2013年3月6日水曜日

従兄から口頭試問を受ける


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 24 日(火)晴れ(つづき)

 夕食後、母と伯母の家(正確には間借りしている家の二階、ここからすぐ近くである)へ行く。伯母と Y さん(従兄、先日登場した Sarry の弟)は、縁側に安い値で買って来た簾(すだれ)をつるすのに苦労していたところだった。風の落ちた縁側で、母は伯母の口説き話を聞き、ぼくは Y さんの質問に応じた。
 Y さんは、大連商業から予科練に行き、われわれが引き揚げて来たときには、金沢駅で迎えてくれ、その頃から白雲楼ホテルに勤め、いまは倉庫精練で働いている。『復活』に出て来る政治犯人・ノヴォドヴォーロフの性格を述べた「自信が強過ぎる」という言葉が当てはまりそうだが、これは内緒だ。正月頃に訪れた折には、マッチ棒で手品をやってくれたが、口上の勇ましさの通りには芸が成功しないから、見ている方が心配だった(これも内緒だよ)。
 Y さんは、社会科で何を習っているかという質問に続いて、「イギリス首相は? アルゼンチン大統領は? フィリピン大統領は? インドネシャ大統領は?」と、ぼくにテストをした。ぼくは中学の終り頃、Sam も知る通り、各国政治首脳の写真を新聞から集めて自作の大きな世界地図に貼りつけることを趣味にしていたから、答えはすらすらと出た。「ブラジル大統領は?」と聞かれて、「バルガス」と答えると、Y さんは「え、バルガス?」という。
 帰るときに Y さんは、「試験みたいだったな。それでも何か得るところがあっただろう。ぼくもまた、たっちゃんに新しいこと習うよ。きょうはブラジル大統領を覚えたよ」といった。何だい。自分の知らないことまで出題したのだ。それでも、アメリカの独立宣言の年や、運輸相、通産相、労相が誰であるかを知らなくて、「新聞クラブ、しっかりせんか」といわれたのには、返す言葉がなかった。

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