2013年3月17日日曜日

ホームルームの海水浴行き(1):汽車にやっと間にあう


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 7 月 29 日(日)快晴(つづき)

 (日は二日さかのぼる)この日ぐらい、時間を恐ろしく感じたり長く感じたりした日はない。朝は七時十一分までに七尾線の客車に乗っていなければならないので、集合は七時までということになっていたが、家を出て亀×兎ぐらいの速さで歩き、途中で時計を見ると、とっくに汽車が発車してしまった時間だった。そこから兎×兎の速さで走った。六枚町を少し過ぎたところで、七時の時報を聞いてほっとし、やっと間にあったことを知ったが、それまでは、遅れてしまっていたらどうしようかなどと考えて、とても心細かった。
 人数が少なかったので、割引は望めなく、二分前に切符を手に入れてやっと客車に乗り込んだ。からからになって汚れている浅野川を渡ると、ハスの花が咲いている。青畳の彼方に潟の水が光っていた。本線と右側ですれ違った。本津幡を離れると、国道が左側に平行して走っていた。宇野気あたりから砂地となって、ブドウやナシの畑がうねうねと続いていた。高松で下りてから、海岸までしたたか歩く。平凡な、つまらない町だ。ここには機業と行商が多いそうだ。
 浜茶屋へ入った。大人三十円とのことだったが、われわれは早かったし、大勢だったので、1/6 だけ割安にして貰った。(つづく)

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