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2013年10月4日金曜日

大晦日湯へ行く/Sam とぼくの十大ニュース


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 29 日(土)雪、30 日(日)晴れ、31 日(月)雨

 歳末! 全身が綿になるようだ! From morning till night I worked and worked. 六日間のアルバイトによって、一千円を得た。うれしい。苦しみに幾倍かして、うれしい。生まれて初めてこんなに多額の金を得た!
 しかし、この六日間、雇われて働くこと意外に、何も出来なかったのは、みじめだった。が、よい体験だった。今年もあと二時間で過ぎようとするとき、開放されて、大晦日湯へ行く。
 年越しそばを年を越してから食べなければならないことになってしまった。百八つの鐘が静かに余韻を残して響く。今年を振り返って…、反省! 何もない。いや、出来ない…。



Ted: 1951 年 12 月 31 日(月)雨

 NHK の選んだ十大ニュース
  1. アジア競技大会
  2. マッカーサー元帥解任ならびにリッジウエイ司令官着任
  3. 桜木町事件
  4. 貞明皇后ご逝去
  5. 追放解除
  6. 民間航空再開
  7. 電力危機
  8. ルース台風
  9. 平和・日米安保両条約調印
  10. 社会党分裂
 Sam とぼくについての十大ニュースを選んでおこう。(注 1)
  1. ぼくが Sam を家に招き(1 月 3 日)、ぼくも Sam の家を訪れた(ある日曜日)。そして、紫中での英語や自習の時間に、問題などを書いた小紙片を交換し始めた。
  2. Sam が葉書によって、われわれの通信の契機を作った(4 月 10 日)。
  3. ぼくが「スターリン事件」と呼んだ出来事(4 月 10 日〜5 月 7 日)。
  4. われわれの通信にノートを使い始めた(4 月 25 日)。
  5. Sam がタイプの練習を始めた。
  6. ぼくが夏休みに京都と大阪へ旅行した。
  7. ぼくが Sam に「ホームルーム研究資料」の作成を依頼した。
「三つの歌」が面白くて、これ以上は出て来ないぜ。(注 2)
引用時の注
  1. この 10 大ニュースは英文で書いてあったが、拙いところがあり、ここでは和訳に変えた。
  2. テレビ放送はまだ始まっていない時代で、紅白歌合戦も新春番組として第 1 回が行なわれたばかりの年である。大晦日には、宮田輝アナウンサー司会による NHK ラジオの人気番組「三つの歌」の特別放送があったのであろう。ここに掲載した日記をもって、交換日記の第 10、11 冊目のノートを、余白を残して終了し、新しい年、1952 年には、 12、13 冊目の新しいノートで書き始めている。
     なお、Sam と Ted の交換日記をブログに掲載することは、プロバイダーの事故でインターネット上から消滅した旧 "Ted's Coffeehouse" サイトで、この大晦日の日記から始めたのだった。そして、高校卒業までを掲載し終え、高校 1 年生の未掲載部分へ戻って続けていた。消滅したサイトを、現 "Ted's Coffeehouse 2" サイトに復旧することを試みたものの、交換日記については、目下、高校 2 年生だった 1952 年 11 月 8 日までしか出来ていない(こちらから年月日の逆順でたどって、ご覧になれる。ただし、掲載当時の他のブログ記事も混在する)。しかしながら、未復旧の部分は、私のハードディスクには存在するので、交換日記をディジタル化する目的はこれで達成出来たことになる。したがって、本サイトでの交換日記の掲載はこれで終了し、今後は、友人たちと交換した手紙などを掲載することにする。引き続きご愛読いただければ幸いである。

2013年10月1日火曜日

紡績工場の餅つき


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 28 日(金)曇り

 生まれて初めて大和紡績の中へ入る。きれいなのに驚いた。たくさんの女工がいる。みんな健康そうだ。
 一メートルもあると思われる大きなシャモジで、数斗は入ると思われる釜の飯をかき回している。ずらりと並んだ食器、食器、食器。
 きょうは、ちょうど餅つきだという。しかし、初めは、ペッタンペッタンという音がしないので、そうとは気がつかなかった。製粉機で餅をつくとはね。変れば変るものよ。

