2013年3月4日月曜日

問題の方がミスが多い


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 23 日(月)晴れ(つづき)

 それは、Jakkan 先生が卒業式後に補習授業をしていて、ぼくがそれに顔を出していたときのことだったからね
(注 1)
 「You shall die. タバタ、訳して見ろ。」
 「君は死ぬでしょう!」
 「なんだ?! You shall die. イコール I will kill you. だ。」
とやられたのは、Jack が Minnie から交換写真を手渡された日だった。
 Jakkan 先生は、「これが出来たら、帰ってもいいわ!」といって、難問を出すから楽しみだ。そういうことが二回以上はあったのだが、一度も帰らなかった。覚えている一度は、二年のときで、社会の時間だった。「タバタに "若干" というあだ名つけたの誰だ! "若干" は英語でなんというか。出来たら帰してやる!」("若干" とは先生の方じゃないか
(注 2)。)もう一度は、"You shall die" と同じ頃で、ぼくが Minnie(こう乱用すると、Funny に悪いかな。いや、そんなことはなかろう)と同じ教室で講議を聞いた、後にも先にもない期間のことだ。"May I ...?" という疑問文の答えとして、"No, you (  ) not." のカッコ内に当てはまる言葉をいえばよかったのだ。このときは完全に帰れたのに、帰らなかった。(あっさり答えて帰るのと、講義を聞き続けるのと、どちらを望んだかということになるかな。)

 Tom は三枚のプリントに、一つも間違いのないように答えを書き込んだ。こうなると、問題の方がミスが多い。和文英訳問題の「英語の勉強をする」という部分に、この英語を使えと言う意味で「(study hard)」とあるなど。次のような問題もあるから、われわれは鉛筆を投げ出し、プリントを振り回し、畳をたたいて笑った。「少年よ (boys) 大志を抱け (be ambitious)。」ほとんど出来上がっているではないか。

 Tom の写生を見るために公園までお供した。図書館を後ろに、茶屋と木々と小画家がよく描きたがる長く伸びた道とを前にしたベンチに、彼は道具を置いた。これで三日目だという彼の絵は、明るくて力強くて弾性があった。油っぽい絵具の匂い、鮮やかになったり鈍くなったりする自在な色合い、それらが混じて浮き上がらせる感情と響き…。強い魅力を感じた。
(注 3)
引用時の注
  1. 私の中 3 のときの英語の先生は Jakkan 先生ではなかったが、中 2 ではこの先生から英語を習ったし、中 1 のときのクラス担任の先生でもあり、のちのちまで何かと助言を貰ったりした関係で、私はその補修授業を受けたのである。
  2. Jakkan 先生は授業中によく「若干すね…」といわれ、また少し難しい話のときには、しばしばクラスのめぼしい生徒を名指して「○○、分るか」といわれた。それで、級友たちがよく聞く先生の口癖は「若干すね…。タバタ、分るか」であり、先生のあだ名を「若干」にするとともに、私の顔を見れば「若干、タバタ、分るか」といって面白がる級友たちもいた。あとの方が Jakkan 先生の耳に入り、先生は私のあだ名が「若干」だと思われたようである。
  3. すっかり忘れていたが、この日の兼六園の観察が、私の高 2 の夏休みの創作「夏空に輝く星」の冒頭を書く一つの参考になったようである。

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