2013年7月24日水曜日

何にもならない仮定


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 7 日(水)雨、8 日(木)雨

 「三振の規則がなかったら…。」オールパシフィックの健闘も、対米選抜戦は 2 対 2 の引き分けで、アナウンサーはこんなことをいっている。「何々がなかったら。」これまでの国語甲のテストでぼくの下にいたのに、「新発意」などの今度のテストで九十九点を取った女生徒に対して、ぼくは Sam が先月二十四日や三十日に書いたような状態になれるだろうか(注 1)。「何々がなかったら」という仮定は、何にもならない話だ。堂々と真正面から。そうだ。今度の八点差を、Vicky はぼくに対して正々堂々とつけたのだ。

 昨日は残念だったが、三回ばかりの練習を何のためにしたのか分らなくしなければならなかった(注 2)。そして、行ったのは NS 医院だった。"... so, do not be regret overtake you." というところで、Mouse 先生が自分の片足を後ろへ引いて、「ありゃ!」と口をとがらせていい、自分の先へ行った「後悔」を見つめている姿をされたのと、母も心配したのとに背を押されて、しぶしぶながらも白くてこわいヒゲの持ち主の NS 先生の診察を受けに行ったのだが、「大したことはないですよ」といわれた。

 一限は生物のテスト。呼吸作用を CO2 の測定によって調べる実験方法二つのうちの一つと、カエルのすい臓に関する最後(六番目)の問題が全然分らなかった。(つづく)
引用時の注
  1. Sam は10 月 24 日に「他の者より幾分でも優越した位置を占めたい」と、また、10 月 30 日に「常に優位を占めていなければならない」と書いていた。
  2. 風邪気味のため、出身中学の文化祭での卒業生合唱の本番に行かなかったことを書いている。何曲歌うのだったか、練習したことが記憶にあるのは「平城山(ならやま)」だけである。

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