2013年9月29日日曜日

アルバイト/疲れた疲れた


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 26 日(水)曇り

 八時二分前に出勤。自動三輪車に 60 枚の枠を積んで。枠の底には「す」が敷いてある。「す」の上には小麦の加工品が並べられている。午前のうちに 18 回、荷物の積み降ろしと縄かけをした。荷に縄をかけるのは、なかなかその要領が分らない。
 疲れているから、すぐ眠らなければならない。

Sam: 1951 年 12 月 27 日(木)曇り

 午前中は停電だったので、仕事がない。肩の付け根のところが痛くてやりきれない。オートバイから降りると、海水浴に行って来たみたいだ。
 眠い眠い。疲れた疲れた。

2013年9月26日木曜日

原因さえ突き止めれば…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 25 日 X'mas(火)曇り

 有無(「ウーム」だ! "あるべきものがない" という意味)。これほどとは思わなかった。有史以来の大変動だ。信じられない!
 失望して死んでしまうかも知れないと思った。考えないでおこうと思えば思うほど、なお強いその反対の態度に驚く。
 反省! 反省しなければならない。
 Tragheit!
(注 1)いや、それ以下かもしれない。
 谷川徹三が『文化論』の中の「人間の回復」でいっている「人間の回復の第二の問題」、それが失われたのか!
 反省は、ただ心を苦しめ、もがかせる。何か原因がなければならない。それさえ突き止めれば、あとは、その対策を考えるのは難しくない。
(注 2)

 「うーえだ君、うーえだ君、…。」五回呼んだ。いないらしい。せっかく来たのに。明日からは、もう来たくても来れないのだゾ。来年だ。来年まで待てよ!

 Neg が来た。表に稲穂と歯車、裏に双葉が二本の図案が施されている銀貨! 音をたてて手のひらに落ちた。彼はいっていた、正月前に済ましておかねば、と。
引用時の注
  1. "Trägheit" と、a に変音記号をつけるのがが正しい。ドイツ語で「怠惰」を意味する。私がこの言葉を理解したのは、大学でドイツ語を習ってからだっただろう。
  2. Sam にしては珍しい気持の落ち込み方である。具体的な理由を聞かなかったと思う。2 学期の通信簿の成績が悪かったのだろうか。

2013年9月25日水曜日

穴があいたままだ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 24 日(月)曇り

 夢の中で半鐘と消防自動車の音を聞いたが、起きてみる気にはならなかった。「鍋下町」の火事ではなかったらしい。「夜食わじ」でもなかったから、やっぱり本当の火事だろう。何?! 本多町! 平野化学!

  八時四十分〜九時四十分 大掃除
  十時〜 終業式
  終業式後 各ホームにて
 一時間も大掃除をさせるとは、どんなことまで要求しているのだろうか。いつもの三倍の人数で掃除をしたから、いくらか念を入れたつもりだったが、いつもと同じくらいしかかからなかった。一五六枚のガラスを全部磨き上げても、まだ二五分余っていた。


(注 1)

 校長の訓話のあと、指導課からの話。「開校以来…申し合わせ事項として…出来るだけ寛大な…警察の厄介になったことが比較的少なかった(笑声)。」ここで先生は怒った。「何がおかしい」、「私ははなはだ不愉快に思う」、「遺憾である」。顔を大きく前後に振って、硬直させ、すさまじい様相を呈した。次いで、教務課から。「一つ、来年一月一日には、十時までに学校へ来て貰います。二つ、来学期は、八日火曜日から始まります。火曜日から授業がありますから、教科用具を忘れないで。三つ、来年十四日に、来学年度の単位登録をして貰いますから、よろしく。」

