2013年3月19日火曜日

ホームルームの海水浴行き(4):午後の海水浴から帰途まで


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 7 月 29 日(日)快晴(つづき)

 午後も、ぼくたちは泳いだ。高い波を冒して遠浅まで行った。そこの波はゆったりと静かだった。水中眼鏡を借りて水中を見たが、何もいなかった。ぼくたちは幾度か水に入って、幾度か太陽の光に全身を浴した。皮ふの色がだんだん赤みを増して行く。
 Keti とぼくが一番早く服に着替えた。みんな戻って来て浜茶屋に集まったが、汽車の時間にはまだまだ時間があった。HRA はゲームをやろうといって、みんなに円陣を作らせ、彼の細君(多分そうだろうと思うが、妹かもしれない)にそのゲームを説明させた。彼女は上手に説明してくれた。ゲームは「チョウ・チン・ブラブラ」という名である。「チョウ」は口でいい、「チン」は手をたたき、「ブラブラ」は手を振る。違ったら負けで、オミットされる。たくさんの人でやるほど面白いそうだ。HRA は一番下手だ。ぼくと彼女の間にはさまっていて、最初にオミットされた。いやはや、こっけいなこと、こっけいなこと、涙が出るほどこっけいだった。それでも数度したら、飽きてしまった。
 そこでお互いの雑談に入る。有名な歴史上の人物、小説、戦争、資本主義、等々が多く話題になった。Keti が「荷車を押しとる親子がおって、ある人が後ろの子に、前で引いとるがお父さんかというたら、そうやという返事やったもんで、前へ行って、後ろで押しとるが息子さんかって聞いたら、ちごうて答えたといや。後ろから押しとるが誰や」という、常識中の常識を非常識的に扱った問題を出して笑わせたりした。
 帰りの駅までの道は、とてつもなく長かった。改札してから汽車が来るまでの時間は、これまたとてつもなく長いように思われた。機関車の次の客車の最後部に乗った。暑い夕方の日射しを受けて、どうしてもぐったりしたくなった。津幡で北陸本線を先に発車させたため、七尾線は六分停車をくった。金沢駅で解散。Keti のところで、五円のエネルギー源(というより覚醒源)を補給し、歩いて帰った。(この日の分終り)

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