2013年7月11日木曜日

H 時は二十の扉


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 30 日(火)曇り一時小雨

 やはり、これは唯一の、そして徹底的な悩みの一つなんだなぁ! 天候を気遣う。「木からもののこぼるる音や秋の風」という千代の句も、そのままには受け取れないで、「雨雲にわななくガラス秋の風」という、荒っぽくて感傷的なものに変ってしまう。(注 1)

 二限の初めに「退屈または疲労のときなどに出る太息」をして YMG 先生に「徹夜しましたか」と聞かれた Vicky は、風邪を引いたと答えた。いつになく、「出してもよいですか」と、答案を真っ先に提出して教室を出て行った。「頭でも痛い?」という先生の問いには、「書けましたから」といっていたのに、次の時間からは、二学期の初めから同じ姿だったかと思われる、白と、背中の両側で 3 の字二つ半が連続した縁になっている黒との姿はなかった。

 H 時は二十の扉。一切を文化委員の AK 君に一任してあったので、彼が問題を作って来た。そして、座席の一列ずつが前へ出て解答者となる方式をとり、SMM 君を司会者に指名した。右端の列から順に解答者となり、SMM 君の、きょうばかりははかばかしくない口ぶりの司会(あとで聞いたところでは、彼はラジオの二十の扉をほとんど聞いたことがないそうだ)で始まった。ほとんどの問題がいたって簡単だったことと、考えている時間が長かったことのため、期待したほど面白い行事にはならなかった。
 ぼくの列は、十九問目で追い込みに成功して、「UE 君(Atcher)が持って来た(ホームへ提供した)バット」を答えた。「UE 君がこの間折ったバット」とぼくがいったときが、聴取者たちが一時間の中で最もスリルを味わったときだろう。時間が足らなくて、六列あるうちの五列までしか行かなかったが、十九問というのは一番長かった。それでも、何らかの質問を次々と間をおかないで出すように努め、十九のうちの半分ほどはぼくが質問した。
 自分が解答者になってみると、ラジオで聞いているときには起こらない次のような感じを経験する。空一面に広がっていた雲が途切れて一片だけとなり、次には長方形のような形となり、その周りにいろいろ具体的なものの姿が踊るのだが、どれもどこかに足らないところがあるように思われる。それには構わないで、質問で答の範囲を狭めて行くと、中心にある長方形が彫り刻まれて、次第に形を成して来る。そして周囲に集まった各種のものの姿は、その数が減って行き、彫刻は完成に近づき、最後に、周囲にあって残った一つのものと一致する。と同時に、回転する地球の像が最後をしめくくる。
(注 2)
引用時の注
  1. 体育実技は晴天ならばグラウンドで球技になるが、雨天ならば、体育館で、私の全く苦手な跳び箱やマットを使う運動をすることになるので、その授業のある日は、もっぱら晴天になることを願っていたのである。
  2. これは、どこかの映画社のフィルムの冒頭の映像の影響か。

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