 X’mas Eve!
 ♪きよしこの夜
  星は光り
  救いのミサは
(このあとは何というんだい。教えてくれ給え。)
*
 セント・ニコラス、フェドロ少年、スクルージュ、チムちゃん、それから…。
 困ったな、靴下は穴があいたままだ。それに、吊るすところがないぞ。そうそう! 物干竿に吊るしておけ。
Ted による欄外注記
 * きよしこの夜 星は光り 救いの御子は み母の胸に 眠り給う 夢やすく[引用時の追記:この歌詞は一般の「きよしこの夜」で、プロテスタントの「きよしこの夜」は、「救いの御子は」のあと、「馬槽(まぶね)の中に 眠り給う いと安く」と続く。なお、カトリックでは、「静けき真夜中」の題で、「静けき真夜中 貧しうまや 神のひとり子は み母の胸に 眠りたもう やすらかに」という歌詞だそうである。]
引用時の注
  1. 速記文字で、校長の訓話の最初の部分を書いたものか。

2013年9月24日火曜日

ゆず湯


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 23 日(日)曇り
 "Jingle Bells"

Dashing through the snow
In a one horse open sleigh
O'er the fields we go
Laughing all the way
Bells on bob tails ring
Making spirits bright
What fun it is to laugh and sing
A sleighing song tonight

Oh, jingle bells, jingle bells
Jingle all the way
Oh, what fun it is to ride
In a one horse open sleigh
Jingle bells, jingle bells
Jingle all the way
Oh, what fun it is to ride
In a one horse open sleigh

 午前中は、タイプのためにという名目で学校へ行く。「京大親学会主催 全国学力コンクール」があるらしい。順番が来るまで第二体育館で円陣パスをしていたら、一昨日突き指をした親指が、また変な具合になってしまった。でも、タイプにはそんなに影響がないから、まあよい。

 三学期の第一週にするだろう第十六課の単語をくる。なかなか長いから、いやになっちゃう。

 ほほう、そういうことでね。役に立つこともあるんだな。「宮沢賢治」か。そのほかに「林芙美子」も。なるほど! なかなか大変な問題だ。「日本の近代作家について調べよ」か。原稿用紙百枚以上、だとはね。明日までに計画表を提出しなければならないと Funny はいっていた。

 きょうは、太陽が赤道より南二三五度を照らす日だ。家ではカボチャを食べる。入浴に行ったら、「ゆず湯」と書いてあった。ゆず湯も何かきょうに関係があるのかな。
(注 1)
引用時の注
  1. 日本では、江戸時代頃から冬至に柚子を浮かべた湯舟に入浴する習慣がある。「ゆず湯に入れば風邪を引かない」といわれている。冬至の日に、ゆず湯を用意する銭湯もある。(『ウィキペディア』の「柚子湯」の項による。)

2013年9月23日月曜日

馬鹿らしい間違い


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 22 日(土)曇り

 「これで二学期の授業は終わりました。皆さん、よいお正月を迎えて、うんと遊んで下さい。」毎時間、こんな言葉を聞かなければならなかった。解析は一三五ページの 4 と 5 を省略し、その代わり、「二次関数を実用化するために」と「二次関数を標準形と直線にして根を求める方法」を教えられる。来学期早々、二次関数のところの試験をするということを、前の時間にいわれたにもかかわらず、もう一度、念を押された。
 国語は二週間ほど前に行なわれた文法の助動詞のテストについて説明がある。「玉の光はそはざらん」というところを「ざ」と「らん」に分けたので −2、「目にかなしくも残れるは」の「る」を受け身としたので −2。いまから考えると馬鹿らしい間違いで、結局、30 点満点のところ、ぼくの出席番号から 902/10 を減じた得点しか出来なかった。
 一時間その仕事を行なえば 87〜174 の熱量を必要とする作業を行ない、タイプクラブの会合に出ていたので、家へ帰ったら、一一六ページの 4 の問題の 3 行目の数字を 1 と 2 に直して求めた答の時刻になっていた。
 周りが 48 cm の矩形の紙に、表には 24〜41 の文字を書き、裏には例外はあるが、表より多くの文字を書く仕事をする。
(注 1)

 どうしてもこうだ。駄目。ダメ。DAME! Break all!
引用時の注
  1. もってまわった表現が続く。国語テストの得点と帰宅時間は、計算不可能である。「仕事」というのは、年賀状書きであろう。

2013年9月8日日曜日

思わしくない/「芭蕉の理想と[  ]は高まい」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 8 日(土)

