高校(1 年生)時代の交換日記から
Ted: 1951 年 11 月 9 日(金)曇り(つづき)
生物は試験の解答があってから、…(どうもうまくまとまらない)…科学する心(としておこう)の話ばかりで鐘が鳴った。
図画は今度も中学のときの復習のような、商品の箱のデザインをしている。ぼくは昨年通り、野球のボールの箱。色を塗るところまで準備して行ったので、Pentagon 先生が同じことを何度も繰り返す話を終えて、「作業」に取りかからせ、教室内を見回り始められた時には、早く見て貰うために教壇前の席から後ろへ移動した。「何だ、こりゃ。素晴らしい。ホームランか(打者の図案を見て)。ボールを入れるんやな」といわれる。「なかなか、きちんと。何か見て描いたか」との問いに、先生の発音ぶりとは反対の早めで抜け目のない口調で、「Hare Ball では語調がよくないですが、しかし、よく飛ぶウサギのようなという意味を込めて…。これとこれの図案は見て描きました。字の方は少しも」と答えた。時間が終わって、道具を片付けているときにも、先生はぼくの図案の英文字に感心して、「何かそんな図案辞典でも…」といわれるので、「いやいや、こんな字は、いつもいろいろ自分で考えて書いているので、慣れています」と、大きく応じた。スポーツ用品の箱だから、細い字や妙な飾りのついた字をやめて、太くて角張ったのにしたところが気に入られたのだろうか。(注 1)
そのあとの休み時間に「どうですか」という挨拶で後ろからぼくを捕まえたのは、渉外委員長だったかになった Massy だった。外へ出ようというので、雨水を吸収しきれないで水たまりをあちらこちらに広げている地面の上へ歩を落とした。散り落ちたあとを雨にたたかれて、かさかさと鳴ることも出来なくなっている落ち葉。陽光が温かい。体育館の横を一度通り、同じところを再び通って引き返す頃から、Massy の話は、ぼくを大連の電車に乗せて、静浦、星が浦、常葉橋などへ連れて行った(注 2)。「うん、確かそんなとこ、あったようだ」、「はぁ、あそこか。行かなかった」などと答えた(ぼくは彼より大連に住んだ期間が短いと思う)。保健室前の出口へ戻ると、Vicky や Hicky や Picky たち(いや、Hicky、Picky は誰のあだ名でもない)がひなたぼっこをしている。
それから、Massy は一人で旅順へ行った、いや、彼の頭の中へ旅順がやって来た。ぼくに行かなかったのかと問う。行かなかったと答える。A・T 君の住所を伯母に聞いて教えなければならないことになる。ぼくも、大連で向かいの家にいた、早く動く口から女性的音声を発し、運動会では長くはない足でひた走りに走り、一、二位を取ることを常とした A・T 君に手紙を出してみようと思う。N・W 君や R・O 君はどうしているだろう。しかし、この二人には、いまのところ、これといって知らせたいこともない。東京、神戸のことは聞きたいが、こまごまとは書いてくれそうもない。
Peanut 先生が「重要思」と書いてあるところを、わざわざ直さないで読んで行き、「ここまでに一つ間違いがあるんだ。誰か」といい終わられないうちに、Sam から「誤字発見器」の名を貰ったぼくが手を挙げて答えたので、TKN 君が「早い奴や」といった。『菫台時報』第十一号の 1/3 くらいの割合で誤字のあるものが、国語の教科書だから、たまらない。
Ted: 1951 年 11 月 9 日(金)曇り(つづき)
生物は試験の解答があってから、…(どうもうまくまとまらない)…科学する心(としておこう)の話ばかりで鐘が鳴った。
図画は今度も中学のときの復習のような、商品の箱のデザインをしている。ぼくは昨年通り、野球のボールの箱。色を塗るところまで準備して行ったので、Pentagon 先生が同じことを何度も繰り返す話を終えて、「作業」に取りかからせ、教室内を見回り始められた時には、早く見て貰うために教壇前の席から後ろへ移動した。「何だ、こりゃ。素晴らしい。ホームランか(打者の図案を見て)。ボールを入れるんやな」といわれる。「なかなか、きちんと。何か見て描いたか」との問いに、先生の発音ぶりとは反対の早めで抜け目のない口調で、「Hare Ball では語調がよくないですが、しかし、よく飛ぶウサギのようなという意味を込めて…。これとこれの図案は見て描きました。字の方は少しも」と答えた。時間が終わって、道具を片付けているときにも、先生はぼくの図案の英文字に感心して、「何かそんな図案辞典でも…」といわれるので、「いやいや、こんな字は、いつもいろいろ自分で考えて書いているので、慣れています」と、大きく応じた。スポーツ用品の箱だから、細い字や妙な飾りのついた字をやめて、太くて角張ったのにしたところが気に入られたのだろうか。(注 1)
そのあとの休み時間に「どうですか」という挨拶で後ろからぼくを捕まえたのは、渉外委員長だったかになった Massy だった。外へ出ようというので、雨水を吸収しきれないで水たまりをあちらこちらに広げている地面の上へ歩を落とした。散り落ちたあとを雨にたたかれて、かさかさと鳴ることも出来なくなっている落ち葉。陽光が温かい。体育館の横を一度通り、同じところを再び通って引き返す頃から、Massy の話は、ぼくを大連の電車に乗せて、静浦、星が浦、常葉橋などへ連れて行った(注 2)。「うん、確かそんなとこ、あったようだ」、「はぁ、あそこか。行かなかった」などと答えた(ぼくは彼より大連に住んだ期間が短いと思う)。保健室前の出口へ戻ると、Vicky や Hicky や Picky たち(いや、Hicky、Picky は誰のあだ名でもない)がひなたぼっこをしている。
それから、Massy は一人で旅順へ行った、いや、彼の頭の中へ旅順がやって来た。ぼくに行かなかったのかと問う。行かなかったと答える。A・T 君の住所を伯母に聞いて教えなければならないことになる。ぼくも、大連で向かいの家にいた、早く動く口から女性的音声を発し、運動会では長くはない足でひた走りに走り、一、二位を取ることを常とした A・T 君に手紙を出してみようと思う。N・W 君や R・O 君はどうしているだろう。しかし、この二人には、いまのところ、これといって知らせたいこともない。東京、神戸のことは聞きたいが、こまごまとは書いてくれそうもない。
Peanut 先生が「重要思」と書いてあるところを、わざわざ直さないで読んで行き、「ここまでに一つ間違いがあるんだ。誰か」といい終わられないうちに、Sam から「誤字発見器」の名を貰ったぼくが手を挙げて答えたので、TKN 君が「早い奴や」といった。『菫台時報』第十一号の 1/3 くらいの割合で誤字のあるものが、国語の教科書だから、たまらない。
引用時の注
- どのアルファベット文字でも同じ四角内に収めて、普通には線である部分とは逆に、隙間の部分をほとんど線状ないしは小さな区画にする図案化を使ったのだったか。この図案化の方式は、大連の小学校で戦後、真鍮の小片に学校の名前を英語の略字で刻んだバッジを作り、帽子の横につけることが友人たちの間で流行っていたが、そのバッジの文字に彼らが採用していたものである。
- Massy は、私の大連での住まいの近くに住んでいたのだが、私が大連へ行く少し前に北京へ移っていた。どちらも引揚者である。北京では終戦後授業がほとんどなかったので、Massy は引き揚げ後 1 年下の学年へ編入した。それで、大連の小学校の同窓会総会では、彼は私より 1 年先輩の人たちのテーブルにいる。
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