2013年3月20日水曜日

招いた友の観察記


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 30 日(月)曇り

 流し、流され、流れた。Massy は非妥協的な人物と分った。Octo を招いておいたから、事態はいっそう悪かった。Octo が先に来たので、つけ難いスコアブックを見せたり、半年ぶりに「精密的野球ゲーム」
(注 1)を持ち出して、「忘れてしもうた」、「してみっか*」と、ノートを分解して得た紙にスコア用の線を引き、「川上は A や。藤村は B'」と決めたりしているとき、Massy が来た。彼が家の前でする呼び方は、何でも速くする性格の通り、短いものである。われわれはたいてい「○○○ くーん」と、「く」にアクセントをおいて長く引っ張るが、彼のは「○○ くん」であり、アクセントを苗字の二番目の音節におく。彼は部屋入って来るや否や、よく聞こえない祖父に向い、丁寧な言葉を口にしてあいさつした。
 Massy は話しの聞き方において注意力散漫だから、よほど大声で話すか(祖父に対してと同様に)、くっきりくっきりいってやらなければならない。大陸の一端を踏んだこともあるだけに、おうようであり、また、「そう?」、「ふん?」などと受け答えする感じはよい。しかし、何ごともせかせかと速いところは、都会的なのか島国的なのか分らない。
 一時間少々で、われわれは次の行動に移った。それは Octo の決定的な発言によるものでもあれば、Massy の意志にもかなっていて、ぼくが想像したことでもあった。
 Lotus の家へ行ったのだが、彼はいなかった。小母さんの弁では、「計算機(計算尺のことだろう)を買いに」行ったそうだ。電車通りで Massy はいった。「ぼくは本屋へ行って来ますから、ご自由に。」こちらが招待されたような調子だ。「じゃ、さいなら」と、Octo とぼくは Massy と別れて、少しの間ゆっくり歩き、ぼくは Octo とも別れた。そこで引き返してイロヤ書店へ行くと、Massy は「ドーラク」ではない参考書類の前で、雪の斜面鼻を上向けてまだ立っていた。Jack の家へ行かないかというと、彼は親戚の家へ行かなければならないから駄目だと答えて、参考書を見上げ続けた。ぼくはしばらく、手に取りもしないで本の背の名を読み続けたり、Massy の軸を後ろへ傾けた頭を見つめたりしていた。彼とイロヤを出て、二度目の別れを告げ、Jack の家へと急いだ。(つづく)
Ted による欄外注記
 * 方言の口語では、終止形が音便形をとったりする。

引用時の注
  1. 私が中学時代に作って、とくに Octo とそれでよく遊んでいた。区別のつく 2 個のサイコロと、統計と確率に基づいて作成した多数の 6×6 の表を使用する。表は投球とそれに対する打者の対応、打球のゆくえ、守備、走塁などの各場面について作り、それぞれ選手のランク別に複数のものを準備した。「精密的野球ゲーム」の名は、中学 3 年の修学旅行のときにこれを持参して、列車の中で遊んでいた折に、それを見たどの先生かがいった言葉から来ている。

0 件のコメント:

コメントを投稿