 やはり思わしくない。



Ted: 1951 年 12 月 8 日(土)曇り

 応用問題は連立方程式のものだった。あまりにもこれに精力を傾けたので、検算をするときには、胸の中に土の塊があるような気持だった。YMG 君でさえ出来なかったそうだが、Junbo はぼくと同じ答をいっていた*。
 芭蕉と西行の芸術に対するうち向かい方や見方といったものについての文章があって、[ ]内を埋める問題の最後、
  であるから芭蕉の理想と[  ]は高まいである。
がちょっとはっきりしない。信念**、精神、境地、努力、…と二字の熟語(二字とは決まっていないのだが)を並べてみてから、「技術」を選んだのだが、これではしっくりすると思えない。Jack の「空想」や Tacker の「現実」は、類意語や反意語を持って来ただけのことだ。
 図画は、あれだけのことを教えただけで百点満点で採点する問題を作るのは無理と思われる。Dove が真っ先に、先生が赤鉛筆を最も減らさないで済むであろう答案を出し、続いて時間の 1/3 ぐらいで、残るわれわれが自分たちの鉛筆を十分に動かしきって提出した。

 "8:30 Natukasino Melody." Sam が栃木県の県庁所在地と同名の書店でタイプライティングの本をめくって、ラジオ番組を打ったらどうなるかなといい、こんなチャンポンになって滑稽だといったのは、夏休みのことだったかい? ぼくの英訳は不完全だけれども…。

 木曽坂を下りながら考えた Jack との遊びは、いままでに考えた中で最も知的な遊びの一つだ。
Ted による欄外注記
 * Jack も出来なかったのだから、皆はどうかと思ったが、Octo も Massy も出来たそうだし、Jap から「210 人と 945 人」と聞いた 「Vicky も嬉しい!」といっていた。
 ** 誰かが「信念」が正しいそうだといっていたのを聞き、なるほど、しかし、「信念が強い」とはいうが、「信念が高まい」というのは変だ、と思った。しかし、ぼくもちゃんと候補に挙げていたのだ!(12 日に記す)

2013年9月6日金曜日

人権に対する認識を深め…/「小売商はいかにしたら…」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 6 日(木)

 思ったよりも、うまく行きそうだ。八枚ばかり試作してみた。それでも、なかなか難しいぞ。文の配置は、よく考えなければならない。

 社会の時間がちょうど第六限にあったので、中央公民館へ、「世界人権宣言三周年記念講演と映画の会」に行く。会はすでに始まっていた。人権を人絹と間違えた人がいるなど、笑えない喜劇もあるという。とまれ、われわれはもっと人権に対する認識を深め、それを守って行かなければならないのだ。
 映画は二本あったが、一本は基本的人権についてのもので、もう一本は CIE の「交換学生の…」というものだった。これはアメリカの生活の一面や、彼我の考え方の相違などを知るのに、大変役立ったと思った。


Sam: 1951 年 12 月 7 日(金)

 商業は「小売商はいかにしたら将来発展出来るか」という題で論文を書かされたのだが、1. 過去における商人についての反省、2. 小売商の認識と営業方針、3. 小売商以外の分散機関との関係、4. 商業共同組合、について述べておいた。
 保健の試験の方は、半分は生物のようなものだった。だいたい書けたつもり。
 明日の解析の試験の準備をしなければならない。

2013年9月5日木曜日

英語の試験は芳しくない/「友が皆我より偉く…」について


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 5 日(水)雨

 雨が降ってきたので、練習不可能となり、まだ二十分ぐらいあるのに終わったが、早飯をする気になれない。

 "I have nothing further to say on the subject." というのは、どう訳したらよいだろうかね。これのほかに、"Fill in blanks." のところで、"In time television may be ( ) popular ( ) the radio now." を間違えたりしたから、芳しい成績ではない。
 第六限はアセンブリーに変更され、一年生は出席しなくてもよいことになったから、いつもの二倍ぐらいタイプの練習が出来る。アセンブリーの方は、金大・某教授の「家」についての講話だそうだ。



