2013年7月10日水曜日

AK 君の作句手帳


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 27 日(土)曇り、28 日(日)曇り、29 日(月)晴れ

 記録したかったこと、また、それが単なる記録と異なって含んでいると思われる多くのこと、それらをこのノートにとどめようかどうしようかと、一昨日はためらった。そして、書きたくてならなかった。他方では書きたくなかったし、表しつくせそうにもないと思った。
 昨晩は、時間をフルに使わなければならなかった。
 ——じっとこうしていたが、まだ、帰ってから二十数分経っただけだ。色彩を、音の流れを、盛り上がるような動きを…満喫するにはどうしたらよいのかと考えている。——

 芒(すすき)原白痴よろめきよろめき行く
という句をどう思うかい? 何かこう(という言葉は、Peanut 先生がよく使うということから、旅行的遠足のときに、われわれのホームの合い言葉のように、これを盛んに使ったものだ)寂寥として茫漠としている感じがよく出ているじゃないか。これを詠んだ俳人のサナギ、AK 君は遠足の列車の中でも万年筆を動かし、窓から見える情景をとらえ、言葉をつなぎ合わせて十七文字にする作業をしていた。上下のマブタを近づけて強い光が入って来るのを防いだ瞳のように、陰った水面を見せている柴山潟を後ろにした旅館で、高言を吐いている Atcher を中心とした将棋ファンの塊や、いろいろな比喩を交えて話しながら打っている IMK 君が中心の碁の群れの、どちらにも属さないで、長々と横になり句を整理していた AK 君は、「なぁに、つまらんもんや」といいながらも、その手帳を見せてくれた。623、624、…などと番号をつけて、「(蟻の塔何点入)」、「(何何句会何点入)」などという備考が沢山書き添えられている。Yotch も「ようこんな言葉出てくるな。わしらの真似出来んことや」と評していた。「地球儀の丸き論理」がどうとかというのや、何とかの「歓び鳥渡る」は、車中で作った句のようだった。その手帳には、虫が鳴き、花がなよぎ、塵埃も実際の自然にあるままに、いや、それよりも美しく存在し、絵があり、香りがあり、それらの作品は相当なレベルのものだと思わされた。先に引用した句を
  芒原白痴よろめきよろめきて
と、ぼくが字余りをなくするための変更をしてみても、見つめていたスクリーンのフィルムがふと切れるような感じになるだけだ。

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