2013年5月28日火曜日

ネコの額ほどの場所で


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 9 月 24 日(月)曇り

 八時十分、八時三十分、八時四十分、八時四十五分。出たり入ったり、どうも落ち着かない。少しでも多く『新平家物語』が読みたいし、また、バスの来るのが、いまかいまかと気になる。九時十五分前、思い切って家を出る。それから三十分以上も経って、やっとバスが来る。
 昭和通りから白銀町、尾張町と抜けて、橋場町を右へ曲がると思いのほか、まっすぐ北端国道の方へ向かう。小坂神社のところの坂を上がり、ぐねぐね曲がり曲がりして頂上に達する。バスの影を見ると、相当傾いている。滑り落ちそう。それでもスキーで滑降するときは、きっと平地同様に感じられるだろう。「殉職警防団員之碑」の前のネコの額ほどのところで、運動会をするのだとさ。トラックはほとんど円である。直径は 20 m ぐらい。
 拡声器の設備がまだとかで、しばらく始まらない。眼下の本当の運動場で、他の町の運動会が行なわれている。面白そうだ。「化粧競走」というのに出場したよ。ぼくの出場したのにそんな名前はついていないが、きっとそれのことだろうと推察する。すなわち、名を変えていえば、「飴食い競走」である。どんなのかって? 箱(オリというものが普通さ)の中に飴を入れ、その上にうんと小麦粉をかけて見えなくしておく。それを走って来て、手を使わないで口で直接探り当てて中へ収める。人間の口は鳥のくちばしのように尖っていないから、顔中が真っ白に化粧されるというわけだ。[つづく]

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