2013年5月25日土曜日

日曜午前の仕事を/ガリバン刷り


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 20 日(木)雨

 学校へ早く行って、Lotus、Jack とともに十八番教室にいる。誰かがやって来る。Lotus が「Jack、赤くなりました。赤くなりました」と大声で実況放送する。たまらなくなった Jack は、プイと教室を出て、駈けて行ってしまう。Massy が来る。解析の試験は予選だとか、変なことをいう。最も要領の悪い教え方をされる授業が始まる。TKN 君は彼の眼鏡(本式にかけてはいないが、持参している)のレンズにインクを落として青く塗り、色眼鏡を作っていた。
 三限、昨日の dictation が返された。ぼくのには二重丸がつき、Twelve のには 17 とつき、先生が読み上げるのを聞かないで教科書を見て書いたという NSM 君のには 100 とついている。
(注 1)
 SH 時、アセンブリー特別委員会結成に関するプリントが渡される。「それを我が校アセンブリーに反影する為に」を初めとして間違いの多い文のあとに、切取線があり、「委員となって尽くす」、「陰ながら協力する」のどちらかに丸をつけて出すようになっている。「なお、委員としての活動は決してオーバーワークになりません」という記述は信用出来そうにないから、敬遠するのが妥当だ。
 二十四の単語を辞書をくって調べるのに、一時間近くかかる。たいてい、日曜日の午前に行なう仕事にしているのだが、こうやってゆっくりと先へ進むのは楽しいものだ。
引用時の注
  1. 青数字は間違いの数、赤数字は減点数であろう。私の答案にあった二重丸というのは、間違いの数 0 を丸で囲んであったのだろう。私は dictation において、ほとんど常に間違い 0 だったが、一度、"lower" と書くべきところで "lawyer" を連想して迷いが出て、"lawer" と書いた。Mouse 先生は a のところを丸で囲みながらも、間違いには数えないという甘い採点をされた。保持者のあまりいない間違い 0 継続記録が途切れるのを惜しまれたのだろうか。

Sam: 1951 年 9 月 20 日(木)雨

 ブランク時を利用して、ホームの旅行計画をガリバンで印刷する。力の入れ方が足りなかったらしく、あまりよく出なかったが、まあ読めるからというので、書き直さないことにした。
 放課後も、またガリバンにかじりついた。生徒会の会則を刷るためである。五時までかかってやっと半分だけ書いた。なかなか骨が折れる。
 !!!!!!(雨のことだよ)。帰宅するのを二十分ばかり遅らせてしまった。残念ながら、タイプの練習は出来なかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