Ted: 1951 年 12 月 6 日(木)曇り

 昨夜は、NJB の「バイバイ・ゲーム」と ABC の「頭の体操」を半分ずつ(アースをとってないせいか、電波の調子のよいときでないと、民間放送はよく聞こえないようだ)聞いたりして、九時に寝てしまった。
 試験問題は、大したものではなかった。しかし、労働組合の争議権を知らなかった。"It may work." と "... if it works ..." の、ピッタリした訳が書けなかった。"I hope he will soon get well ." の soon を最後に書いても間違いではないだろう。啄木の「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」という短歌を鑑賞して、百字以内の文を作るのがあった。YMG 君は、妻が死んだのだといっていた。ぼくは、「自分の努力が足りないことを自覚して、これからいっそう励もうという作者の心構えが…」などと書いたが、どうだろう*。これだけが「問題のある」問題の全部だ。
Ted による欄外注記
 * Jack が先生に聞いたところ、死んだのではなく、暮らしが貧しいのだと説明されたそうだ。

2013年9月3日火曜日

生徒議会が進行やり直し


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 4 日(火)

 この前の定期考査の答案が返される。予想していたより九点だけよい。
 第三限にはずっと前の英語の試験が返されたが、これは九十点満点のところ六十点以上が四人しかいなかったそうだ。残念ながら、ぼくはその仲間入りするのに一割だけ不足していた。先生がぼくの方を向いて、「そこらあたりに相当出来そうな人がいるんだけど、案外駄目でした」といわれたときは、悲しかった。

 C の時間に議会が開かれる。議題は、
  一、執行委員補選の件
  二、執行委員・議員の掃除復活に関する件
  三、会則修正の件。
 まず、一について、新会長の Ban 君から、現在執行委員が一年二名、二年一名不足していて、補選の必要があるが、それには手数と時間がかかるので人選を執行委員会にまかせてほしい、と議案説明があり、討論なく可決。二については、従来、執行委員および議員に対しては掃除が免除されていたが、生徒会の活動が不活発であるようならば、復活してはどうか、と会長から要望があり、続いて、三、会則に役員の任期その他の点に不備があるから修正しては、と執行委員会側から動議があったが、それについて再び某議員が会則の一部を修正することを動議し、これが採択され、討論のないまま採決し可決。
 折から遅れて入って来た三年の議員が、ただいまの採決はおかしいではないかと質問し、ついに議長は「私のミスで」といわざるを得なくなった。そこで、議事がもめ始め、某議員の動議は撤回され、第一歩からやり直し。まず、修正の必要があるか否かについて討論採決し、修正の必要が認められ、第二歩として、議会側から五名の会則修正委員を指名するという動議があり、可決。これに対して執行委員会側から発言がある。そこで、再び二について、それを某議員が動議として提出したが、これは否決。このとき、会長が立って、掃除の復活は勿論望むところではないが、生徒会に対して誠意を示してもらいたいと発言する。かくして三時二十分閉会。

2013年9月1日日曜日

HRA の話はいつも…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 3 日(月)

 破れても泥んこになってもかまわないシャツとトレパンをつけて来いといわれた。ラグビーのボールを小型にしたボールを使ってする競技だ。アメリカン・フットボールをモディファイしたものだそうだ。
 H 時には、ホームで文集を発行するかどうかと、掃除用具の不足をどう解決するか、の二つについて話し合おうとしたのだが、ほとんど意見が出ない。前者は保留、後者はホーム PTA のほうから金を出して貰って、ほうきを買うことにする。
 そのあと、HRA から小説についての話をして貰う。先生の話はいつも経済を基盤としたものになる。それと、『リーダーズ・ダイジェスト』あたりを読むととか、『産業経済新聞』あたりを見るととかいわれるのも癖だ。
 英語はどうしたわけか休講になる。NHK broadcast program は一枚だけ打てた。日曜から火曜までである。これならば、二枚の紙に全部打てそうだ。文字の位置の決定に大分時間をとられた。
(注 1)
引用時の注
  1. NHK ラジオの毎週決まっている番組を英訳して表にしたものを私が作り、そのタイプ打ちを Sam に頼んだのである。

