2013年5月12日日曜日

「文明開化」や「化粧競走」/講和後の日本について


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 10 日(月)曇り

 英語の点数上位のリストがプリントして発表された。Mouse 先生が担当して調べたものだ。第二十五位まであるが、二十四位が二人いても次に来るのは二十六位でなく二十五位という方法なので、実際には六十二人ものリストである。二十五位はちょうど六十点だ。"We see rainbow ( ) a shower of rain." のカッコ内へ、前に書いてある接続詞を選んで入れて訳文も書く問題で、shower の適当な訳語を思いつかなくて、「雨のシャワーのあとで」とした。ここだけは減点されるかと思っていたが、間違いにされなかったと分った。同順位の者はホームの若い方から並べてあるので、Vicky の名が先頭にある。油断がならない。三人目で二位は 96 点の Dan。次いで、まだあまりよく知らない UE さん(元生徒会長の妹)と M・TKH 君が並び、五位に Tewlve。Massy も七、八位あたりにいた。
 運動会の出場者申込書が各 H の HR 委員に渡される。椅子を捧げて持ち続ける忍耐競走が「腕くらべ」という名になっていたり、「文明開化」と「化粧競走」という、種目名だけでは何をするのか分らなくて興味の湧くのが二つあったりする他には、珍しいものはない。
 日本育英会奨学金の追加支給者に入り、明日印鑑を持参しなければならない。

Sam: 1951 年 9 月 11 日(火)晴れ

 定期結核健康診断に関する通知書が来ていたが、これは学校で四月に行なったので、受けなくてよいそうである。その証明書を書いて貰った。
 C 時は、北国新聞夕刊の「あの場合この場合」の回答者氏に来て貰い、図書館の二階で、講和後の日本について質疑応答をした。

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