高校(1 年生)時代の交換日記から
Ted: 1951 年 9 月 18 日(火)曇り
ホームに活気が出て、議事を運びやすかったが、運び方はまずかった。原案が修正されたのは、「リレー作文」を「晴れたらスポーツ、雨ならば討論会」としたところだけだったが、最初の発言者 Atcher の「自由時間が必要」とする提案で長くもめた。OB 君が、句点に相当するところで力を込める話し方で大声に、そんなことは放課後にして貰うことにして、H 時は全員がまとまって一つの行事をするべきだと述べた。そして、H 時の目的を説明して欲しいと注文をつけた。ぼくは、「抽象的な言葉で申せば、社会性を陶冶し…」などと、適当なことをいっておいた。
自由時間を加えるかどうかの採決に入ろうとしたとき、「それは H 時を時間割からなくするかどうかの採決をするのに等しい」という、HRA の発言があった。続いて長々と説明があったが、結局、「自由時間」という企画の設定は不可能だとの示唆だった。時間の終わる頃に出た Yotch の穏当な意見は、ひじょうに感じがよかった。TKM 君はペチャペチャと話し、SM 君はボッコリと話す。女生徒では、大きい口でペシャクシャとやる Purse のワンマン、いや、ワンウーマン舞台だ。OB 君が深刻な声で深刻なことを述べたときは、「みんながそんな態度なら、この次から企画委員会に残りません」といい終わるまで、ぼくは、失礼ながら(陽気な雰囲気にしたいとの気持もあって)笑い通しだった。
続いて体育委員の司会で、ホーム対抗バスケットボールの選手を決めた。卓球部へ入っていて柔らかな物腰の IMK 君は、ぼくとあまり変わらない調子で(と書いたのでは、よいのか悪いのか分らないが)議事を進めた。前にソフトボールの選手を決めたときに彼は「ぼくに賛成の人」と、気兼ねした顔でいわなければならなかった。きょうも、「これだけではバスケットボールは出来ませんから、もっと推せんして下さい」などと、控えめな言葉が多かった。「ありまする」と、要らない「る」をつけたときと、決め終わって教壇を踏み外したときに一同は笑った。
国語甲にも笑いの種があった。Peanut 先生が黒板を拭くときの姿は、調子をつけて上下に手を動かし、足と身体も上下させて、踊っているようだ。「怯懦」の意味を問われた女生徒は、「はじめにおじおそれること」と答えて問い返され、机を寄せていた隣の女生徒に、「あんたの "物" ちゅう字、"初” かと思うた」といった。先生自身も、ルイ十六世をルイ十四世にしておられた。
Ted: 1951 年 9 月 18 日(火)曇り
ホームに活気が出て、議事を運びやすかったが、運び方はまずかった。原案が修正されたのは、「リレー作文」を「晴れたらスポーツ、雨ならば討論会」としたところだけだったが、最初の発言者 Atcher の「自由時間が必要」とする提案で長くもめた。OB 君が、句点に相当するところで力を込める話し方で大声に、そんなことは放課後にして貰うことにして、H 時は全員がまとまって一つの行事をするべきだと述べた。そして、H 時の目的を説明して欲しいと注文をつけた。ぼくは、「抽象的な言葉で申せば、社会性を陶冶し…」などと、適当なことをいっておいた。
自由時間を加えるかどうかの採決に入ろうとしたとき、「それは H 時を時間割からなくするかどうかの採決をするのに等しい」という、HRA の発言があった。続いて長々と説明があったが、結局、「自由時間」という企画の設定は不可能だとの示唆だった。時間の終わる頃に出た Yotch の穏当な意見は、ひじょうに感じがよかった。TKM 君はペチャペチャと話し、SM 君はボッコリと話す。女生徒では、大きい口でペシャクシャとやる Purse のワンマン、いや、ワンウーマン舞台だ。OB 君が深刻な声で深刻なことを述べたときは、「みんながそんな態度なら、この次から企画委員会に残りません」といい終わるまで、ぼくは、失礼ながら(陽気な雰囲気にしたいとの気持もあって)笑い通しだった。
続いて体育委員の司会で、ホーム対抗バスケットボールの選手を決めた。卓球部へ入っていて柔らかな物腰の IMK 君は、ぼくとあまり変わらない調子で(と書いたのでは、よいのか悪いのか分らないが)議事を進めた。前にソフトボールの選手を決めたときに彼は「ぼくに賛成の人」と、気兼ねした顔でいわなければならなかった。きょうも、「これだけではバスケットボールは出来ませんから、もっと推せんして下さい」などと、控えめな言葉が多かった。「ありまする」と、要らない「る」をつけたときと、決め終わって教壇を踏み外したときに一同は笑った。
国語甲にも笑いの種があった。Peanut 先生が黒板を拭くときの姿は、調子をつけて上下に手を動かし、足と身体も上下させて、踊っているようだ。「怯懦」の意味を問われた女生徒は、「はじめにおじおそれること」と答えて問い返され、机を寄せていた隣の女生徒に、「あんたの "物" ちゅう字、"初” かと思うた」といった。先生自身も、ルイ十六世をルイ十四世にしておられた。
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