2013年3月14日木曜日

「五十一」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 27 日(金)晴れ(つづき)

 Jack は、ぼくがこの間やって五十分間の生命を殺したも同然にして、もうする気にならないことをしていたところだった。その彼は、笑うようにふくらんだ声で、われわれを迎えた。彼の兄さんが部屋へ入って来られたとき、ぼそっと立ったままだったわれわれは挨拶をした。兄さんは、海の底にいるような声で、「勉強しているか?」などと質問し、髪に櫛を入れてから、どこかへ出かけて行かれた。
 Jack は兄さんが帰郷してもたらした物質から精神にわたるいろいろな話をした。ぼくは、その主語のない文章のところどころで針を立て、Twelve にも分らせるように仕向けることを怠らなかった。よい兄さんを持ち、一つのことに猛烈に乗り気になる友は、「School するか?」といい出し、Twelve が「学校?」とお決まりの質問をした(われわれも皆、そうしたのだった)。けれども「学校」は行なわれず、神戸市立湊川(だったかな)高校の先生の手製のトランプは、「マージャン」というゲームに多く用いられた。得点をつけたところ、Octo が彼の好きなチーム
(注 1)の現在と同じように、優勝街道を独走した。「五十一」というのは、鉢合わせになるところが気にくわない。嫌悪を感じる。しかし、ゲームはゲームだ。そんなことを思っていても始まらない。
 米谷先生
(注 2)訪問の件は、Lotus が帰らなければ、と決定を回避した。Lotus がどうでも、先方とこちらにとって一切支障のない日を選ぶのは困難なことである。引っ込み思案の多い彼らのことだから。——ぼくは、きめることなら、ズバズバと決めるけれども、実行するときには、たいてい口がいうことを聞かない。彼らにしても、Twelve は「場所へ出」れば、また、Octo は義務と責任の前には、そして Jack は自分の胸を躍らせる計画に対してならば、微塵のちゅうちょもしないのである。
引用時の注
  1. 読売ジャイアンツ。
  2. この日集まった一同が中学一年のときに国語を習った先生。戦争未亡人だったが、この後間もなく再婚し、武藤姓となられた。

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