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2013年9月22日日曜日

先生が Vicky を...


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 21 日(金)晴れ[つづき]

 二番目の質問としては、昨日 Vicky が答えて、Peanut 先生がその通り取り上げられた説明について「"子午線" の解釈で、"地球の経線"、だったかな(と Jack に確認を求める)といわれましたが」という言葉で始め、反駁をした。「天頂近く子午線を通過する星を観測してこの地点の緯度をできるだけ精密に測定しておく」という文にあるのだから、地球の経線でよいはずがない。「この場合は、天頂と天心、天極ともいいますが、を結ぶ線を延長した天球上の子午線です」と説明して、先生に「なるほど、物理の先生に少し聞いて来なければならないな」といわせることが出来たのは、一昨日、ラジオの "Easy Science" の時間に地図の話を聞いて、この通りのことを覚えていたのが役立ったのだ。
 もう一つは、本文中に「重力偏差計」とあって、注に「重力偏差針」となっているので、「どちらが正しいのですか。または、どちらでもよいのですか」と質問したのだ(注 1)。先生は、注の「重力偏差針」を「重力偏差計」と思って読んでいて、気づかれなかったそうだ。Dan も、「天頂儀」のルビ「ゼネステレコープ」が間違っていることを、zenith telescope という綴りまで述べて指摘した。(注 2)
 社会。YMG 先生がノートの使い方を見て回られたあと、自習となる。隣席で Vicky が、鼻のつまって狭くなった隙間から呼吸する苦しそうな音を出している。それが耳障りで何も出来ないでいると、時間の終り近くになって、
先生「『白い恐怖』(注 3)見ました?」
Vicky「明日、行くかもしれません。」
先生「行くのなら、一緒に行きませんか。見る前に『キネマ旬報』とか『スクリーンガイド』とかでも読む?」
Vicky「批評、読んでから行きます。たいてい新聞でネ。」
などという会話が始まったから、おやおやと思わなければならなかった。(注 4)
 ぼくの鼻は、どうやら、そこへ紙を当てて、左右一度にそれをしないように注意しながらする動作を、立て続けにしなくてもよくなった。

 おお、複雑。しかし、なんと単純にしか現れないことよ。
引用時の注
  1. 「重力偏差計」が正しい。
  2. いま青空文庫版の寺田寅彦著「小浅間」を見ると、「ゼニステレスコープ」と、正しいルビがついている。当時の教科書は誤植がずいぶん多かったのである。
  3. 1945 年に公開されたアルフレッド・ヒッチコック監督によるアメリカ映画。記憶喪失を取り扱ったサイコスリラーで、イングリッド・バーグマンの絶頂期の作品といわれる。日本公開は 1951 年 11 月。
  4. 風邪を引いているらしい Vicky が、明日映画に行くかもしれないといったのは、「おやおや」の対象の一つだが、それ以上の「おやおや」は、先生が女生徒を映画に誘ったということである。YMG 先生の亡きいま白状すれば、私の心の片隅では「こん畜生!」という思いもなかったとはいえない。

2013年9月19日木曜日

放課後の編集室で


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 18 日(火)曇り[つづき]

 自分の席で書記の役をしていた Purse が、「こんなことをいって、先生に悪いかもしれませんが」を数回口にして何かいったが、要するにどういうことなのか少しも分らなかった。彼女の発言が終わるやいなや、 Yotch とぼくが並んで同時に挙手をした。後に回されたぼくは、「不十分だった検討、行き届かなかった計画・準備などが、行なおうとしたことを不完全に終わらせ、あるいは、行なえばよかったことを否決させたのだろう…」と、簡明な代りに十分ではない、しめくくりのような発言をした。

 A wonderful thing was happening by the brazier of the 12th room (braziers have been used since yesterday in our school). What a wonderful sight it was! There, Vicky in a black overcoat was sitting, facing a rather naughty boy of the nickname Dove. They looked like whispering. They were really talking something. It seemed that Vicky was feeling curiosity and having strangely calm mind and admonitory attitude to Dove.

 After lessons, we, members of the newspaper club, gathered in the editorial room to edit the next issue of the school paper. Editorial work was mostly done by the members of the second-year class. So, we, the members of the first-year class, were only watching how they counted the numbers of lines of manuscripts and how they arranged the manuscripts on pages.

2013年9月14日土曜日

敵と思ってはならないのだ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 13 日(木)曇りときどき雨[つづき]

 SH 時に Crow 先生が、Iwayuru 先生の 14 ホームでは何千円ものホームルーム会費がたまっていて、今度、忘年会か新年会をするそうだといわれたので、SMM 君か Atcher が緊急企画委員会を開かなければと考えたらしく、放課後、残らなければならなかった。結局(Frog 先生でなくても、手っ取り早く肝心なことを述べようとするときに便利な言葉だ)、何も決まらなくて、明日の SH 時に、何か行なうかどうかと、行なう場合には日と会費をはかることになった。

 図画の時間の前に、12 番教室へ入って行くと、紫中同窓会の幹事長になった先輩が、教壇の上で HRO 先生に質問していた。黒板には、われわれが 10 日前に試験で制限時間内に読まなければならなかった『徒然草』第三十二段の、「月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、くちをしからまし」というところが書かれている。どこが疑問なのだろう。二年生の試験に出たのだろうか。

