2013年3月19日火曜日

青春の迷い


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 29 日(日)晴れ

 Sam はいろいろな本を勉強しているね。それらから得たものをぼくに教えてくれ給え。
 つけにくいスコアブックと細いボールペンとまずい図案のメダルを貰って帰ると、背中がベタベタに濡れた。外出するたびにこうだから、かなわない。
 連立方程式をやってみたが、この暑さでは身体がじりじりするばかりで、手ぬぐいを持ち上げたり放したりしているうちに時間が経ってしまう。

 考えてみなければならない。「あばれたくなって来ている」、「変化を望む」。何のことだ? 誇大妄想。必要。どちらだろう。そして、その根底にあるものは、——。それは決して新しいものではない。大きさだけが違う。小さいながらにも発展している。危険だ。このあとはどうなるのだろう。
 これでよいのかもしれない。捨てなければならないものだけは捨てよう。二つはとうとう合流してしまった。といっても、初めからそうなるはず、——。いや、初めは一方だけだった。少なくとも目的は一つだった。初めの目的は、そうだ、一つだった。あとの方は、思いもよらないこと、それどころか、完全にそれを近づけない力が自分の中にあると思っていた。——それがあとから現れて来たというのではない。結果においては、一本の線を中心に引くならば、両側へ分けられるかと思われた二つのことが、決してそうはならないのである。そうだから、二つは、——(混乱して来た)。
 だとすれば、「違っているような」気のするのは、どうしたことだろうか(どうも分り難い書き方だ)。それは普通のことと違う——。普通のこと、それは何だろう。そういう枠を作ることは出来ない。枠がなくても、あれだけは切り離せる。——と思うということは、やはり一緒に出来ないところがあるのだ。一緒に出来ないところを作ろうなどとはしなかった。あのときはそういうものがなかった。想像だにしなかったことだ。それでも同じではなかった。割り切ることの出来ない関係、現象、心理——。そして、これらを支配しているものは——。結局、……である。あのときには、これだけ考える余裕がなかった(いまだって不完全に違いない)。溺没——。恐ろしいことだ。

 もう一度考えたが、「それでよいのかもしれない」。立ち直ろう。何度休んで何度立ち上がっても構わない。進む道は、前に見た通り続いている。ただ、それを踏み違えてはならないだけのことだ。
(注 1)
引用時の注
  1. 頭のよい女生徒(たち)とちょっとした交流が出来ればと思っていたのが、いつの間にかそれ以上を求めたい気持が生じてきていることに、自分ながら当惑したのだったか。

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