2013年3月30日土曜日

京都市内歩きのこと


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 11 日(土)晴れ(つづき)

 (一昨日の京都でのこと)昼食を済ませてすぐに伯父の家から出かけたのだが、計画がヤボだった。倹約のため(いや、歩くクセがついていると、八円を払って電車に乗り降りするのは面倒でならなかったのだ)、水分を大量に発散させ、むやみにこれを取り入れたくなり、その上、影の延伸と腕時計の針の回転を相手に、一生懸命に競争しなければならなかった。
 伯父の家の近くから四条大宮までは十五円の電車を利用したが、そこから歩いた。四条堀川—四条西洞院—四条烏丸—烏丸蛸薬師—烏丸三条—烏丸御池(このように書いても面白くないね)。御所を通って烏丸上総町から鴨川を涼風に吹かれて渡った。もう四条の方へ戻ろうとしたが、なかなか大通りの曲がり角がない。高木町(これらの町名は、いま地図と照らし合わせて書いているので、そのときは分らなかった地名が多い)から右へ角度が変わって、また川を越した。どちらへ向っているか分らないうちに、再び右へ曲がった。
 ここで勘違いをした。二度曲がったから四条通りに平行に西へ歩くことになったと思い込み、百万遍の交差点で南へ行くつもりで、実際の東へ向きを変えた。右手に森が現れ、銀閣という文字が方々から目に飛び込んで来た。銀閣は北東の方だったはず、いま、そんなところにいるのだろうか? 地図を持って来るのだった、などと思った。考え込み過ぎたら、ついには電車通りをも見失って、完全に方角が分らなくなった(これは面白いぞ)。なんとか、バスの通る広い道を直進した。両側に山がある。右にあったのが吉田山で、左に赤みを帯びて来た陽光(まだそんな時間ではなかったが、そう感じた)を受けて意地悪い顔つきで坐っていたのが大文字山だったとは、帰ってから知った。(明日続きを書くことにする。)

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