高校(1 年生)時代の交換日記から
Ted: 1951 年 7 月 5 日(木)曇り(つづき)
「シェンシェイ!!」大きな声の来客に驚いた。後ろから見るとダルマのような頭をして、半袖シャツを着た半老人だ。祖父より十七歳若い、かつての生徒だ。
客「シェンシェイ、年が行けば、またもとの子どもに返るちゅうが、全くのこっちゃな…。」
祖父「コンロをやっておいでやね。」
客「和倉の珪藻土の…。煙突が約二十本立っとる。工員は二百ないし三百ほどおる。私のような大きさの工場は七、八つあります。…珪藻土という土がこの頃役立つようになりましたゎ。それで、私はそこで働いております。」(客の名刺には、取締役社長とある。)
祖父「私は満州におる間に、"世界を見て来てくれ" といわれて、洋行に行って来まして…。今じゃもう…。」
客「教育界におる人は、みんなあんたの教え子みたいもんで。いまはこんな生活しておられて…。これはしかし、シェンシェ、満州で幅効かしとった人はみなそうなんだから、仕方ない…。」
祖父「私はちょうど七十七まで勤めておりましたが、そのとき怪我をしましてね。」
客「そんだけまで勤めとった人は、教育界であんただけやわな。…千代子さん(注 1)は夫の介抱、そしてまたあんたの介抱、まるで一生涯の間、看護婦みたいなもんやて、あのぉ誰やらいうとりました。」
祖父「どーも人間は不浄なもんで、何ですわい。…」
客「いまじゃ、ほんなら、なんですか、お年もとってやし、ちょっとも外へお出ましでない?」
祖父「人間はなんというても…。」
客「いまじゃ、なんですか、骨の折れたところは治ってしまいましたか?」
…中略…
祖父「あなた、なんですか、お酒でもお飲みですか。」
客「酒は、飲んません。」
祖父「そりゃ結構で。」
客「ほっじゃまた、重ねてお邪魔いたします。」
祖父、ぼくに、「元気な人じゃったね。六十七やてか、八やてか。…きょうは、雨降っとるか?」
祖父は日記をつけ始めた。「一、何々」と箇条書きである。「一、笹川氏、珍しい物を持たずに来たる」、「二、彼は六十七歳なり」とでも書くのだろうか。一度読みたいものだ(今年の元日に、雑煮の餅の大きさを書いていたことだけは確かだ)。どんな出来事や感動のある日でも、平凡な日でも、記述は無罫のノート四分の一のスペースにうまく収まっている。万年筆の動かし方は落ち着いたものだ。
昨日、第三次吉田内閣の第二次改造内閣(注 2)が出来た。夕食のとき、祖父はいった。
「吉田さんは私が満州におったとき、奉天で総領事をしとった。私はよく知っとる。」
「当然」という意味でよく「あったーり」という。「当たり前」の「当たり」から来ているのだろうが、英語に同じような発音の "utterly" という言葉があり、意味も「全く、全然」と、似ているのは面白い。
Ted: 1951 年 7 月 5 日(木)曇り(つづき)
「シェンシェイ!!」大きな声の来客に驚いた。後ろから見るとダルマのような頭をして、半袖シャツを着た半老人だ。祖父より十七歳若い、かつての生徒だ。
客「シェンシェイ、年が行けば、またもとの子どもに返るちゅうが、全くのこっちゃな…。」
祖父「コンロをやっておいでやね。」
客「和倉の珪藻土の…。煙突が約二十本立っとる。工員は二百ないし三百ほどおる。私のような大きさの工場は七、八つあります。…珪藻土という土がこの頃役立つようになりましたゎ。それで、私はそこで働いております。」(客の名刺には、取締役社長とある。)
祖父「私は満州におる間に、"世界を見て来てくれ" といわれて、洋行に行って来まして…。今じゃもう…。」
客「教育界におる人は、みんなあんたの教え子みたいもんで。いまはこんな生活しておられて…。これはしかし、シェンシェ、満州で幅効かしとった人はみなそうなんだから、仕方ない…。」
祖父「私はちょうど七十七まで勤めておりましたが、そのとき怪我をしましてね。」
客「そんだけまで勤めとった人は、教育界であんただけやわな。…千代子さん(注 1)は夫の介抱、そしてまたあんたの介抱、まるで一生涯の間、看護婦みたいなもんやて、あのぉ誰やらいうとりました。」
祖父「どーも人間は不浄なもんで、何ですわい。…」
客「いまじゃ、ほんなら、なんですか、お年もとってやし、ちょっとも外へお出ましでない?」
祖父「人間はなんというても…。」
客「いまじゃ、なんですか、骨の折れたところは治ってしまいましたか?」
…中略…
祖父「あなた、なんですか、お酒でもお飲みですか。」
客「酒は、飲んません。」
祖父「そりゃ結構で。」
客「ほっじゃまた、重ねてお邪魔いたします。」
祖父、ぼくに、「元気な人じゃったね。六十七やてか、八やてか。…きょうは、雨降っとるか?」
祖父は日記をつけ始めた。「一、何々」と箇条書きである。「一、笹川氏、珍しい物を持たずに来たる」、「二、彼は六十七歳なり」とでも書くのだろうか。一度読みたいものだ(今年の元日に、雑煮の餅の大きさを書いていたことだけは確かだ)。どんな出来事や感動のある日でも、平凡な日でも、記述は無罫のノート四分の一のスペースにうまく収まっている。万年筆の動かし方は落ち着いたものだ。
昨日、第三次吉田内閣の第二次改造内閣(注 2)が出来た。夕食のとき、祖父はいった。
「吉田さんは私が満州におったとき、奉天で総領事をしとった。私はよく知っとる。」
「当然」という意味でよく「あったーり」という。「当たり前」の「当たり」から来ているのだろうが、英語に同じような発音の "utterly" という言葉があり、意味も「全く、全然」と、似ているのは面白い。
引用時の注
- 祖父の三女(私の母)の名。
- 原文には「第五次吉田内閣」とあったが、当時は同じ内閣の改造をも「第何次○○内閣」の一次と数えたのだろう。『ウィキペディア』の「日本国歴代内閣」の表に基づいて修正した。
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