2013年6月21日金曜日

「理」という字から受けるのと同じ感じの…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 14 日(日)雨

 一枚程書いてから「読書心理と人間生活」と題することにした宿題の作文を、どうやら書き上げた。抽象的な陳述の連続で、甚だしく頭を使った。頭を使った割には、一向によいものになっていない。論理を無理に思う方へ引っ張って行こうとした表現は、いらないところで長引いて、五枚以内というのに、五枚目は欄外へ出て二行多く書いた。

 『奥の細道』の石川県に関係する部分と『徒然草』の初め少しとの試験があるが、これといって覚えなければならない事項はない。
 講和会議の前とあととの新聞を整理したが、書き留めたことは少ない。

 この間、祖父が野町まで足を運んで注文して来た厨子を、母が受け取って来た。茶色がかった黒の縦六十センチ、横三十センチ、奥行き三十センチほどのその箱は、祖父を、ぼくが本箱を買って貰った時のような気持にした。早速、それに向かって、「アナンダーラ、カナンダーラ」と唱えている。

 これでも一日!

 「理」という字から受けるのと同じ感じの顔立ち。いつまでも「強敵」としておくことは出来ない。大きくも小さくもなく、心持ち突き出た様子の目と口元は、軽率と虚偽をとがめているように(こんなものは誰でもとがめるに違いないが、その目は、ぼくのそれをことさらにとがめているように)感じられてならない。(注 1)

 いくら辞書を見ても、それに適した漢字が見つからない。
引用時の注
  1. ホームルーム時と二つの講義以外、登校日には毎時間顔を合わせた Vicky のイメージから、日曜日にも逃れられなかったようである。ところで、ここにある「『理』という字から受けるのと同じ感じ」、「とがめる」などは、翌年の夏休みの創作「夏空に輝く星」の第十二章中で次のように利用している。「 〈他人のものを拾って一ヵ月も返さなかったことを知ったら、彼女はどんな顔をするだろう〉 と稔は思い、『理』という字から受けるのと同じ感じを持った彼女の顔の中で、目と口が彼をとがめるような恰好になるのを想像した。」ただし、このヒロインのモデルは Vicky ではなく、何人もの女生徒たちの寄せ集めだった。

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