2013年5月2日木曜日

雨の日に思う


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 1 日(土)雨[つづき]

 腕をなでても、さらりとしていて、一週間前よりはずっと涼しくなっているのに気がつく。グミの実が赤くぶら下がり、(Jun の家へそれを食べに行く約束なので、こんなことを書いてしまった)、そうして雪。もうクリスマスだ!(赤い色がサンタクロースを連想させて、一足飛びになってしまった。しまったことだ。)
 燃やしたくなって来た。(え? 家に火でもつける気かいって?)過去のあらゆるけがらわしいことに、である。思い出の浄化作用。でも、それは浄化しきれない。しかし(この頃は毎日、しかし、しかし、と宙返りをしているようだ)、何らかの燃やす方法もあろう。
 ぼくは呑気なように見せかけているだけで、呑気じゃないらしい。ジェキール(ジェーキル、ジキィル、ジーキル、どれが正しいのだい?(注 1))とハイドのページが再現しそうだ。
 自己が信じられたり、信じられなかったり、これが一番の闘争だ。(何も新しいことはない。書かない方がよい。)

 午前だけの授業を終えて帰る頃には、道路にも木々の葉にも水滴が降り注ぎ、それらが赤と緑という甚だしい色相差の細かい粒のように思われる。そして、それがもたらす、目にたまった涙のような感じの空気の、本当に北国的な状態の中を…(何を書いているのだろう。こんなのも駄目だ!)
引用時の注
  1. ロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説 The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde の邦訳題名は現在、『ジーキル博士とハイド氏』(新潮文庫版、光文社古典新訳文庫版など)と『ジキル博士とハイド氏』(創元推理文庫版、岩波少年文庫版など)の二通りがあるようである。

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