 分った。敵と思ってはならないのだ。少なくとも、何かの相手とさえ思ってもいけないのだ。でなければ、(注 1)負かすことの容易な相手に常に負けなければならないだろう。入学当初は敵と思わなかったから、何でもなかったじゃないか。(あるいは、Vicky がスランプだったのかもしれないが。)
引用時の注
  1. ここに「自ら課する精神的負担のために、」という句があれば分りやすいだろう。いまは「精神的負担」の代りに「プレッシャー」というのが流行だが、英語とは異なるアクセントで使われるこのカタカナ語を、私は好まない。

2013年9月10日火曜日

早めに年末の反省/作文の課題は「忘れ得ぬ人」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 10 日(月)曇り[つづき]

 Mouse 先生は四十点以上を全部読み上げられる。この科目でだけ一緒になり、机が隣だが、まだ言葉を交わしたことのない MYK 君や、それに、Otaké や Jap や Garap らも九十点以上を取っていた。さる八日の五限に成績が発表された試験での Vicky と同じ点しか、ぼくは取れなかった。Vicky は、英語研究クラブに属するだけあって、完璧だった。彼女は、科目によっては、試験後に多少自信なさそうな様子をしているときもあるが、常に素晴らしい成績を収め続けている。YMG 先生が「手ごわいおなご」といっていたが、全く、その通りだ。

 昨夜の煩悶はどうだ…。天地がひっくり返るようなことが起こるのを望んだりする。空想が現実になったら、人類はいかに素晴らしい生活を営む動物であり得るだろう。いや、子どもじみた考えに空気をつめ込んで、ふくらませ、もてあそぼうとするのではない。しかし、しかし、…。

 三週間後にこのノートに書くべきことを書いてしまおう。
 「いままでの中で、精神的苦悶の、それも得体の知れない悩みの、最も多かった年。その苦悶の報償として、どんなものも得られなかったではないか!」


Ted: 1951 年 12 月 11 日(火)曇り

 「で」と書いても「によって」と同じじゃないかなぁ? 通釈をしただけでは駄目なところが一つあったのを見落としていたなんて馬鹿らしい。もう一つの問題は、確かに参った。
 図画。あれでも 10 点が貰えないのか。Pentagon 先生は、「ちと惜しいですね」とばかりいっている。
 国語甲は、作文。「忘れ得ぬ人」、それも平凡な人でなければならないというのだ。どこで誰がどんな善行をしたのを見て深く感銘を受けたとか、どこそこで見かけた人がどうであって、未だに心に残っているとかいう記憶が全く出て来なかったから、抽象的な、気違いじみたものを書いた。Peanut 先生は、どう読み取られるだろう。もっとしっかりした末尾を書きたかったが、時間が来てしまった。読み返す暇もなかった。
 H 時は、いつか SMM 君のいっていた撤回が不首尾で、スポーツとなる。討論会には、わがホームから誰が出るのだろう。

2013年9月9日月曜日

目撃/失点理由が分からない


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 9 日(日)晴れ

 「○月○日(月曜日)午後五時半頃、上石引町K湯で煙草を吸っているところを目撃したので、副会長などとはもってのほかだと思う」と訴えたいところだが…。KMB 先輩は、紫中の名捕手だったし、もっと真面目だったら好きなのだがなぁ。

 難しい。どうするのが最善か。出て来ないのに出したい。何が結論か。
Sam による欄外メモ:十二月九日(土)トンチ教室、折り句「せいぼ」、〆切り二十四日。(引用時の注:NHK ラジオの「とんち教室」は、土曜日の晩の放送番組だったと思うが、九日は日曜日であり、「十二月八日(土)」の間違いであろう。)


Ted: 1951 年 12 月 10 日(月)曇り

 社会は、まぁよしと。国語乙の TKT 先生が小声で整理番号とともに読み上げられた点数は、鑑賞の第三問題がまだ入ってはいないが、1529番はえらく悪い。Vicky は九十点台の中の七の倍数と三の倍数とに挟まれた整数の点を得ているが、ぼくは、その得点を 4 で割り 1 を加えて 2 で割ったものを初めの得点から引いただけしかない。その時間が終わるやいなや、図書室横へ駈けつけたが、答案は「いま、ここにない」ということだった。Vicky と同点の者が、もう一人他のレッスン・クラスにいると聞かされて、余計に不愉快だった。明日こそ、どこが違っているか、見せて貰わなければならない。あれだけの点がなぜ失せたか、さっぱり見当がつかないのだから。(注 1)[つづく]
引用時の注
  1. 減点の一部は、先生の早合点によるものだったことが、12 月 12 日付けの日記に記されている。

2013年9月2日月曜日

Vicky が遅刻して


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 4 日(火)曇り時々雨

 昨日から三十分遅く始まることになったのに、Vicky は遅刻して解析の教室へ走り込んで来て、「のびた!(注 1)」と叫んだ。
 六限、座席の決まっていない生物の教室へ行くと、前の方がほとんど一杯だったので、いつになく後ろへ行って鞄を置いた場所が、真ん中の列を対称軸として「のびた人」と対象の位置だった。確かにそうだったはずだが、彼女が、「血が凝固しなかったならば、出血したときに、どんどん…」と、中学で習った復習のような答えをしたときには、私から逃げた(のじゃあるまいが)ような、最窓側の位置にいた。AS 先生が、骨髄内で赤血球が製造されて、そこから骨膜へ来ている血管へ、どのように運搬されるかを、「戦時中、山奥の工場で飛行機を作って」という例えで話されたのは、これで三度になる。
 血(を沢山書く日だ)液が顔にばかり集まって、不愉快な気分だ。先週のきょうもこうだったようだ。一週間毎に熱の出る風邪かな? 一斉テストだというのに、体の調子が悪くてはいけない。
引用時の注
  1. 「疲れた!」の意。

