2013年7月24日水曜日

校内が左側通行の理由


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 6 日(火)晴れ

 KT 君とこんな会話をする。
「なんでこの学校左側通行のやとな。」
「理論的に説明すると、鞄を右手に持つやろ。そうすると体が反対側に傾くさかい、廊下の左側によしかかって歩くがんかいな。」
「あんな(『あのな』の訛り)、歴史的に述べるとやな、過去においてはやな、武士が左脇に刀を差しとるさかいに、右側通行すると刀がかちおうて、喧嘩になるさかい、壁の方に刀を向けて歩くようになったんや。」

 午後の授業はなくなった。講堂で PTA 総会が行なわれている間にホームの会場準備をし、余った時間は運動場で三角ベースをした。
 最初に「二十の扉」。司会はぼくがする。説明は容易でなかった。とんと舌が回らない。いいたい言葉がいえない。端的な簡単な言葉だけしかいえない。そして遅々として進行しない。タヌキをネコより小さいというなど、時には間違ったことをいったりした。いい加減に止めて、座談会に移る。これは、PTA の説教のようなものになってしまった。

 四時にやっと終わる。自転車で紫中へ行く。長く自転車に乗らなかったので、変な調子だ。広坂を昇ったら、すっかり汗をかいてしまう。案に反して誰も来ていない。Marlo とKKM 君がアコーディオンを弾いているだけだ。菫台の生徒たちめ、試験に悩まされているんだナ。帰るとき、Jack のところへ寄ったが、やはりカジっていた。

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