高校(1 年生)時代の交換日記から
Sam: 1951 年 12 月 29 日(土)雪、30 日(日)晴れ、31 日(月)雨
歳末! 全身が綿になるようだ! From morning till night I worked and worked. 六日間のアルバイトによって、一千円を得た。うれしい。苦しみに幾倍かして、うれしい。生まれて初めてこんなに多額の金を得た!
しかし、この六日間、雇われて働くこと意外に、何も出来なかったのは、みじめだった。が、よい体験だった。今年もあと二時間で過ぎようとするとき、開放されて、大晦日湯へ行く。
年越しそばを年を越してから食べなければならないことになってしまった。百八つの鐘が静かに余韻を残して響く。今年を振り返って…、反省! 何もない。いや、出来ない…。
Ted: 1951 年 12 月 31 日(月)雨
NHK の選んだ十大ニュース
Sam: 1951 年 12 月 29 日(土)雪、30 日(日)晴れ、31 日(月)雨
歳末! 全身が綿になるようだ! From morning till night I worked and worked. 六日間のアルバイトによって、一千円を得た。うれしい。苦しみに幾倍かして、うれしい。生まれて初めてこんなに多額の金を得た!
しかし、この六日間、雇われて働くこと意外に、何も出来なかったのは、みじめだった。が、よい体験だった。今年もあと二時間で過ぎようとするとき、開放されて、大晦日湯へ行く。
年越しそばを年を越してから食べなければならないことになってしまった。百八つの鐘が静かに余韻を残して響く。今年を振り返って…、反省! 何もない。いや、出来ない…。
Ted: 1951 年 12 月 31 日(月)雨
NHK の選んだ十大ニュース
- アジア競技大会
- マッカーサー元帥解任ならびにリッジウエイ司令官着任
- 桜木町事件
- 貞明皇后ご逝去
- 追放解除
- 民間航空再開
- 電力危機
- ルース台風
- 平和・日米安保両条約調印
- 社会党分裂
- ぼくが Sam を家に招き(1 月 3 日)、ぼくも Sam の家を訪れた(ある日曜日)。そして、紫中での英語や自習の時間に、問題などを書いた小紙片を交換し始めた。
- Sam が葉書によって、われわれの通信の契機を作った(4 月 10 日)。
- ぼくが「スターリン事件」と呼んだ出来事(4 月 10 日〜5 月 7 日)。
- われわれの通信にノートを使い始めた(4 月 25 日)。
- Sam がタイプの練習を始めた。
- ぼくが夏休みに京都と大阪へ旅行した。
- ぼくが Sam に「ホームルーム研究資料」の作成を依頼した。
引用時の注
- この 10 大ニュースは英文で書いてあったが、拙いところがあり、ここでは和訳に変えた。
- テレビ放送はまだ始まっていない時代で、紅白歌合戦も新春番組として第 1 回が行なわれたばかりの年である。大晦日には、宮田輝アナウンサー司会による NHK ラジオの人気番組「三つの歌」の特別放送があったのであろう。ここに掲載した日記をもって、交換日記の第 10、11 冊目のノートを、余白を残して終了し、新しい年、1952 年には、 12、13 冊目の新しいノートで書き始めている。
なお、Sam と Ted の交換日記をブログに掲載することは、プロバイダーの事故でインターネット上から消滅した旧 "Ted's Coffeehouse" サイトで、この大晦日の日記から始めたのだった。そして、高校卒業までを掲載し終え、高校 1 年生の未掲載部分へ戻って続けていた。消滅したサイトを、現 "Ted's Coffeehouse 2" サイトに復旧することを試みたものの、交換日記については、目下、高校 2 年生だった 1952 年 11 月 8 日までしか出来ていない(こちらから年月日の逆順でたどって、ご覧になれる。ただし、掲載当時の他のブログ記事も混在する)。しかしながら、未復旧の部分は、私のハードディスクには存在するので、交換日記をディジタル化する目的はこれで達成出来たことになる。したがって、本サイトでの交換日記の掲載はこれで終了し、今後は、友人たちと交換した手紙などを掲載することにする。引き続きご愛読いただければ幸いである。
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