2013年8月26日月曜日

Vicky が懸命に/書き続ければ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 30 日(金)曇り[つづき]

 生物の時間には、昨日の「話の泉」で最初に誰かが反対に答えたことを習った。(前から知っていることだから、「習った」というより、「出て来た」というべきか。)
 社会の時間、先生が入って来られる前に、Vicky が何か懸命に鉛筆を動かしていたので、隣席のぼくは、紫中の田中先生の時間に Sam が何か書いてくれるのを待っているような錯覚に陥った。そして、「労働問題」の箇所で試験に備えて気をつけておくべき事項を先生が口述され、それを筆記しなければならないことも知らないでいた。Vicky が悪いことでもしていたように、やや飛び出て見える目を異様に輝かせながら、何を書いていたのかぼくが永遠に知ることのないだろう紙片をノートに挟んで、鉛筆を取り直したので、やっと自分のなすべきことに気がつき、あわてた。——表紙に工場の煙突が三本描かれている教科書をきょうで終わる。


Ted: 1951 年 12 月 1 日(土)(注 1)

 いまから書き続ければ、Sam がこの二週間に使ったページよりも沢山のことがあるだろう。しかし、きょうの午後は何も「積極的に得」たり、「能率的に理解して摂取し」たりしなかった。
 両脇に体重を託し、腹部を両手のひらが握っている棒に近づけ、足をどうかしてから、頭を 360° 回転させてその上に上がるという動作は出来ないとしても、おまけに自分の周りにいる少なくない勤勉家たちをして、ぼくの…。(注 2)
引用時の注
  1. ノートに日付けはなく、Sam とノートを交換して手にしたばかりのノートの Sam の 11 月 29 日付け日記に続けて書いてある。しかし、続く私の日記は 12 月 2 日付けで、そこには前日 Sam に会ったことが記してあるので、この日付けが推定できる。
  2. 「体育の時間に鉄棒の逆上がりが出来なくて恥ずかしく思っているので、その上、学課の勉強でも何人かに負けて悔しい思いをしたくはない」ということを途中まで書いたのである。

2013年8月20日火曜日

最小の空間でなし得る運動を…/テストのスケジュール


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 27 日(火)雨[つづき]

 Pentagon 先生もお休み。代理は、褐色の薬ビンを思わせるような家庭科の先生(Gamma や YMG 君や、新しく新聞部に入った Compe、もちろん、Jack や Tacker らも一緒に昼食時間に割烹室で火鉢に当たらせてもらうことを懇願して、聞き入れて貰うという親切を示されたばかりだった)。Pentagon 先生が刷られた「カット練習を行なうこと」というプリントを渡されたが、何をするのか要領を得ない四行の言葉があって、手をつけられない。そこで、Twelve と Jack に紙を回して尻取り川柳をした。四十九句作って、相互採点にかかろうとしたとき、時間が終わった。こうして遊び騒いだためか、顔がほてって仕方がない。

 先週までの天候とは、めっきり違う。Jack は、青いオーバーを授業中も着たままだ。頭上に押しかぶさっている雲をわずかに透して来る、夏の暮れ方にも劣る光を、白い頬で跳ね返しながら、最小の空間でなし得る運動(注 1)を休み時間毎にしている Vicky が見受けられる。

 出て来た。出て来た。これは何としたことを書いたものだろう。「代数的に解けない」問題ではないか。だから、未だに解ききれないのだ。
(注 2)
引用時の注
  1. 縄跳びのこと。
  2. 数学の問題のことではなく、何かを数学に例えたのだろう。

Ted: 1951 年 11 月 28 日(水)Sleety[みぞれ]

 アチーブメント・テスト
(注 1)のスケジュールが発表になる。といっても、Crow 先生はわれわれのホームで知らせなかったから、解析の時間に Jap から聞いた。六日、社、英、国乙。七日、生、保。八日、解、国甲、図。
引用時の注
  1. 学期末テストをこう呼んでいたのは、わが校の風習か、あるいは、高校進学時の県下一斉テストにならって、私だけがそう呼んだのか。Sam は「一斉考査」という言葉を使っているが、わが校では少なくとも「考査」という古めかしい言葉は使われていなかった。

2013年7月28日日曜日

引揚者同士


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 9 日(金)曇り(つづき)

 生物は試験の解答があってから、…(どうもうまくまとまらない)…科学する心(としておこう)の話ばかりで鐘が鳴った。
 図画は今度も中学のときの復習のような、商品の箱のデザインをしている。ぼくは昨年通り、野球のボールの箱。色を塗るところまで準備して行ったので、Pentagon 先生が同じことを何度も繰り返す話を終えて、「作業」に取りかからせ、教室内を見回り始められた時には、早く見て貰うために教壇前の席から後ろへ移動した。「何だ、こりゃ。素晴らしい。ホームランか(打者の図案を見て)。ボールを入れるんやな」といわれる。「なかなか、きちんと。何か見て描いたか」との問いに、先生の発音ぶりとは反対の早めで抜け目のない口調で、「Hare Ball では語調がよくないですが、しかし、よく飛ぶウサギのようなという意味を込めて…。これとこれの図案は見て描きました。字の方は少しも」と答えた。時間が終わって、道具を片付けているときにも、先生はぼくの図案の英文字に感心して、「何かそんな図案辞典でも…」といわれるので、「いやいや、こんな字は、いつもいろいろ自分で考えて書いているので、慣れています」と、大きく応じた。スポーツ用品の箱だから、細い字や妙な飾りのついた字をやめて、太くて角張ったのにしたところが気に入られたのだろうか。(注 1)

