2013年6月26日水曜日

元生徒会長の予言


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 17 日(水)晴れ[つづき]

 放課後、編集室で「進適の模擬試験に最高点を取った UE 君は、元会長の UE 君でなく、そこの(注 1)UE 君だ」と Jack に話していた矢先、前者の UE 君が他の二、三人の三年生と一緒に足を洗いにやって来た(注 2)。彼らも第二回進適模試のことを話し合っていた。Jack やぼくも、最初、90 点を取ったのは彼だとばかり思っていた。UE 君は「会長は誰になった?」という。昨日は流会になり、きょうの昼食時間に議会が行なわれた。指導部に最も近い階段(階段番号というものがないので不便だ)の上にいた Jack とぼくを追い立てるようにして、S・T 君が「傍聴に行け、傍聴に行け」といってくれた。しかし、19 番教室へ行ってみると、割り込む余地もなさそうだったので、傍聴はやめたのだ。「N…」というような声が誰かの口から出た。Jack が嬉しそうに、「NK 女史?」と問い返す。「こんなシケタ学校はそれで沢山」と UE 君(失礼ないい方だ)。「お前らも来年あたり、新聞部やめて勉強せんなんようになるぞ」(注 3)といい残して出て行った。
 帰りかけたとき、廊下で NK 女史に出会った。Jack が「さよなら」の他に何かいうと、彼女は二間ばかり行き過ぎてから振り返って、「何ィ? いま何ていった?」という。「会長さんや、いうた。」「誰がいね?」「君が。」Jack は気が早い。象のような目の女史はそれには答えないで去ったので、誰が会長かをまだ知らない。
引用時の注
  1. 「学校の近くに住む」の意。「そこの UE 君」は、母と私がこの一年ほど前までの約 3 年間、間借りしていた家の次男、T・UE さん。翌年春、東大へ進学した。
  2. 編集室は、家庭科実習用の補助室を借り受けたものだったので、足を洗うのに便利な水道があった。
  3. この予言は翌々年に現実となった。2 年生の後期まで新聞クラブにいたわれわれが、3 年生になるや否や一斉に他のクラブへ移ったのである。

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