2013年3月1日金曜日

午後からの海水浴行き


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 7 月 21 日(土)晴れ

 十時が二時になったのでのんびり出来た。Ted が誠意をもって届けてくれたものを、十一時頃に返却に行った。そこは静かだった。五人近くの係の女生徒が、椅子にかけて何か話していた。その中の一人にタイプの講習で顔見知りになったのがいたので、双方で自然ににっこりした(別に大したことでもないが、書いてしまった)。本を返してから、特にあてもなく、カード箱ををあっちこっちひっくり返して、二冊の本の名を記入し、係員に提示したが、一冊しかなかった。分類番号は、日本十進分類法で 143 の 4。帰宅後、シソの葉を取る手伝いをした。

 午後一時半頃、金ちゃんを誘いに行ったが、二時を大分過ぎてからやっと会社から帰って来た。心ばかりが急いだが、致し方なかった。Neg を小一時間も、北鉄金沢駅で待ちぼうけさせた。普通ならば、ぼつぼつ帰りかける時刻に出発する。海は波が高かった。われわれは、泳ぐというより、波に抵抗した。そうしなければ、瞬く間に、なぎさに押し返されてしまう。波が来なければ、ひざのわずか上までしかないところでも、白い牙を立てた波が来ると、われわれをひとのみにして、越して行く。——
 時間が時間だったので、一分間何円というような海水浴だった。六十円持って行ったが、電車賃にその 2/3 を使い、パンとコーヒーを買ったら、無一文になった。帰りに電車を下りると、金沢の大地図をバックにして、宣教師らしい外人がバイブルを手に、英語のような日本語で、物珍しげに見ている人たちに話しかけていた。彼らは四人の仲間からなっていた。一人はオルガンの前に腰かけていた。オルガンには賛美歌の本が数冊置いてあった。一秒のことで電車を見送ってしまったので、講習には間に合わない時間になった。

 Gold(少しもったいないニックネームだが、これを金ちゃんに与える)と二人で歩いて帰る道中の半分近くは、かつてぼくの第四指(人差し指が第一指だよ)とうわさされて困ったことのある人物について、彼がしつこく食い下がって来るので、いやになってしまった。どうせ Gold にとってはこんな話が面白いのだということはよく知っていたから、ばくぜんとしたことばかりいっておいた。いまは考えてもみないことだが、否定しても Gold は決して信用しないので、逆効果になる。その辺が何となく難しい。

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