 そのあとの休み時間に「どうですか」という挨拶で後ろからぼくを捕まえたのは、渉外委員長だったかになった Massy だった。外へ出ようというので、雨水を吸収しきれないで水たまりをあちらこちらに広げている地面の上へ歩を落とした。散り落ちたあとを雨にたたかれて、かさかさと鳴ることも出来なくなっている落ち葉。陽光が温かい。体育館の横を一度通り、同じところを再び通って引き返す頃から、Massy の話は、ぼくを大連の電車に乗せて、静浦、星が浦、常葉橋などへ連れて行った(注 2)。「うん、確かそんなとこ、あったようだ」、「はぁ、あそこか。行かなかった」などと答えた(ぼくは彼より大連に住んだ期間が短いと思う)。保健室前の出口へ戻ると、Vicky や Hicky や Picky たち(いや、Hicky、Picky は誰のあだ名でもない)がひなたぼっこをしている。
 それから、Massy は一人で旅順へ行った、いや、彼の頭の中へ旅順がやって来た。ぼくに行かなかったのかと問う。行かなかったと答える。A・T 君の住所を伯母に聞いて教えなければならないことになる。ぼくも、大連で向かいの家にいた、早く動く口から女性的音声を発し、運動会では長くはない足でひた走りに走り、一、二位を取ることを常とした A・T 君に手紙を出してみようと思う。N・W 君や R・O 君はどうしているだろう。しかし、この二人には、いまのところ、これといって知らせたいこともない。東京、神戸のことは聞きたいが、こまごまとは書いてくれそうもない。

 Peanut 先生が「重要思」と書いてあるところを、わざわざ直さないで読んで行き、「ここまでに一つ間違いがあるんだ。誰か」といい終わられないうちに、Sam から「誤字発見器」の名を貰ったぼくが手を挙げて答えたので、TKN 君が「早い奴や」といった。『菫台時報』第十一号の 1/3 くらいの割合で誤字のあるものが、国語の教科書だから、たまらない。
引用時の注
  1. どのアルファベット文字でも同じ四角内に収めて、普通には線である部分とは逆に、隙間の部分をほとんど線状ないしは小さな区画にする図案化を使ったのだったか。この図案化の方式は、大連の小学校で戦後、真鍮の小片に学校の名前を英語の略字で刻んだバッジを作り、帽子の横につけることが友人たちの間で流行っていたが、そのバッジの文字に彼らが採用していたものである。
  2. Massy は、私の大連での住まいの近くに住んでいたのだが、私が大連へ行く少し前に北京へ移っていた。どちらも引揚者である。北京では終戦後授業がほとんどなかったので、Massy は引き揚げ後 1 年下の学年へ編入した。それで、大連の小学校の同窓会総会では、彼は私より 1 年先輩の人たちのテーブルにいる。

2013年7月24日水曜日

何にもならない仮定


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 7 日(水)雨、8 日(木)雨

 「三振の規則がなかったら…。」オールパシフィックの健闘も、対米選抜戦は 2 対 2 の引き分けで、アナウンサーはこんなことをいっている。「何々がなかったら。」これまでの国語甲のテストでぼくの下にいたのに、「新発意」などの今度のテストで九十九点を取った女生徒に対して、ぼくは Sam が先月二十四日や三十日に書いたような状態になれるだろうか(注 1)。「何々がなかったら」という仮定は、何にもならない話だ。堂々と真正面から。そうだ。今度の八点差を、Vicky はぼくに対して正々堂々とつけたのだ。

 昨日は残念だったが、三回ばかりの練習を何のためにしたのか分らなくしなければならなかった(注 2)。そして、行ったのは NS 医院だった。"... so, do not be regret overtake you." というところで、Mouse 先生が自分の片足を後ろへ引いて、「ありゃ!」と口をとがらせていい、自分の先へ行った「後悔」を見つめている姿をされたのと、母も心配したのとに背を押されて、しぶしぶながらも白くてこわいヒゲの持ち主の NS 先生の診察を受けに行ったのだが、「大したことはないですよ」といわれた。

 一限は生物のテスト。呼吸作用を CO2 の測定によって調べる実験方法二つのうちの一つと、カエルのすい臓に関する最後(六番目)の問題が全然分らなかった。(つづく)
引用時の注
  1. Sam は10 月 24 日に「他の者より幾分でも優越した位置を占めたい」と、また、10 月 30 日に「常に優位を占めていなければならない」と書いていた。
  2. 風邪気味のため、出身中学の文化祭での卒業生合唱の本番に行かなかったことを書いている。何曲歌うのだったか、練習したことが記憶にあるのは「平城山(ならやま)」だけである。