2013年8月30日金曜日

障子張りなどの日曜日


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 2 日(日)曇り

 朝のうちに障子張りを済ませなければならなかった。1ヵ月に一回ぐらいの割合で北国新聞についてくる細長い紙の一部分で買ってきた紙を張る。ベタベタッ、ベタベタベタ。シューッ! ピンピン。スゥスゥスゥ。シュッ。いっちょあがり! 熟練しだしたのと済むのがちょうど一緒ぐらいだ。

 もう正午に近い時刻になってから、理髪店へ。晴夫君が働いている。ぼくは彼にして貰うことになる。電気バリカンのガーガーいう音と、のど自慢とをごっちゃにして耳へ入れる。ソロリソロリソロリ。馬鹿ていねいにしてくれる。どちらかといえば、恐る恐るのたぐいだ。同年齢でありながら(No, no, 彼は満十五歳十一ヵ月だ)、彼はこんな技術を得ている。いや、いま得ようとしているのだ。

 ぼくの家から右手へ四軒目の家でドリルを借り、長町小学校の少し手前の向かい側の店で、ボルトとナットを買ってきて、やっと作り上げた。
(注 1)

 風呂へ。浴槽内で狸君に合う。進学についてだいぶん迷っているらしい。必要と思われるものの説明を一応しておいた。もう四ヵ月もすれば、やがて新しい生徒がぼくたちの学校へ入ってくるのだ。
(注 2)
引用時の注
  1. 何を作り上げたのか、ここだけでは不明だが、何週間か前に関連の記述があったようだ。
  2. 短い四つのパラグラフだけからなる日記だが、高校一年生の初冬の日曜日の雰囲気がよく出ていると思う。

2013年8月28日水曜日

X は 1 ページ分もない


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 1 日(土)曇り

> ブランク時には、長らくぶりでタイプをしないことにして、図書館で産経と朝日の両新聞を読んだりした。

 「X から始まる単語を五ついえ」と、Keti にいってみる。"Xmas" だけはどうにか答えてくれたが、あとは駄目。ところが、ぼくの "Concise" を開いて驚いた。X は 1 ページ分もない>
(注 1)。Xanthic、Xtian、Xenon、Xylograph、Xylophone と、どうやらこれだけを選んで覚えておく。

 国語のテストが返される。二枚あるのだが、一枚は −2、−3、−1、…と減点され、「ちりも積もれば山」とやらで、 85 点。もう一枚は、この前の定期考査のだったが、あの時はなかなかやっかいな問題だと思っていたのに、いま考てみると満点を取れなかったのが不思議だ。「げきれい」の「げき」を「ぎょうにんべん」にして −1、他にもう一つ痛い失敗をしたので、二枚の平均は 90 点にほんのちょっぴり足りない
(注 2)

 "Y'day" とはどんな意味か分るかい。Yesterday の略だそうだ。「昨日」と書くのより楽で速いようなら、y'day を使おう。
引用時の注
  1. 私が常用している英英辞典 Longman Dictionary of Contemporary EnglishConcise よりページ数が多い(絵や図が多いが)にもかかわらず、 X は半ページもない。他方、時折参照する『ランダムハウス英和大辞典』には、3 ページ余りある。
  2. 「この前の定期考査」の点は 94 点と推定出来る。2 カ所間違ったから偶数の点であろう。そして、94 点ならば、85 点との平均が 89.5 点となり、「90 点にほんのちょっぴり足りない」を極めてよく満足させる。

2013年8月27日火曜日

この頃はだいたい 1800/10 分


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 30 日(金)

 それでも思うように指が働いてくれない。先週のきょうは、10 分で 1500(注 1) をオーバーした日だった。先の日曜日には、ついに 2000 を突破して有頂天になっていたのだが、この頃はだいたい 1800 ぐらいで安定している。まだ誤字がしばしばで、粗雑だが、一応はいけるようになってきた。
 「保健」といえば、誰でも「また Kinta か?」と、うんざりする。アセンブリーは、「保健委員会の報告」であった。初めに、二人ばかりが保健委員会の機構と活動について、うじゃむじゃと、その大部分の時間、視線を机の上に向けて話していた。そのあとで "Kinta" の登壇! Element, ..., emotion, ...(注 2) Kinta 先生は何をいっていたか知らない。
引用時の注
  1. 英文タイプの字数。
  2. Sam は単語集で英単語を覚えていた。私は、英語のリーダーに出て来た単語をほとんど残らず覚えるようにしていたので、単語集を使って覚えることはしなかった。

