2013年3月24日日曜日

「どっちから行く?」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 8 月 2 日(木)曇り

 おやおや何だろう。「どこもなんともなかった?」「ほんまに?」「大丈夫か。」「痛ないか。」自転車が二台。一台は倒れている。親子でもないらしい。あっ、そうだ。この曲がり角で衝突したのだナ。(しまった! 8 月 1 日のを書いてない! が、まぁ、続けよう)人のよさそうな男の大人が、やっと自転車に乗れるばかりになったような子どもに手をかけて尋ねている。本当に危ない。ぼくがもう少し早く来れば、この人たちのどちらかとぶつかっていたかもしれない。ぼくがさっそうと乗っている代物も、なかなか危険なものである。
 Ted は明日から遠方へ行くそうだが、万が一こんな事故に出会えば、二度と会えないようになるかもしれない(縁起でもない)。とにかく、きょうは、ゆっくり Ted の顔を見てこよう。

1951 年 8 月 1 日(水)晴れ

 こんな色のインクは、目がちらついてあまりよくないね。母が気にくわないから捨てるといっていたのを、使えないことはないといって貰ってきたのだから無理もない。ちょうどインクが切れて、また 10 円を使わなければならないと思っていたところだったから——。
(注 1)

 おやおや、これは気がつかなかった。肩のところに水泡(そんな大げさなものでない。皮膚が少したるんだようなものだ)が出来ている。もうじき、一枚の皮がむけるのだろう。顔のそれはすでに完了してしまったが、肩のはこれから始まろうとしているんだ。

 「どっちからいく?」「こっち!」「いや、こっちからいきましょう」「いや、こっち!」「どうしても? じゃ、きょうそうしましょう。」「いやいや! どうしてもこっち」「では、しかたがありません。こっちからいきましょう。」
 これだけの会話だ。ぼくには、何か感じるものがあった。このような状態をぼくは幼少時代に経験した記憶がない。「どっちからいく?」とはよく聞かれたが、そんな場合、ぼくは面白そうな方を選んだ。ときにはとんでもない迂回になる道を指したこともあった。けれども、祖母はたいていの場合、ひとことで「うん」といってくれたし、そういってくれないときは、すなおにそうしないことにした。道に関する限り、あくまでも主張をまげないということはなかった。また、祖母の方からも、一度だって競争しましょうなんていうことばを聞いたことがない。そりゃ、ぼくが競争しようといい出して、わざわざ遠い道を走って、無理に走ったふうを見せないで、「勝った勝った」と喜んだことはあるにはあるが、そんなときの祖母は競争の様子もなく、あたりまえにゆっくり歩いてきた。
(注 2)
引用時の注
  1. 少し紫がかった色のインクである。Sam は、あとで引用する私の 8 月 2 日付けの日記を見て、弁解の言葉を書いたようだ。Sam のこの 1 日付けの日記は、上にある 2 日付けの日記から分るように、2 日に書いている。
  2. これは Sam の文の中で、私の最も好むものの一つである。

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