2013年10月9日水曜日

Ted の高校3年のときの創作「逍遥試し」(1)

 再掲載に当たって:「逍遥試し」は、高校 3 年の夏休みに、形式と内容が自由で、原稿用紙の制限枚数 20 枚ということだけが決まっていた国語の宿題として書いたものである。最初は論文風の随筆を書くつもりだったが、制限枚数一杯までそういう形式で書ける自信がなかったので、短編小説にしたのだったと思う。そのため、先に掲載した Sam の同時期の創作「橋」に対する私の感想の中で自ら評したように、「小説というよりは小説的粉飾をわずかにまとった対話形式の小論文といった方がよい作品」となった。学校へ提出した清書は返却して貰わなかったが、Sam との交換日記の 1953 年 8 月 5〜9 日のところに下書きが残っていた。それを 2006 年に旧ブログサイト "Ted's Coffeehouse" に掲載したが、同サイトはプロバイダーの事故で消滅した。幸い私のハードディスクに控えを残してあったので、ここに再掲載することにした。前回 (1) を掲載したとき(2006 年 8 月 1 日)に、「大学生になった私自身を背伸びして想像し、それをモデルに、対話と思索を中心にした理屈っぽい創作を書いたようである。いま、引用のための書き写しを始めて、最初と最後くらいしか覚えていなかったことに気づいた」という注を記している。

 「君はいま何を考えていた?」
 照りつける陽光を受けて、それを豊富な葉の間に抱え込んだポプラの木々が微笑むように立ち並ぶ人道を、しばらく無言で歩いて来た常夫は、ケートにこう聞いた。
 「……」
 ケートは歩きながら、行く手の彼方に霞んで横たわる山の辺りへ向けていた青い瞳をちょっと彼の方へ転じたが、黙っていた。終点で折り返す電車の音が、彼らの後ろの空気を揺すって遠ざかった。
 常夫は続けた。
 「高校の国語の教科書に、確か『ことばの論理』という章があった。そこにポーとモンテーニュのことばが出ていたね。ポーはその中で、『考える、ということばを聞くけれど、私は何か書いているときのほか、考えたことはない』というモンテーニュのことば――『モンテーニュだか誰だったか忘れたが』と書いてあったようだが――そんなことばを引用していた。もしも、これが君の場合にも当てはまるならば、こうして歩いているときに、何を考えていたかと聞くことは、無意味だったかも知れないね。」
 これを受けて、ケートが口を開いた。
 「ポーがいおうとしたことは、引いていることばの直接的な意味ではないのじゃないでしょうか。つまり、ペンを手にしていないときは、どんな考えも――もちろん思想的な深みのある考えという意味での『考え』だけど――どんな考えも浮かばないということではなくて、思想は浮かびさえすれば、そして、それが本当の思想であれば、必ずことばで表せる、ということだと思います。そうだとすれば、あなたの質問は、まんざら無意味なものではなかったことになります。」
 「なるほど。それは君のいう通りだ。教科書のその次にあったモンテーニュの文は、『明瞭なる概念には、ことば直ちに従う』というホラチウスのことばを敷衍したものだった。
 「ところで、同じ国語の教科書の、『小説入門』から取られた文章だったかの中に、ことばは感情を規格化し、非個性化するものだ、とあっただろう。そこにも誰かのことばが引用されていた。そう、ヴァレリーだ。『本当に個性的な経験には、それを表現することばはない』と。これを読んだとき、ぼくは、それまで考えていながら、ただ巧みに表現出来なかったことが代弁されたように感じたよ。
 「だって、そうじゃないか。大きな感動をした瞬間に、人は何をいうことが出来ようか。しかし、その人はその瞬間に一つの経験を得て、新しい思想を形成するに違いない。だが、こう考えると、先のポーやモンテーニュと矛盾するようだ。」
 「何もいえないってことは、実際にありますね。だけど、瞬間的な経験がすぐに思想の形成にはならないでしょう? 思想ってものは、経験を積み重ねたあとで、その堆積物に推理のノミで彫りつけるようなものじゃないでしょうか。そうして出来上がる彫り物は、他の人たちから客観的に理解されるものでなくちゃいけないでしょう?」
 「……君は、お父さんが理論物理学者だけあって、すべてを数字に置き換えるような、なかなかきちんとした考え方をするんだね。……」
 常夫は角帽を脱いで額の汗を拭おうとし、ポケットからハンカチを取り出した。すると、ハンカチと一緒に一枚の紙片がついて来て、はらりと歩道へ落ちた。それが空中で一度ひるがえるのを見た常夫は、読書中に抜き書きしたメモだったことに気づき、かがんでそれを拾った。メモには「最も貴重なものは、人間の孤独な心のうちにある――スタインベック」とあった。
 ケートの靴はこつこつと石畳を打って、両のかかとが一直線上を進む進み方で、常夫より数歩先へ出た。彼女の足を後ろから見ながら、常夫は、靴音の快い響きが、あたかも、割り切った考えを生む彼女の頭の働きと彼女の身体の軽快さをそのまま表しているように思った。追いつきながら、常夫は話を続けた。
 「しかし、君は、ことばの論理性を主張しようとするのだろうか。そうだとすれば、いまのたとえでは不十分だね。君は、正しい思想とは、客観的で明快なものに練り上げられていなくてはならないということを述べはしたが、ことばがそれを表現する道具として十分な機能を備えているかどうか、それが問題だ。」
 「そうでしたね。でも、その問題には、たやすく答えられます。あなたは、ヴァレリーのことばがあなたのお考えを巧みに表したものだっておっしゃったでしょう。それは、一つの難しい思想が、ことばでうまく表現出来た例じゃない? あなたがヴァレリーのことばを見つける前に表現出来なかったってことは、ただ、こういっちゃ悪いけど、あなたがそのことばを自分で探し出す労苦を払わなかっただけのことだと思うけれど。」[つづく]

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