2013年8月23日金曜日

テスト問題から


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 29 日(木)雨[つづき]

次の俳句の( )の中に一語を選んで入れよ。
 米洗う前( )ほたるの二つ三つ
(1) で、(2) に、(3) を、(4) へ、(5) や
(注 1)

次の各問につき正しいものに○を付せ

(A) 外国人とは
(1) 日本の国籍を有しないものである
(2) 外国の国籍を有するものである
(3) 何れの国籍をも有しないものである

(B) ロンドンに住所を有する日本人の女子とローマに住所を有するフランス人の男子とが中華民国で婚姻したとき、その婚姻はどの国の法律によって効力を得るか
(1) イギリス法 (2) フランス法 (3) 日本法 (4) イタリー法 (5) 中華民国法

 Ted は、「どこのアチーブメント・テストだい、それとも Sam の一斉考査の?」と思うだろう。No! これはほんの一部。『学苑』十一月号付録の中から抜粋したのだ。
引用時の注
  1. 当時の私の解答は見当たらないが、いま、「米洗う前をほたるの二つ三つ」でインターネット検索してみると、次のようなブログ記事があり、わが意を得たりと思った(『ことば会議室』[633];その上にある [625] にも、同趣旨の、より古い文献が二つ紹介されている)。しかし、Sam から同様の説明を聞いたことが頭のどこかに残っていたのかもしれない。
    […]東京書籍「新編新しい国語」2〔中学2年国語教科書〕(平成8年2月29日文部省検定済)p.159に「有名な話」として載っていたのを読んで知りました。教科書ではこう紹介されています。
    「  米洗う前に蛍の二つ三つ
    という句を作った人が、『米洗う前を蛍の二つ三つ』がいいと、先生から注意を受けたという有名な話があります。この句は、『に』でも『を』でも、言葉としては自然です。どちらも間違ってはいません。しかし、『に』を使うと、米をといでいる自分の前に蛍がいるというだけの意味ですが、『を』を使うと、『蛍』が自分の周りを飛びまわるという意味が出ます。飛んでくる蛍と、飛び回る蛍、『を』のほうに動きがある、そこで、『を』のほうが句としてよいということになるのだと想います。『に』『を』、たった一字の違いですが、意味のうえではこのような違いが出るのです。」

2013年8月22日木曜日

西部劇『セントルイス』


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 29 日(木)雨[つづき]

 母に貰った券で日活へ。ニュースに先んじて、CIE 提供の『高崎市の市民新聞』(注 1)(こんな題ではなかったが、内容はこんなものだった)がある。あまりにも話がうま過ぎ、どこか不自然だったが、よい参考になった。
 西部劇『セントルイス』(注 2)。スリー・ベルたち。彼らはいわゆる trio。南北戦争によって、彼らの牧場と家を焼かれたことがきっかけとなって、…。その名は、キップ、リー、チャーリー。リーは南軍に加わる。他の二人は牧場を再建するため、町で知り合った女にいわれるまま、密輸に加わる。危ないところを南軍に救われる。その南軍にはリーがいた。彼らは何回かそれを続け、南軍はそれにより得るところ大。勢力を挽回する。
 …そのうち、やがて、…キップの恋人の心がリーに移る。チャーリーがキップを亡き者にしようと企てる。三人は、今はてんでんばらばらの状態。…南北戦争が終わって、リーは警備隊長に…。密輸の富を一人でかかえ、悪党の親分になりすましたチャ−リー…。キップの恋人はリーと結婚し、キップは自暴自棄になろうとしている。町で知り合った女、彼女はキップに恋をささやく…。かつてのキップの恋人が、夫を助けてくれとキップに懇願に来る…。No! …しかし…。翌日、からりと晴れた朝…。ハロー! ハロー! キップとリーだ。「雲行きが悪いぞ。雨をいとわないなら、二人で散歩に行こう。」靴につけたベルが鳴る。清い音! …30 m、20 m …、凝視しているチャ−リー…。彼の心は…。
 バァーン! 拳銃の雨。チャ−リーはキップかリーのどちらかを射たか…。No, no. バァバァンバァン、バァバァンバァン。スリー・ベルたちの心は再びとけ合い、通い合って戦う。悪党全滅。いや、まだ早い。生き残りの一人が裏切り者のチャーリーを射た。チャーリーは、「俺が死んでも[スリー・ベル牧場の]看板は変えないだろうな」と遺言して、息絶える。…それから数日、一台の幌馬車に揺られて、キップと、町で知り合った彼の恋人とは、平和な牧場に新しい生活の第一歩を踏み出そうと…。[この日の日記は、さらにつづく]
引用時の注
  1. 1950 年 4 月、連合国軍総司令部(GHQ)新聞課長のインボデン少佐が高崎で講演し、民主主義と地域社会の発展には郷土新聞の発行が欠かせないと説いたことをきっかけに、紙不足やインフレのため前年に廃刊になっていた『群馬新報』を引き継ぐ形で、『高崎市民新聞』が 1950 年 6 月に創刊された。映画の本当の題名は『高崎での話』。こちらに詳細な説明がある。
  2. 原題 South of St. Louis、レイ・エンライト監督による 1949 年の西部劇映画。

