2013年3月11日月曜日

飛び入り君


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 25 日(水)晴れ

 数学の問題の答を出すようにも、空白の画用紙に感情を盛るようにも、粘土細工をするようにも、乾ききった道路へ水を撒くようにも、思想を急ごしらえすることは出来ないものである。だから進まなかった。そして、母が盲学校の先生から十四冊一度に借りて来た The Asahi Picture News の「だから」に目を通してしまった。(午前中は、これだけのことしか出来なかった。)
 住所と名前を書くのに「三」を三つも書かなければならない友、Massy から旧仮名遣いの返事が来た。大和の二階の模型店でアルバイトをしているそうだ。だから、Sam と Neg と一緒にセントラルリーグ写真展を見て投票して来た日に、大和で彼に出会ったのだ(といっても、彼は Neg の肩を叩いてからトイレへ行ってしまっただけだったが)。

 兄さんが明日帰ってくることを楽しみにしている Jack のところへ行かないではいられなかった。海水浴の話を繰り返し聞かせて貰ってから、兼六中学校の運動場へ行き、キャッチボールとバッティングをした。初めのうちは、他に誰もいなかったから気持がよかった。しかし、Jack の悪投を拾うために、ぼくが土手の木々の間から飛び降りたときから、調子がよくなかった。まず、そのとき枝にひっかけて、シャツの背をトランプの札一枚ほどに四角く引き裂いた。また、Jack が打っているとき、先日のアセンブリーで「ダン・ダル・ダン」と答えた公安委員長君にどこか似たところのある高校三年生ぐらいの男生徒が来て、「打たせてくれ」といった(Jack はこれを日記にかけといっていた)。われわれは、いやいやながら承知した。
 ぼくが正規のプレート位置から投げ、Jack はショートとレフトの間ぐらいのところで守った。軽く投げているのに、その男生徒君はさっぱり打てない。ようやくバットに当たっても、腰を突き出すようにして走る Jack が容易に捕球してしまう。かなりの回数、打たせた。いくらカモなバッターでも、ホームベースの前に広がる 90 度の範囲を二人で守っているのだから、くたびれる。彼はようやく、「代ってやる」といった。ぼくが彼の球を打つ。引かれていたラインの石灰を蹴散らして、はだしの足を真白にしながら打った。途中で彼が外野(?)へ行き、Jack が投手となった。このときから、ぼくは三塁ファウルフライのようなのしか打てなかった。Jack と交替しようと思ったが、男生徒君の頭に一発叩き付けないと気が済まない。彼の頭上を強烈に突き破る一発が出て、彼に「運動会をさせる」ことが出来たところで、Jack と代ったのだが、Jack が一本打っただけで、可愛そうにも、白い半ズボン姿の男生徒君は、「代ってくれ」といった。Jack は淡褐色のグランドの砂をにらみながら、彼にバットを渡してしまった。

 足を洗って引き上げてからのわれわれは、Jack の部屋で人工空気流動を起こしたり、口の開閉によって、それが閉じているときよりも熱発散の表面積を大きくしたりした。それでも暑い。ぼくがつねに携行する黒の風呂敷をたたみかけるだけで、いとまするとの意志が Jack に通じる。彼はシャツの破れを二本の昆虫針で留め、「見つからんようにして帰れや」と行ってくれたのだったが、途中で手を後ろへやってみると、昆虫針は役目を果たせないで、破れがだらんとぶら下がっていた。針を抜き取り、先日ズックの底がはがれたときと同様に、小さな欠陥の大きな不愉快を感じつつ帰って来た。

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