2013年3月12日火曜日

午後の記憶


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 26 日(木)晴れ

 What shall I do? What shall I do?『英文法精説』の未来時制のところを読んでいたので、こんな言葉が出て来た。この言葉はきょうのぼくを表している。午後、家にいると、hundreds and thousands of という形容句が当てはまりそうな数のセミが鳴いている声よりもさらにやかましい木と金属の闘っている音が、光に照らされた光景のようにはっきりし過ぎるほど、向かいの製材所から耳に届き、鼓膜をゆすぶる。
 期待していた Octo よりも先に Sam が来た(結局、 Octo は「忘れ」ていた)。Sam は分ってくれない。それは、Sam がどうかしているのだ。Sam が分ってくれなかったから、きょうは頼まなかった。
 Sam が脚を超速度人間にして遠ざかった行くのを常にぼくが追っていなければならなかった、青くて白い中で褐色が飛び跳ねている犀川岸の散歩は、頭の中に一つの流れを与えてくれた。撹乱がなくなって、何もかもが一筋になった。そんなときに、われわれは Octo に出会った。あのとき、ぼくが何も話さずに考えていたことは……、何もなかった。
 黄色く、白く、青く、精彩のある帯のように長く横に広がる夏の一部、——それが遠い昔のようだ。水を飲ませて貰って少し経つと、口の中に黄土色の苦みを覚えた。自転車、何かに気兼ねするような顔で、手の甲で鼻の下の汗を拭っていた Octo。猿丸神社の横辺りを下るとき、何度もずるずると滑りかけたぼくの下駄の音。そうしたものはみな、あれから三時間にしかならないいまの記憶では、ちょうど Sam の自転車のベルの蓋に吸いつけられた像のようだ。Sam のまだ白い顔の中でぼくを笑うと同時にとがめているように動いた唇や、ハンドルや、Octo が上部をへしゃげさせて被っていた緑色の勝ったカーキ色の戦闘帽なども、丸い小さな半球面に、——あるところは大きく引き伸ばされ、あるところは付随的な点景としてこまごまと——、映っている。(つづく)

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