2013年8月21日水曜日

花式図を花式に直せ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 29 日(木)雨

 九分通り OK だと思って提出したのだが、あにはからんや、数分後に、早合点と不注意によって二ヵ所のミスをしでかしたのに気づいた。その一つは


の花式図を花式に直せというのだったが、P6A6G(3) と書いたままにして、平気でいたからだ(注 1)。もう一つは血液型の決定に関するものだったが、それは、標準血清は凝集素を持っているのだからと思って、凝集元だけしか考えなかったので、片手落ちになってしまう。その他に、トリプトシンを脂肪分解酵素の仲間に入れたり、クエン酸ソーダの血液に働く作用を「血液の可流動作用」などとでたらめを書いてみたりしたから、75 点ぐらい取れればまあまあよいだろう。[つづく]
引用時の注
  1. 私も高校一年で生物を選択していたが、花式図や花式について習った記憶はない。習いながらも、すっかり忘れたのだろうか。

2013年8月16日金曜日

一人の生徒が定時制へ/Blank, but 貴重な日々


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 23 日(木)晴れ

 解析が休講になったから、三限と四限は連続で授業がないことになる。これでは何のために学校へ来ているのか分らない。いやいや、くよくよしないで、思う存分、大気を呼吸すればよい。

 来る二十八日と二十九日に一斉考査があるそうだ。一斉といっても、ぼくは国語甲と生物だけでよい。一番多くても六科目受ければよいから、大したものではない。
 一人の生徒が定時制へ変った。家庭の事情でとかいっていた。これだけが、SH での伝達事項。


Sam: 1951 年 11 月 24〜28 日

 Blank, but 貴重な日々だった。でも、書き表す努力を払うのが無理だ。何だ! 単なるいい逃れ!

2013年8月11日日曜日

校内球技大会の野球準々決勝


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 11 月 19 日(月)晴れ(つづき)

 校内球技大会の野球の準々決勝がある。対二十九・三十ホーム合同チームである。敵はサウスポー投手。わが軍はあっさり三者三振に終り、一回の裏一死満塁となって、内野手の FC で一点を先取された。二回表 2 アウト後、ぼくの最初の打席、第一球、いい球、ストライク。全然打つ意志はなかった。第二球は低めの球、第三球は外角へ流れたシュート。ともに空振りして、三球三振。いくら強打者だと自負していても、それがソフトボールのであったら、何の役にも立たない。

 敵には左打者が四人もいたので、ぼくは守備位置でびくびくしていたが、五インニングで終わった試合の中で、球を処理したのは二回だけ。第五インニングにバットを振ったとき、初めてボールがバットに当たった。しかし、それは投手後方に高く上がったフライで、難あって
(注 1)アウト。

 その間、わが軍は毎回のように死球を与え、内野手の不手際などで、着々と得点され、8 対 0 でコールドゲーム。わが軍は、無安打無得点に終わる。
引用時の注
  1. 「難なく」でもなく、ということか。