2013年3月6日水曜日

これを壊すのは絶対にいやだ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 7 月 25 日(水)晴れ

 明後日のホーム行事の打ち合わせのため、十時十分前ほどに家を出た。本当ならば、ホーム委員長とそろって行くことになっていたのだが、Keti は九時頃、「きょうも明後日も行けない」といってきた。十時までというのに、学校へ行ったら二、三人しかいない。昨日タイプの講習に行ったとき、ホームルーム・アドバイザーから「明日は行けないから、よろしく」といわれていたので、Cou(あだ名「田舎」の英語を略して使う)と一緒に宿直室へ行く。「トントン」とノックする。返事はあったようだが、戸があかない。Cou が「おらんがんないか」といって、窓の方へ回って中をのぞく。誰もいないような気配だと報告してくれる。
 「ほんとやな」と念を押して、戸を引く。戸はあいた。先生が二人。よくは知らないけれども、確かに本校の先生が昼寝(朝寝?)をしていられる。「しまった」と思ったら、一人の先生がムックリと起きられた。「きさま」といわれたとき、やっと、ぼくが「失礼しました」ということができた。「宿直の先生はいらっしゃいませんか。」「おられん。何や。」「8 教室を使用させていただきたいのです。」「事前の許可は。」「受けてあります。」「ホームは。」「8 ホーム、中島先生。」「うん、わかった。とっちりと使いなさい。」「(やれやれ、うれしや、と心の中で)さよ(ここで戸を閉めにかかり)なら。」
 しばらくして、ホーム会計が姿を現した。十時をしたたか過ぎたが、集まったのは十数名。「これでは困った、団体割引にならん」とは、Cou の発言。「一人百円集めるぞ」の声に、聖徳太子の姿があちらからもこちらからも集まって来た。「何か打ち合わせんなんことないか。」「ない。」「では、明後日、七時十分前まで。さよなら。」みんな帰ってしまった。ぼくが一人残るのも悔しかったから、遅れて来る者のため、黒板に四行ほど伝達事項を書き、Cou と一緒に校門を出て歩いた。
 学校から駅までの道はしたたかある。田丸町の専光寺の前まで来たとき、「宝物虫干」という貼り紙を見た。すぐに、「虫干しや」の句が思い浮かんだが、中の七の「甥の○○」の○○が浮かんで来ない。「僧なんとか」だったということまで分ったが、やっぱり駄目だ。Cou に、何かの教科書にあったと思うが、といって聞いてみたが、知らなかった
(注 1)
 1ヵ月以上も金沢駅を見ていなかった。そのすばらしさに目を丸くした。Cou のように毎日見慣れている者にはどう見えるか知らないけれども、ぼくは一人で感心していた。こんなことをいうと田舎者といわれるかもしれないが、「金沢駅は改築しなくてもよい!」と思わずにはいられなくなった。これを壊して新しくたてる。そりゃ、新しいよいものが出来るのはよいけれども、これを壊すのはいやだ。絶対!
(注 2)

 三時半頃に行ったのに、鍵がかかっていて、小一時間待たされてしまった。その間、第二体育館で遊んだりしていた。きょうは最後の日なので、先生から問題が出され、それを清書した。先生が閉会の辞を述べられている間も
 As I was riding to Rose-Green, in a smooth, ... plain part of ...
とやって、名残りを惜しんだ。ぼくの場合(に限らないだろうが)、多くの単語の意味やスペル
*を知らずに打っているのだから、うまくいかない。
Ted による欄外注記
 * 「スペル」は動詞だ。「綴り」は "spelling" といい給え(Mouse 先生から習った)。
引用時の注
  1. 私も知らなかったが、いまインターネット検索で、「虫干や甥の僧訪ふ東大寺」(蕪村『蕪村句集』)と知った。
  2. Sam の思いにも関わらず、金沢駅舎は翌 1952 年 4 月、3 代目に改築された。こちらに、初代(明治時代)駅舎の写真が載っている。なお、現在の駅舎(4 代目だろうか)は、2011 年に米国誌 Travel + Leisure(ウェブ版)の「世界で最も美しい駅」14 駅の一つ(日本では唯一)に選定された(こちら参照)。

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