2013年7月14日日曜日

見せる羽を持っていない鳥


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 31 日(水)晴れ

 何のことはない。もう、赤の上に灰色を重ねた服装に変って登校している。一つの鋭い鋭角を持った幾つかの三角形の寄り合いの、外側を滑らかな曲線で囲んだ感じがかもし出す、寄せつけない雰囲気の笑み。——彼女についての観察は、ずいぶん何度も Sam に知らせて来た。——何を書こうとしたのか分らなくなった。——
 教室に出入りするとき、昼休みにはときとして狭い廊下で、よくわれわれの目は衝突する。——この調子では、長い本論を書き始めることになりそうだ。——などといって書きしぶっては、また、誤解されるかもしれないが、次の結論(「英語会話」が終わってから、ニュースが始まるまでかかって考えたものだ
(注 1))だけでやめておこう。
 「広げて見せる羽を持っていない鳥だ。しかし、だから…」
(注 2)
 It is complicated. It is complicated. It is complicated. It is ...
 短い編集会議を済ませて帰り、富山県営球場での日米親善野球の実況放送を聞いた。アナウンサーが、第一球で「ストラックアウト!」といったり、「新しく新調いたしましたユニフォーム」といったりするので、誰もいない部屋(祖父は外出していた)で、複雑な問題を忘れて、独り笑った。ブンちゃんのホーマーはよかったが、6–2 では、歯が立たない感じだ。
(注 3)
引用時の注
  1. この頃、わが家にラジオを購入したばかりだった。
  2. Vicky とのいわば「無関係な関係」について、高校時代の日記では抽象的な言葉でしか表現しなかった。私の彼女への当時の気持は、具体的にはどういうものだったのかということに加えて、定年退職も近い頃になって彼女と同窓会などで何度か話す機会があったことも、Sam に一度報告しなければと思っていた。しかし、その矢先に Sam は病死し、報告の機会が永遠に失われた。そこで、Sam に報告するはずだったことを英文の短篇小説の形にまとめたのが "Vicky: A Novella" である(私の自費出版書 "Passage through Spacetime" に含まれている)。
  3. 「ブンちゃん(文ちゃん)」とは、中日ドラゴンズなどで活躍した西沢道夫選手(1921–1977)の愛称。1950 年に記録した 1 シーズン 5 本の満塁本塁打は、現在も日本記録である。1977 年に野球殿堂入り。

2013年7月11日木曜日

H 時は二十の扉


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 30 日(火)曇り一時小雨

 やはり、これは唯一の、そして徹底的な悩みの一つなんだなぁ! 天候を気遣う。「木からもののこぼるる音や秋の風」という千代の句も、そのままには受け取れないで、「雨雲にわななくガラス秋の風」という、荒っぽくて感傷的なものに変ってしまう。(注 1)

 二限の初めに「退屈または疲労のときなどに出る太息」をして YMG 先生に「徹夜しましたか」と聞かれた Vicky は、風邪を引いたと答えた。いつになく、「出してもよいですか」と、答案を真っ先に提出して教室を出て行った。「頭でも痛い?」という先生の問いには、「書けましたから」といっていたのに、次の時間からは、二学期の初めから同じ姿だったかと思われる、白と、背中の両側で 3 の字二つ半が連続した縁になっている黒との姿はなかった。

 H 時は二十の扉。一切を文化委員の AK 君に一任してあったので、彼が問題を作って来た。そして、座席の一列ずつが前へ出て解答者となる方式をとり、SMM 君を司会者に指名した。右端の列から順に解答者となり、SMM 君の、きょうばかりははかばかしくない口ぶりの司会(あとで聞いたところでは、彼はラジオの二十の扉をほとんど聞いたことがないそうだ)で始まった。ほとんどの問題がいたって簡単だったことと、考えている時間が長かったことのため、期待したほど面白い行事にはならなかった。
 ぼくの列は、十九問目で追い込みに成功して、「UE 君(Atcher)が持って来た(ホームへ提供した)バット」を答えた。「UE 君がこの間折ったバット」とぼくがいったときが、聴取者たちが一時間の中で最もスリルを味わったときだろう。時間が足らなくて、六列あるうちの五列までしか行かなかったが、十九問というのは一番長かった。それでも、何らかの質問を次々と間をおかないで出すように努め、十九のうちの半分ほどはぼくが質問した。
 自分が解答者になってみると、ラジオで聞いているときには起こらない次のような感じを経験する。空一面に広がっていた雲が途切れて一片だけとなり、次には長方形のような形となり、その周りにいろいろ具体的なものの姿が踊るのだが、どれもどこかに足らないところがあるように思われる。それには構わないで、質問で答の範囲を狭めて行くと、中心にある長方形が彫り刻まれて、次第に形を成して来る。そして周囲に集まった各種のものの姿は、その数が減って行き、彫刻は完成に近づき、最後に、周囲にあって残った一つのものと一致する。と同時に、回転する地球の像が最後をしめくくる。
(注 2)
引用時の注
  1. 体育実技は晴天ならばグラウンドで球技になるが、雨天ならば、体育館で、私の全く苦手な跳び箱やマットを使う運動をすることになるので、その授業のある日は、もっぱら晴天になることを願っていたのである。
  2. これは、どこかの映画社のフィルムの冒頭の映像の影響か。

2013年6月30日日曜日

悩ましげな/息づまる気持で


高校(1 年生)時代の交換日記から

Elecky がTed: 1951 年 10 月 20 日(土)曇り

 悩ましげな…、ああ、悩ましげな…。やや突き出た瞳と唇、白っぽくあせた、泣いたあとのような表情。
 それに引き換えて、快活な、軽やかな、きつね色の輝き…。従順さはなさそうな…。全てが不完全だけれども、全てが完全だといいたい。

