2013年3月25日月曜日

『青年心理』の本から


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 8 月 2 日(木)晴れ

  7 月 29 日の日曜に Ted に退屈させないようにと思って見せた本、Ted はそれ一冊だけで、ぼくがいろいろな本を勉強していると断定してしまったらしいね。ぼくは本は読みたいが、あまり読まない。この前のあの一冊は、ちょうど折よくあったから見せたまでだ。あの本を Ted は全部は読まなかっただろうから、ぼくが興味をもって読んだ一部分を抜粋してみよう。
社会的距離における友人関係
  1. 腹心の友だち—離れられない関係。
  2. 親友—ごく密接な関係。
  3. 親しい友だち—しばしば会うが、まだあまり感情的な親しさをもたない。
  4. 知人—よく知っている関係。
  5. 積極的な仲間—グループである仕事を共にするが、他のことでは知らない。
  6. 消極的な仲間—グループで一緒になるが、一緒に何かをしたことがない。
  7. 傍観者—名前は知っているが、話したことはない。
反抗の型
 学校で修養の意味で日記を書かせようとした。中学[旧制]五年の男生徒の一名はどうしても日記を書こうとしない。その理由として、
  1. 日記は他人に見せるために書くものではない。他人に見せることを予定して書く場合はでたらめになる。自分は嘘は書けない。
  2. 嘘を書くことは修養の趣旨に添わない。
  3. 個人の生活には秘密がある。それを先生が知ろうとするのは干渉である。自分はすでに 18 歳である。小学生のように扱われたくない。
親友関係成立の原因(ヘルマン G. Herman)
  1. 彼らは過去の経験、未来の希望について非常に語りたがる。
  2. 多数の友だちとでは親密性がうすらぐので、ごく少数の心から信頼出来る友人を選ぶようになる。
  3. 自分に欠けている性質を友だちの中に見出して、自分を拡大し、補いあいたいと望む。
自我自覚の型
 女学校生徒に「私」という題で作文を書かせ、その内容を分析したところ、
  1. 自分を内面的に深く細く観察する型
  2. 自分を自分以外のものとの関係において全体的に、たとえば、宇宙的存在としての自分とか、社会的存在としての自分として反省する型
の二つに分けられると考えるに至った。
 それぞれ、ぼくの現在あるいは過去の状態とくらべてみて、すこぶる興味があった。そして、未来においてはどうなるかと考えずにはいられない。

 Ted は京都へ行くそうだね。では、これを持って行ってくれないか。Ted はすでに持っているかもしれない。持っていても構わない。ぼくだと思って持って行って、ぼくがしてあるように、Ted の歩いたりなどしたコースをこれに記入してくれ給え。これは修学旅行のときに買ったものだが、一日使った以外は、記念品として保存しておいたものだ。Ted に贈りたいけれども、ぼくの大事な品物の次に大事な品物の一つだから、しみったれているようだけれども、Ted の歩んだコースを記入して土産話を付録にぼくに返して欲しい。だから、(実をいうと)Ted にはやっかいなぼくのあずけ物になるかもしれない。では、しばらく Good-bye.

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