高校(1 年生)時代の交換日記から
Ted: 1951 年 8 月 2 日(木)曇り
こちらから押しかけて行った顔は、よく見てくれたかね。(インクの色が一センチ右の行と相当違うので、目が錯乱するようだ。)事故! きょうも神戸の国電が何かやったね。恒星と恒星が衝突する事故を考えてみよう。壮大だ。新しい太陽系が出来るかもしれない。しかしそんなことの起こる確率は、われわれの手の届く所にある数字で表せないものだろう。宇宙空間に浮かぶちっぽけなほこりのような球の上にとまって、わずかばかりの知恵を振り回している動物が、彼ら自身の作った機械や、少し払えばよかったのを払わないでいた物騒な注意力によって頻発させている惨害は、何とかしてまれにしか起こらないものにしなければならない。まれにも起こらないように? それは、われわれがおかしているミスの数を見れば、望めることかどうかが分るだろう。
せっかく与えられた時間を半分ほど壊滅させた。甚大な損害だ。ぼくがそうしていた間に Jack はビッグニュースに値する事柄に直面して、彼自身としてなすべきことはなしていたのだ。彼は予定によって、期限切れの本を返しに県立図書館へ行った。そこで彼は当惑し、ちゅうちょし、血液を顔へ集中し、度胸を奮い起こさなければならなかった。そのときの模様を彼はごく自然に彼の日記に書いている。それはいつかの電車の中の Sam とも、映画のときの Sam とも(注 1)、四月十三日のぼくとも違っている。
四月十三日のぼく、それは場所も雰囲気も間柄も、きょうの Jack とは少しずつ異なっているが、相手だけは同一である。きょうの Jack とは全然反対のことをしたし、自分でそれでよいとも思えなかったから、問題である。ひょっとすると、あの場合は、あれで仕方がなかったかもしれない。表面的にはそうであっても、自分だけが知っているあのときの心の持ち方には感心出来ない。
その日、金曜日ではあったが、授業はまだ本格化していなかったので、あの頃何度もやった無駄足を覚悟して、われわれの教科書を取り扱う書店へ徒歩で行ったのだった。一攫千金の夢を売っているところから少し行ったとき、ぎくりとした。数メート先に、赤い風呂敷を持った手を腰に当てるために、藍色のハーフコートの裾を手首でちょっと持ち上げた格好で歩いて行く彼女が見えるではないか。(おっと、古いことを思い出し始めたものだ。)どうしたものかと思い、必然的に足が鈍くなって、一瞬見失った。構わずに宇都宮書店へ踏み込むと、中をすたすたと行く紫色の像(藍色も一生懸命に見ていると紫色になってしまう)が視界に入り、それはすぐに左側へ曲がった。その隙に、ぼくは階段を駆け上がって教科書を求める列についた。そうして待っている間にふと振り向くと、後ろにいて誰かと話している、あの細い目の…(これくらいにしておこう。Jack も彼女の身体の特徴を書いていたが…)。Sam に頼んでまだしてくれない「説明書き」は、どうも Jack に頼んだ方がよさそうだ。福島県生まれということまで知っているからね。(一人の人物(注 2)について延々と一ページ近く書いてしまった。)
すばらしいことだとは思っているが、他の人ほど夢中になって喜ぶということの少ないぼくだから、感謝したり、学んで来るべきことを考えたりするだけだ(注 3)。祖父はぼくに持って行かせるいろいろなものを用意し、母はぼくの身の回りに必要なものをそろえ、きゃしゃながら大連にいたときより丈夫になった伯母も、ぼくにことづける品などをおいて行く。
Ted: 1951 年 8 月 2 日(木)曇り
こちらから押しかけて行った顔は、よく見てくれたかね。(インクの色が一センチ右の行と相当違うので、目が錯乱するようだ。)事故! きょうも神戸の国電が何かやったね。恒星と恒星が衝突する事故を考えてみよう。壮大だ。新しい太陽系が出来るかもしれない。しかしそんなことの起こる確率は、われわれの手の届く所にある数字で表せないものだろう。宇宙空間に浮かぶちっぽけなほこりのような球の上にとまって、わずかばかりの知恵を振り回している動物が、彼ら自身の作った機械や、少し払えばよかったのを払わないでいた物騒な注意力によって頻発させている惨害は、何とかしてまれにしか起こらないものにしなければならない。まれにも起こらないように? それは、われわれがおかしているミスの数を見れば、望めることかどうかが分るだろう。
せっかく与えられた時間を半分ほど壊滅させた。甚大な損害だ。ぼくがそうしていた間に Jack はビッグニュースに値する事柄に直面して、彼自身としてなすべきことはなしていたのだ。彼は予定によって、期限切れの本を返しに県立図書館へ行った。そこで彼は当惑し、ちゅうちょし、血液を顔へ集中し、度胸を奮い起こさなければならなかった。そのときの模様を彼はごく自然に彼の日記に書いている。それはいつかの電車の中の Sam とも、映画のときの Sam とも(注 1)、四月十三日のぼくとも違っている。
四月十三日のぼく、それは場所も雰囲気も間柄も、きょうの Jack とは少しずつ異なっているが、相手だけは同一である。きょうの Jack とは全然反対のことをしたし、自分でそれでよいとも思えなかったから、問題である。ひょっとすると、あの場合は、あれで仕方がなかったかもしれない。表面的にはそうであっても、自分だけが知っているあのときの心の持ち方には感心出来ない。
その日、金曜日ではあったが、授業はまだ本格化していなかったので、あの頃何度もやった無駄足を覚悟して、われわれの教科書を取り扱う書店へ徒歩で行ったのだった。一攫千金の夢を売っているところから少し行ったとき、ぎくりとした。数メート先に、赤い風呂敷を持った手を腰に当てるために、藍色のハーフコートの裾を手首でちょっと持ち上げた格好で歩いて行く彼女が見えるではないか。(おっと、古いことを思い出し始めたものだ。)どうしたものかと思い、必然的に足が鈍くなって、一瞬見失った。構わずに宇都宮書店へ踏み込むと、中をすたすたと行く紫色の像(藍色も一生懸命に見ていると紫色になってしまう)が視界に入り、それはすぐに左側へ曲がった。その隙に、ぼくは階段を駆け上がって教科書を求める列についた。そうして待っている間にふと振り向くと、後ろにいて誰かと話している、あの細い目の…(これくらいにしておこう。Jack も彼女の身体の特徴を書いていたが…)。Sam に頼んでまだしてくれない「説明書き」は、どうも Jack に頼んだ方がよさそうだ。福島県生まれということまで知っているからね。(一人の人物(注 2)について延々と一ページ近く書いてしまった。)
すばらしいことだとは思っているが、他の人ほど夢中になって喜ぶということの少ないぼくだから、感謝したり、学んで来るべきことを考えたりするだけだ(注 3)。祖父はぼくに持って行かせるいろいろなものを用意し、母はぼくの身の回りに必要なものをそろえ、きゃしゃながら大連にいたときより丈夫になった伯母も、ぼくにことづける品などをおいて行く。
引用時の注
- Sam の日記にあった、友人を見かけながら声をかけそびれてしまった出来事を指す。
- 私の日記中で Minnie のニックネームをつけている女生徒のこと。Jack は彼女と中学 2、3 年のとき同じクラスだったので、かなり親しくしていたが、私はこの頃までは、中学卒業時の交換写真を求めたというだけの関係だった。Sam に頼んだ「説明書き」とは、私のアルバム中の彼女の写真につけるべき説明文のこと。
- 翌日から伯父夫妻を訪ねて京都へ行くことについて書いている。
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