


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 4 日(日)晴れ

 延びに延びた長町校下の社会体育大会が、きょうやっと開かれる運びとなる。うかうかとぼくが見に行ったわけだが、珍しく(本当に珍しくだ)パン食い競走で二等になれた。それも、町の運動会のときに要領を覚えたからだ(秘伝は公開しないものだ)。どんな賞品だったと思う? たった(という副詞をつけたくなる)Cuatel(注 1)というものだけだった。ぼくやぼくの家にあまり用はない。これに味を覚えて、太公望や障害物競走に出場したが、等外にあまんじなければならなかった。幼児競走にも出た(いや、ぼくが赤ん坊をだっこして)が、これはみんなに一つずつのアメが与えられた。

 もっと面白いだろう午後の部を犠牲にして、紫中へ行こうと家を出る。長町小の校庭へ。まだ始まっていない。裏門から香林坊、北国書林へ入る。いろいろ探した挙げ句、一冊の辞書を求める。この一冊によって大きな希望がわくだろう。

 金沢大学の秋季作品展と国税庁の職員余技展覧会を、感嘆詞を連発させて見る。前者は油彩と水彩だけだったが、後者は写真、洋画、日本画、書道、俳画、手工芸、生け花と、なかなか盛り沢山である。前者の出品目録は活版刷りで広告の入ったものだったが、後者のはガリ版刷りで、ちゃんと綴じられたものだった。広告はない。どちらの係員もとても親切だったけれども、見に来ている人は少なかった。

 音楽室はどこかの会社の交響楽団が使っていたので、第二音楽室で練習ということになる。先生が音楽室の入り口に「卒業生の合唱練習は第二音楽室で至します」と、誤りのある掲示をして、第二音楽室へ行く。♪♫♬♩…。

 帰るとき Ted のところへ行こうと思ったが、ここへ来ないのに家にいるはずはない、きっと誰かとどこかへ行く約束でもしたので来れなくなったのだろうと、校門を出ると右に曲がった。ぼくの他に誰も右に曲がるものはいなかった。Jack と Neg の家に寄ってみたが、どちらも not at home で、足が棒になった。
引用時の注
  1. 化粧品か何かの商品名か。

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