2013年3月22日金曜日

夏の午後の静かな町を歩く


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 1 日(水)晴れ

 三日がかりで少しずつ試みた英単語の書き取りの正答率を求めてみた。ぼやぼやしている夏休み中にこんなことをやると、どれほど悪い結果になるかと思ったが、そんなことはないし、確実には掴んでいなかった単語がこれで頭に入る。休みになる前に習ったばかりの "The Olympics" のところだけは、少し教科書を読み返してからでないと、自信がない。その前までで、一学期に新しく習った単語が 228 あった。昨年もこんなことをして、100 のうち 85 しか出来なかったが、今度はその倍以上の単語について、違った数は昨年よりも少なく、九割三分九厘の出来だから、どうやら安心だ。

 活字から得たものは少なく、それ以外から何らかを受けた日だった。午前中、学校へ在学証明書を取りに行った Jack が立ち寄って、何やかやを見せてくれといって、それらを見たあと、祖父の話を聞くなどして帰って行った。午後も彼とぶらぶら歩きをする約束をしてあったので、ぼくは木曽坂を下った。数段の石段を上がって、二間足らず歩かないうちに見ることの出来る彼の部屋で、彼は手招きをした。玄関を経ないで、そちらから入ると、障子の陰から脚が長く出ている。寝ころんでいる Jack の兄さんに「こんにち…」といいかけて、「やぁ」に変えなければならなかった。そこに寝ていたのは、兄さんでなく、はるばる訪ねて来た Tacker だった。
 ぼくが脚でから振りをしたあとの午後にたいていそうしてつぶしてしまう行動を、われわれは初めから予定して、笠舞の方へ道を取った。道の白っぽい土と、下駄を横や前や後ろへ滑らせる石ころを踏んで、坂を下り、青田をところどころに見やって進んだ。雲がしばしば太陽を隠すので、直射日光はあまり当たらなくて、空気中の塵埃などで散乱された光が大部分である中を行くわれわれは、Jack が「丑三つ時」といったほどの静かで動きのない夏の午後の町を見出した。Tackar の下駄の緒の寿命が来たので、彼は Jack にとっては平凡でないキュウリ畑
(注 1)の向いにある本家へ寄った。そこから、猿丸神社、Octo の家の前のアパート、中・下・石引町と一周した。兼六園の山崎山の中腹で、Jack と Tacker の意志と物入りによるご馳走をしゃぶった。急激に口腔を冷やすので、歯と歯茎の間に間隙が出来ないかと心配だった。(つづく)
引用時の注
  1. 「Jack にとっては平凡でないキュウリ畑」は、この日の日記の後半にも再度出て来る。この頃 Jack が親しくしていた誰かの家がそこにあったようだ。

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