 生物の時間は、散歩をしたに過ぎなかった。*
 SH 時には、Purse が議長となり、旅行的遠足の目的地が手取峡谷と決定された。Sam の学校とは違って、われわれのホームは温泉地に見向きもしなかった。
 C 時には、21 番教室で行なわれる高文連・新聞研究会の準備をした。ぼくは T・S 君と椅子を運んでから、黒板に「高文連新聞研究会」、「テーマ 高校新聞を批判する」、「発表者 … … …」などの字を書いた。
Ted による欄外注記

 * 解剖実験用のカエルを捕りに行って、捕まえられなかったのだったか。

Sam: 1951 年 10 月 21 日(日)雨

 昨日そういわれていたので、九時頃から出向いて、学校に行く。まだ早い。白墨をこっそり取って来て、いたずらをしていた。
 タイプの練習はほとんどしなかった。第一体育館で篭球や羽球などをして遊んだ。

 感想はあったが、もう書くべきほどのものはない。

 夜、『白昼の決闘』
(注 1)を見た。夢じゃない。しかし、夢のようなものだ。興奮して、息づまる気持で、登場人物に注意を集める。(駄目だ。どうも表現がまずい。)
引用時の注
  1. 『白昼の決闘』(原題 Duel in the Sun)は、1946 年のアメリカ映画。キング・ヴィダー監督の西部劇。

2013年6月25日火曜日

ちらっと動いた肌色


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 17 日(水)晴れ

 社会の時間に隣の Peco が「鞄一杯やさかい、持って行ってくれ」といって、吉川英治の「『佐(すけ)どの』『佐どのうっ』『おおういっ』すさぶ吹雪の白い闇にかたまり合って、にはかに立ち止まった主従七騎の影は、口々でかう呼ばはりながら」という書き出しの本(上巻)を貸してくれた。

 Sam の家から歩いて歩いて「不許葷酒入山門」(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)と彫られた石が前に立っている門(注 1)をくぐる頃には、屋根や樹木に接しているあたりの空は、完全に淡い赤紫色になっていた。
 破れたズックの割れ目からは、足が見えていた…。「昔より賢き人の富めるは稀なり」の例にもれていない。Vicky もやはり奨学生である。…おや、どうしてこんなことを思い出し始めたのだろう。空の色が、社会の時間に床に目を落としたとき、ちらっと動いた肌色を連想させ、また、Sam の家へ行く前に大学前で切れた下駄の緒をいい加減にねじっておいたのがよく持ちこたえたなと、忙しく動かしている自分の足を見たことから、その肌色が足だったことにまで思い及んだのである。[つづく]
引用時の注
  1. 天徳院の山門。当時その山門を入って左へ抜ける道があり、その近くに住んでいた。

2013年6月21日金曜日

自習時間のこと


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 15 日(月)雨、午後、台風 Ruth 通過

 国語乙の試験の第一題は、『奥の細道』から俳句が二つ。第二題は、『徒然草』第十一段の後半。第三題は、「幾山河越え去り行かば果てしなん国を淋しく今日も旅行く」という牧水の歌。いずれも評釈を書くのである。
 解析は Pentagon 先生が来られて自習。図書館へ行ってはいけないというので、しばらくは、 Vicky が英語や社会や生物の教材を次々に出したり、獅子頭の耳とイヌの垂れた耳との中間のような形に横に分けられている髪の束を振りながら、他の女生徒たちと話したりするのを見ていた。そのうちに Jap から紙を貰って、Sam と紫中の TNK 先生の時間に主にしたようなことをし始めた。 難しいのは無理だと思って、まず、折り込み都々逸を取り上げた。彼は Sam がその問題を出したときのぼくと同じく、都々逸を知らなかったので、次のような例を書いた。
 バットが折れた
 カチッと折れた
 やきゅうは止めて
 ろうきゅうだ
Sam がしてくれたように字数を説明しなかったのは全く悪かったが、彼は長い文を各行に書いたので、注意しなければならなかった。すると彼は、次のように書いて来た。
 ばたばた自動車
 かちかち頭
 やれー野球
 ろくでなし
これでは各行の間につながりがなくて面白くない。そこで、これも Sam からいい出して Funny も交えてしたことのある英語の尻取りをした。途中で、名詞に限るという制限をつけた。k がしばしば最後に来て、続けようとして思い出したのが [k] の音ながら,文字は c の場合がたびたびあり、発音記号で尻取りをしてはどうだろうといい合った。

 SH 時に SM 君が、「記念祭特別委員会が十二日をもって解散した。新聞クラブの編集長が承認された。何々クラブの国体出場が承認された」など、初めて生徒議会の報告をした。校内放送は、きょうが第一期最後なので、生徒会の動きやアセンブリーの反省などを扱っていた。

「理」という字から受けるのと同じ感じの…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 14 日(日)雨

 一枚程書いてから「読書心理と人間生活」と題することにした宿題の作文を、どうやら書き上げた。抽象的な陳述の連続で、甚だしく頭を使った。頭を使った割には、一向によいものになっていない。論理を無理に思う方へ引っ張って行こうとした表現は、いらないところで長引いて、五枚以内というのに、五枚目は欄外へ出て二行多く書いた。

 『奥の細道』の石川県に関係する部分と『徒然草』の初め少しとの試験があるが、これといって覚えなければならない事項はない。
 講和会議の前とあととの新聞を整理したが、書き留めたことは少ない。

 この間、祖父が野町まで足を運んで注文して来た厨子を、母が受け取って来た。茶色がかった黒の縦六十センチ、横三十センチ、奥行き三十センチほどのその箱は、祖父を、ぼくが本箱を買って貰った時のような気持にした。早速、それに向かって、「アナンダーラ、カナンダーラ」と唱えている。

 これでも一日!

