2013年6月5日水曜日

学園祭の諸行事


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 1 日(雨)[つづき]

 副校長が「これで記念式を終わります」という簡単な閉会の辞を述べてから、金大法文学部教授・小竹文夫氏の講演会が始まるまでも、また待たされた。演題は「現代史上の東洋」で、戦後独立したアジア諸国のことから、米ソ対立の間にあって日本を初めこれらの国々がどうあるべきかを正午まで一時間にわたって話された。アジアが社会主義に陥りやすい二つの理由として、一つにアジアの民族主義を挙げ、もう一つを挙げるために挿入された、西欧とアジアの気候による農法の相違の説明が長かったので、どう続いて来たのか途中で忘れてしまうほどだった。世界の経済を協定する機関が出来、国毎に分業を行なったら、戦争を起こしたくても起こされなくなるだろうという理想を最後に述べられた。
 そのあと、21 番教室で科学の展示会を見た。Twelve がそこをなかなか離れようとしないので、一人で 1 番教室の絵画クラブ展を見てから、運動場を通って伯母の家へ弁当を食べに帰る。
 午後は、Jack と音楽会を聞く。彼は、朝の式に出なくてもよかったので、同じく出なくてよかった Lotus を訪ねたところ、Lotus が独断的な主張をあまりに強く押し立てるので、何度も衝突した、と話した。
 19 番教室では映画が、体育館では篭球の試合があったが、音楽会だけで満足しておいた。(注 1)
引用時の注
  1. この日の日記を読み返して、体育館落成記念式(前の記事)よりもあとの行事は文化祭かと思ったが、最後に「篭球[バスケットボール]の試合」が出て来たので、この記事の題名を表記のようにした。しかし、「篭球の試合」は体育館落成記念行事で、他の一連の行事は「文化祭」の名目のものだったかもしれない。

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