2013年5月20日月曜日

「尾行者」の結末とヨウコ先生のお叱り


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 17 日(月)晴れ

 忠実な従者か執拗な追跡者か分らない子犬に灰色の犀川を見せてやってからは、何とかしてまいてやろうと思った。可愛そうというよりも、薄気味悪かった。本屋と床屋が向かい合っている角を引き返し、Twelve を呼んでみた。彼も不在で、そこでも助からなかった。緑と赤の二色の壁を持つ風呂屋の付近の黄金の波の間を歩いた。救い主は来た! 何かを予感出来た。きつね色の、いま連れているのよりはずっと大きなイヌだ。真っすぐに行こう。彼を目にしたバンビは身震いをした。確かに恐れていた。何かの灌木の脇へ隠れた。——それからあとのぼくは、『東京キッド』の中の、海へ行ってマリ子を置き逃げしようとした三平さながらだった。

 けさ、Jack と Lotus はぼくを誘いに寄らなかった。十六番教室へ鞄をおいて編集室へ行くと、Jack はいた。何らの変化も彼の上になかった(夏休みが終わって以来、昨日初めて彼に会わなかったから、われわれの間にカーテンが下りたような気がしていた)。二つ目のサイレンで十六番教室へ戻ると、Twelve にまずこういわれた。「昨日来たがか。済まん。」イヌのせいだということを話すと、ぼくがイヌを連れていたことを、彼は小母さんから聞いて知っていた。あれでも「連れていた」ことになるらしい。
 国語乙では言葉につまり、解析では白墨のお見舞いを食らった。気をつけなくてはいけない(「なくてはいけない」というのは、ヨウコ先生的ないい方だ)。妙に静かな一刻があったと思ったら、その前にヨウコ先生が白墨投げを行なったのだ。ぼくは、先生の話をよそに、隣席の Jumbo に「それは違う」などと説明していたのだ。Jap が「誰が白墨投げた?」と聞いた。彼も知らなかったのだ。ぼく自身、次の時間まで、全然知らなかった。Twelve から聞いて初めて、妙な静かさの瞬間と長い白墨の意味が分り、ぼくのしていたことに気づいたのだ。

 Vicky とは五科目の平均点で 3/5 点の差だった(注 1)。三位が化学で 95 点を取った Massy(注 2)、四位が YMG 君、五位と六位がどちらも解析で一位の中にいた女生徒、七位 Twelve、八位はぼくのホームの SMM 君。三位以下、このあたりまで紫中出身者が全くいないのが寂しい。Octo は十四位、Dan が十八位、Kettle が二十四位、それ以外は覚えていない。三十七位は六十五点だった。昨年は、現生徒会副会長(注 3)が一位だったそうだ。今年になって、付属中出身者に名をなさしめてしまった。ぼくが謝る義理もないだろうが、母校に済まない思いだ。

 H 時の企画原案がようやく出来上がった。
引用時の注
  1. 僅少差でも、ランク付けして発表されると、差が印象づけられることになる。母は近所の人から、「お宅の坊ちゃんは、男子の中では一番お出来になるそうで…」と挨拶されたそうだ。無理して限定付きの「一番」にしないで、ただ「お出来になるそうで…」でよさそうなものだが。
  2. Vicky や私の履修していた生物と、Massy らが履修していた化学の間では、前者の最高点が 20 点ほど低かったことから見て、出題の難易度に大きな差があったようだ。しかし、それを考慮することなく、生物や化学の得点が「理科」の得点として同等に扱われたと思う。
  3. 紫中出身で、のちに小児科医となった ST 氏だったか。

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