 「理」という字から受けるのと同じ感じの顔立ち。いつまでも「強敵」としておくことは出来ない。大きくも小さくもなく、心持ち突き出た様子の目と口元は、軽率と虚偽をとがめているように(こんなものは誰でもとがめるに違いないが、その目は、ぼくのそれをことさらにとがめているように)感じられてならない。(注 1)

 いくら辞書を見ても、それに適した漢字が見つからない。
引用時の注
  1. ホームルーム時と二つの講義以外、登校日には毎時間顔を合わせた Vicky のイメージから、日曜日にも逃れられなかったようである。ところで、ここにある「『理』という字から受けるのと同じ感じ」、「とがめる」などは、翌年の夏休みの創作「夏空に輝く星」の第十二章中で次のように利用している。「 〈他人のものを拾って一ヵ月も返さなかったことを知ったら、彼女はどんな顔をするだろう〉 と稔は思い、『理』という字から受けるのと同じ感じを持った彼女の顔の中で、目と口が彼をとがめるような恰好になるのを想像した。」ただし、このヒロインのモデルは Vicky ではなく、何人もの女生徒たちの寄せ集めだった。

2013年6月20日木曜日

「もう教える資格ない」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 12 日(金)晴れ

 破滅、敗退、転落! 何の欠如だろう。しかし、——。しかし、——。落ち着きのなさ。大スランプ。Jack は躍進した。
 平然としている勝利の女神 Vicky。とはいっても、ぼくはもっと平然と出来る。あの質問は、あの叫びは、あの問答は、決してぼく以上の自信ではない。だが、いまのぼくには、それをいう資格がない。将棋の駒を積み重ねた上のようなところに立っていたのだ。そこへ大震動が来た。三つの不覚が失った大量の点。そのあとへ代って入って来たものは、この錯綜した心理。
 生物の時間には、血が引いて行くような気持になり、三限にはペタペタと色を落としながら、何ごとかを病的に口走り、 Jap(注 1)の顔を見るのも嫌だった。結局はぼくが説明しなければならなかった |x| < |a| と |x| > |a| に納得の行かなかった Jap と、彼の逆数(ではない、逆文字?(注 2))は、ことごとにぼくを沈痛にする。これもいつかの「事件」のように「身から出たサビ」だが…。四限のあとで Hotten に会ったときは、「もう教える資格ない」といわなければならなかった。
引用時の注
  1. 実際の日記では、ここに「(TJ 君をこう呼ぶらしい。こんなことの始まる前に Vicky が "Japan これ教えて" といったように思うのが聞き違いだとしても、Hotten もいつかこのニックネームをいっていたから、確かだろう)」というカッコ書きがあり、TJ 君に対して、ここで初めて Jap というニックネームを使っている。
  2. Jap の姓の漢字二字を上下入れ替えると Vicky の姓になる。

2013年6月19日水曜日

打ち解けて競い合いたい


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 11 日(木)晴れ[つづき]

 昨年われわれの先輩が使った T. K. K. 発行の『解析 (I) 』にあった x + 1 < √(25 − x2) が、 Hotten が帰ってからのぼくを考えさせた。階下の姉さん(注 1)に聞いてみたが、かえってこちらから説明をつけなければならなかった。三重の手間をかけてようやく答えが出ることを自分で見つけた*が、これもあまり喜びとならない。
 消えたっ!(注 2)向かいの家の Sound の弟が、「外で本読めれる」と、可能動詞の未然形にさらに可能の助動詞をつけていったのが聞こえる。西洋の古城の、崩れかかってツタがからみついている石壁を照らすのに似つかわしいような月の光が射している。青みがかった銀色の屋根瓦の波を見ながら、挑戦とも、尊敬とも、恍惚ともつかない感情の文字を組み立てることを想像した。それより先には、Ted A と Ted B が次のように討論したのだった。
「せっかく広がっている憧憬的な世界を…」
「しかし、それについて迷っているならば、初めから無関心であり得るという性格だった方がどんなに…」
「迷うことはある。あるにしても、そんな世界を知らないよりは…」
続いて頭の中に並べ立てた文字群の、決して新しくもなく、十分に自分の意志を表していないことに気がついたとき、パッと打ち切られた。ガチャガチャとコーラスをしていた虫たちが、指揮者のタクトの動きが一瞬小さくなったのに応えでもしたかのように声をすぼめ、間もなくデクレッシェンドした。そこはよかったが、あとは変化がなく、念仏のようだ。念仏! 狂ったぼくは、誰の前にひれ伏そうと考えていたのだろう。——ひれ伏すのではない。しかし、あまりこうした考えをもてあそんでいると、実際にひれ伏さなければならないようになるかもしれない。——もっと打ち解けて競い合いたいものだ(注 3)。いまや、そのことで頭が一杯である。
Ted による欄外注記
 * と思ったのは、早まりだった。
引用時の注
  1. 日記には滅多に登場しないが、間借りしていた家の長女、S・T さん。当時、高師付属高校 3 年在学中か、あるいは卒業したばかりで、なかなか優秀な人だったが、数学はあまり得意でなかったのかもしれない。高卒の資格で、私の母が勤めていた盲学校の見習い教員になり、講習を受けて免許を取得し、間もなく正教員になったと思う。
  2. 当時は、停電がときどきあったようである。
  3. このように考えていた対象は、いわずと知れた Vicky。

