2013年3月3日日曜日

一年前の自分は小さく


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 22 日(日)晴れ

 もう一週間になる。何もしていない。煩悶、憂愁。無駄だ。流れは速過ぎる。
 こいつが難局の根源かも知れない。目の酷使を続けても、進んでいない。あとにも多くのことがつかえている。

 昼寝が出来るとは、そして、それを要求するとは、変ったことだ。しびれを感じ、一切を反省させられ、争い、起き上がろうとしているうちに、いつか自我のない状態に入っていた。ちょうど五十分。そのあとは、病床から立ち上がった病人であるかのような気持と、全快したような気持との混合したものを経験した。白い光を見つめる。心の中までが白くなったようだ。そうして机に向っているうちにも、流れの浪費を行なっただけだった。
 停滞した感情のはけ口を求めて、ためらいをいくらか交えた放棄作業のあと、Tender を呼んでみた
(注 1)。Octo はシャツのボタンをとめながら出て来た。手の垢をこすりながら話した。
 空虚だ。整うのを待っている。スタートの方法が昨年とは相当変ってしまった。これでよいのかどうかは結果が示してくれる。しかし、それを待っていられない。

 天徳院で盆踊りがある。複雑で浅いなんとかぶしと、短調で深いセミの声。求めるものと途中に転がっているものと。渦と清流と。——何かがある。何だ? アンターレスほどの大きさにした目を見はっても、至上のものはひと目では分らないだろう。だからこそ集注しなければならないのだ、少しでも。
 昨年の日記を出してみる。その頃の自分が小さく思われる。きょうは昨日の次に暑くて、Tom と Mangetsu の家へ行ったと書いてある。八月五日のはどうだい。「八時に登校。校長先生の訓話の後、校内水泳大会があった。"第三コース、清水君、日本。第四コース、ブロウナー君、アメリカ"」?
(注 2) 七月二十四日の叙景に「大日輪は山のかげにかくれた」とある。『少年クラブ』の連載小説「緑の金字塔」などを読んでいた影響だろう。
引用時の注
  1. Tender とは友人のニックネームだろうが、誰のことか忘れてしまった。「呼んでみた」とは、家の前で、「○○ 君!」と叫んで呼び出そうとしたことを意味する。
  2. 校内水泳大会について書いた後に続いて、断りもなく、日米対抗水泳大会中のアナウンスらしいものを書いているのは妙かつユーモラスだが、ここに疑問符を書いたのは、ユーモアが一年後には解せなかったということか。

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