「Humanism の否定、尊重」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 11 日(木)晴れ

 「Humanism の否定、humanism の尊重」、何という理知的な解釈、何と整然とした解答だろう。どうしたら、頭の中が整い、熟知したことをそこへ確実にしまい置き、時に応じて素早く導き出すことが出来るだろうか。
(注 1)
 身近な人のある面にこれほど敬虔の念を抱きたくなる人物が他にいるだろうか。いやいるだろう。そして、もっと正しくそれを踏み行なっている人々も多いに違いない。これもやはり、ぼくの好むエマーソンの言葉に相当する。自分のこの芽は真っすぐに伸ばしてやるべきだろう。
 解析の単元 2 のテストの解答に二ヵ所の誤りを発見したので、ヨウコ先生に伝えに行ったが、a > b ならば |a| > b か、という問題については、先生が勘違いしておられて、昼休みにもう一度行かなければならなかった。そのときには、きょう試験のあった Lotus や OB 君が先生の周りに集まっていた。「これは負けたね」と先生にいわせて引き上げたが、大した喜びも経験出来ない。
 アセンブリーがあるはずだったのに、どうしてなくなったのだろう。昨日、校内放送で「第一期最後のアセンブリーなので、会計(それからもう一つ、何だったか忘れた)から一期の経過報告を行う」といったように覚えている。だから、五限が終わるや否や、外部に異常だと感じさせない範囲の最大限の早さで編集室へ鞄をおきに行った。また、けさから「きょう、アセンブリーあるがか」といういくつかの問いにも「ある」と答えて来た。天狗に目隠しをされた(キツネにつままれる、と言う表現があるが、同様の意味の造句だ)ような気持だ*。
 SH 時に Crow 先生は低いが太くない声で「協力」ということについて話された。先日からの掃除が悪かったからだ。OB 君らがいろいろと、もっともな発言をした。|a| > b のことに神経を刺激されていた HR 委員は、OB 君が「事件」といったその問題に対して何の善後策も考え出し得なかった。[つづく]
Ted による後日の欄外注記
 * 廊下の黒板に掲示され、経過報告は翌日の SH 時に校内放送を通じて行なわれた。経過をいろいろと述べてから、終りに、「今後も皆さんのご協力あらせられんことを希望して、経過報告に変えます」といったが、どこが「変え」てあったのだろう。
引用時の注
  1. 何のことか分らない書き方だが、先に社会科の宿題として「明治憲法と日本国憲法の比較」というのが出たと記していたことから、カッコ内は、その宿題の優れた解答として YMG 先生が紹介した Vicky の答えと思われる。いま、自民党の改憲草案と日本国憲法を比較して、「Humanism の否定、humanism の尊重!」と叫ばなければならない。

2013年6月17日月曜日

今度は教えて貰う羽目に


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 9 日(火)晴れ

 今度は教えて貰う羽目になった。不等式の「復習と研究のための問題」が終り、プリントが渡された。Jap に絶対値記号の入った不等式に当てはまる x の範囲を求める問題を説明してくれといわれて、答だけは分ったが具体的に説明出来なかった。それで、彼は Vicky に尋ねた。ぼくも彼女の説明を聞いた。「いま、先生に聞いたがや」といってしてくれた説明は系統だっていたが、少し考えれば分ることだったと後悔した(注 1)。その後悔を取り戻すために、Jap がまだ三題目ぐらいをやっているときに、九題ともしてしまって、彼を驚かせた。驚いた彼が、「|x| が大きいというときは、(範囲が)二つになるがやぞ」と初歩的な忠告をする。「でなければ、わざわざ絶対値記号をつけん」と答えたら、鐘が鳴った。解析の時間は短く感じた。
 YMG 先生はまだ出て来られない。補欠の先生も来られないので、解析を出してする。少し遅れて着実にぼくのあとをついて来る Twelve が何度も聞きに来る。テスト 2 の (3) を考え違いばかりして、貰ったばかりのプリントの裏を汚して、やっとプリントの表を向け、前の時間の続きにかかると時間が終わった(注 2)。
 H 時は二学期最初のスポーツ。その時間の始まる前にグラウンドへ出て、ソフトボール用の最も広い場所を確保した。それでも、センターのすぐ後ろは他のホームのホームベースだし、ショートの横へは、さらに他のホームの一塁が入り込んでいた。走った後ろに砂が舞う。腕が太くなった感じに汗ばむ。三塁線とレフト前へヒットした。一本の凡打も左飛だった。(注 3)
引用時の注
  1. 不等式のことで Jap と一緒に Vicky の説明を聞いたのは一学期のことかと思っていたが、それは記憶違いだったようだ。
  2. 先に、解析の時間に配布されたプリントの問題を全部してしまったように書いてあることと矛盾しているが…。
  3. 私は体育が大の苦手だったが、ソフトボールは好きだった。